記録

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迷子 3月15〜3月21日

月曜日

朝5時半に起きて仕事へ。前日も仕事で23時過ぎに帰宅したので眠かった。いつも通り仕事をしていると、上長にちょっとこの後時間ある?と呼ばれこれはもしやと思っていると案の定異動の内示だった。さすがに異動して1年目だしもう1年くらいはいるかなーなんて思っていたが甘くはなかった。はい、はい、と淡々に受け入れた。業務形態が少し異なる場所への異動なのでかなり不安だ。しかし、都内へカムバックできるのは嬉しい。さよならつくばエクスプレス。さよなら往復2000円の交通費。

『テレビ千鳥』の「浦島太郎選手権」を観た。もはやドキュメンタリーだった。笑いの正解の近似値を求めて悪戦苦闘する男たちのドキュメンタリーだ。野生の志村に腹を抱えて笑った。

 

火曜日

朝起きてスマホを持ちながら服を脱ぎ捨てたらスマホも一緒に投げ捨ててしまい、テーブルの角に見事にぶち当たり画面が砕け散った。

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『ハライチのターン』を聴いていたのだが画面操作ができなくなりずっと澤部と岩井の声が流れ続けていた。慌てて昔使っていたこれまた画面が砕けているスマホを探しだし少しだけ充電し、仕事へ向かった。画面の操作ができなくなったスマホはみるみる変な色になっていき、もう息をしなくなった。あーこれは買い替えなきゃいけないやつかなあお金ないなあと思っていたがとりあえず画面修理だけはしてみるかと考えた。職場で一番偉いに人に呼ばれ、今回の異動について説明された。人件費カットによる異動だということを突きつけられたようで少し悲しくなった。まあ修行だと思って、と言われたが今の場所に来るときも同じことを言われた。修行に修行を重ねるしかないのか。

 

水曜日

仕事は休み。池袋へスマホの修理に行く。9800円で画面と液晶の交換。非純正。1時間で修理が終わるというのでタカセでクリームソーダを飲みながら待つ。あっという間に1時間が経ち、スマホを取りにいくと綺麗な姿になって返ってきた。しかし、画面には「このiPhoneは使用できません」の表示。まったく操作ができず、調べるとこの状態になったらもう初期化するしかないらしい。バックアップもとっていないので全てが消えることになった。悲しい。池袋のルミネのくまざわ書店に行ったらいくつもの良い本が面で出ていて嬉しくなった。文脈のある棚は血の通っている感じがする。家で『勇者ああああ』『ゴッドタン』『相席食堂』など見逃していたバラエティ番組を一気に観た。『勇者ああああ』が終わってしまうのは本当に悲しい。

 

木曜日

仕事。

 

金曜日

仕事。

 

土曜日

仕事。迷子の10歳の男の子と1時間一緒にいた。お父さんと離ればなれになってしまったらしい。なかなか親が見つからないので不安にさせないようたくさん話をした。男の子の両親は医者で、お母さんは中国出身でなんとか省のガン研究センターで働いていたらしい。親からは医者になれと言われているが内臓が気持ち悪いので薬剤師になると言っていた。「もしかしたらあのエロいお姉さんがたくさんいるお店にいるかもしれない!」と言うのでついて行ったらスタバだった。スタバの店員はみんなエロいお姉さんらしい。「10歳なのに迷子なんて恥ずかしいよね」と恥ずかしさと不安の入り混じった表情で言うので、「これはあれだよ、逆にハン君のお父さんが迷子なんだよ。大人なのに迷子なんて恥ずかしいよね」と言ったら笑ってくれた。お父さんはどんな服装?と聞いたら「おっさんみたいな格好」と返され、すぐに「いま言ったことお父さんには絶対に言わないで!」と念を押された。可愛かった。時々思い出したように、「さっきのことお父さん来たら言おうかなあ〜」と言うと、「だめ!」と怒っていた。可愛かった。彼のお父さんはしばらくすると見つかり、さよならをした。仕事中に地震があった。かなり揺れて怖かった。お店の中の本が一部落下した。

夜、仕事が終わり家へ帰る途中に桜を見かけた。信号の赤に照らされた桜だった。しばらくすると信号は青に変わり桜の色も変わった。

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日曜日

仕事は休み。暴風雨。こんな雨の日は家に籠るに限るのでひたすらTverで見逃した番組たちを見続けた。暴風雨の中、買い物へ出かけた。チキン南蛮が食べたくて仕方なかったので材料を買って帰宅。再びテレビを見続けてからチキン南蛮を作り始めた。まず先にタルタルソースを作った。玉ねぎをみじん切りにする。玉ねぎはいつでも泣かせてくる。つぶしたゆで卵とみじん切りした玉ねぎ、マヨネーズを混ぜてタルタルソースの完成。次に鳥の唐揚げを作る。下味をつけた鶏肉に小麦粉をまぶして揚げる。久しぶりに揚げ物をしたがうまく揚がった。少しつまみ食いをした。

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醤油と酢と砂糖を混ぜたタレに唐揚げを浸し、お皿に盛り付け上からタルタルソースをかけてチキン南蛮の出来上がり。完成写真はない。

この日の『爆笑問題&霜降り明星のシンパイ賞』かが屋復活スペシャルに泣いた。2人で夜の散歩をしながら他愛もない会話をする姿が本当に良かった。

賀屋 楽屋挨拶で太田さん銃撃ってくるじゃん。

加賀 ああエアガンね

賀屋 だから太田さんの本買ってさ

加賀 うん

賀屋 それを腹に仕込んでさ

加賀 うん

賀屋 銃弾防ぐみたいな

加賀 うん

賀屋 でもそれで何俺に媚びてんだとか思われたら嫌だな

加賀 そんな冷めたこと思う人じゃないよ

なんでもない会話が2人のこの状況の中では暖かい光のように思えた。そしてなによりコントがちゃんと面白かった。かが屋の復活が心から嬉しい。

コーヒーが無性に飲みたくなり、夜中にスーパーへ行った。雨は止み、生ぬるい風だけがとても強く吹いていた。今までに通ったことのない路地を抜けるとスーパーの真横に出た。近道を見つけた。路地には椿が咲いていて、夜中ということもあってかその赤が少しだけ不気味だった。

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この先のことを考えると心がざわざわして落ち着かない。ずっと不安だ。なんとか落ち着けるために最近はずっとLampのアルバムを聴いている。今はLampの音楽だけが心にすっと入ってくる。

雨上がり

雨が降っている。明日もこの雨は降り続くのだろうか。雨が上がったことに気がつく好きな瞬間というのがいくつかあって、たとえば地下鉄が地上に出た時。映画館を出た時。鳥の鳴き声が聞こえてきた時などだ。地下鉄が地上に出た時と映画館を出た時は世界が目の前でパッと変わったような印象で、鳥の鳴き声が聞こえてきた時は晴れが徐々にこちらに近づいてきたような印象になる。どちらもとても好きな雨上がりに気がつく瞬間だ。

先週、『あのこは貴族』を観た。それからというものこの映画のことを思い出さない日はない。それほど素晴らしい作品だった。物語の中に悪い人を置かず、社会構造と同時に個人を描いていたのがとても良かった。社会構造を描こうとした時に、その中にいる人たちが記号的になってしまうことが多々あるがそれをうまく回避し、たしかにそこに存在する個人を映画の中に作り出していた。それは、細かい演出と役者が演技で表現するゆらぎがばっちりとはまり合っていたからだ。特に、水原希子はこんなにも素晴らしい演技をするのかと驚いた。門脇麦高良健吾石橋静河も本当に良かった。お茶を淹れる際に湯ざましをしていたり、座る瞬間にスーツのボタンを外したりといった所作もハッとさせられた。なにより、門脇麦が道路の向こうの人に手を振るシーンは誰もがこの映画の忘れがたい瞬間として挙げるだろう。超えることのできない分断はたしかに存在するのかもしれないが、しかし見つめ合い手を振り合うことができるかもしれない。そんな可能性に胸を打たれた。タクシーと自転車の対比や、空間の中での高低差などの映像的な演出も冴えていて、本当に隅から隅まで意味を持たせて作り上げていた。ラストシーンの、階段を降りきっている人、途中まで降りている人、降りていない人、という人物の置き方とかもたまらない。もう一度観たい。

月曜まで小田尚稔の演劇『是でいいのだ』が上演されている。この作品は、小田さんの作品の中でも特に好きな作品で、これまでに劇場で4回観ている。それほどまでに好きなのだ。3月11日の東京を描いた作品で、孤独や寂しさをまさに「是でいいのだ」と肯定してくれるような力を持っている。本当におすすめの演劇だ。なにより、毎年この時期に上演し続けていることが意味のあることであり素晴らしい。

最近、アオモジという木の枝を買った。

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この緑の粒から白い花が咲くらしい。絶対可愛い。しかし、最近の寒さのせいか1週間以上経ってもなかなか咲く気配がなく不安になってきた。はやく春よ来い。

夜にラジオを聴いていたら不意にサニーデイサービスの「夜のメロディ」が流れてきて泣きそうになった。大好きな曲だ。


サニーデイ・サービス - 夜のメロディ

 

季節の順序 2月21日

春を通り越して夏の手前のような気温だった。パーカーだけで散歩に出ると汗がふき出し腕まくりをした。半袖で歩いている人もいたが街のいたるところには梅が咲いていて夏ではなく春がくるのだと季節の順序を再確認した。ラジオを聴きながら線路沿いを歩いた。しばらく聴けていなかったさらば青春の光のタダバカをまとめて聴いた。「さよならむつみ荘」オマージュの下品で最低な「さよならブクロ荘」回にマスクの下でひとりニヤニヤした。タダバカはずっと下品で最低でいてほしい。散歩の途中でミニストップを見つけて、コーヒーとプリンパフェを買った。袋をくださいと言うタイミングを逃してしまい、プリンパフェを直に持ったまま散歩を続けた。どこかの公園で食べようかと思ったが公園は見つからず溶けていくアイスに焦ったまま家の方向へ早足で歩いた。ミニストップのプリンパフェを買ったのは、先週の『家、ついて行ってイイですか?』でプリンパフェを買っている人がいて食べてみたいと思ったからだ。『家、ついて行ってイイですか?』は相変わらず素晴らしい。例えば先週の回で言えば、都会の片隅で暮らすシングルマザーや障害を抱えた娘と生活する家族などを掬い出す。そこには意図された物語的なものが含まれているので気を付けなければならないが、それでも市井の人々の生活に光を当てるこの番組が好きだ。そんなプリンパフェを持ったままスーパーへ行き、買い物をした。今週の『おぎやはぎ のメガネびいき』がわさび漬け回だったのでわさび漬けが食べたくなっていたのだ。観たもの聴いたものにすぐに影響を受けてしまう。早足で家に帰り、溶けてしまったアイスを飲むようにしてプリンパフェを食べた。夜はご飯を炊いてわさび漬けを食べた。辛さに足をバタバタさせたりした。

空気階段単独ライブ『anna』を配信で観た。1つ1つのコントの完成度の高さと嫌味なく全てが収束する様、そして根底に流れる愛に感動さえ覚えた。覚えたというか最後のコントは感動していた。好きなラジオが同じという喜びは何事にも代え難い。あの深夜の時間を共有しているのだという感覚。佐藤多佳子『明るい夜に出かけて』やジエン社『夜組』しかり深夜ラジオが出てくる物語は愛おしい。かもめんたるの傑作単独ライブ『メマトイとユスリカ』を観た後のような気分だった。

しばらく前に坂元裕二『花束みたいな恋をした』も観た。もうあらゆるところで語り尽くされているので様々な感想を読んだ。その中で時々見かけた、麦と絹は作中に出てくるポップカルチャーを本当の意味で好きではないという論にどうしても納得できない。これはもちろん、彼と彼女の自意識の有り様に自分を見てしまうからで認めたくないのもかなりの割合である。記号的な固有名詞であるとかそれを表層的な捉え方しかできないとかまさに自分だ。そういう人たちに対して坂元裕二は批判的な眼差しを向けているなどもあったが、それでも麦と絹は作中のポップカルチャーを愛していたし、同じものが好きという喜びは本当であったと思いたい。同じものが好きという奇跡のような出会いは残酷にもありふれたものであり凡庸な出来事なのだが、そのありふれたものであるという提示に救われるような気もする。

今日はアマゾンプライムで『明日への地図を探して』も観た。アマゾンプライム制作のオリジナル映画だ。いわゆるループものなのだがあまり派手さのない淡々とした描き方が好きだった。同じ日を繰り返す中でその1日の中で起きる奇跡を集めるという日常の地続き加減と青春映画のバランスも良かった。

数週間前に職場でヒヤシンスをもらったので育てている。初日はこんな感じだった。

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最初は首を傾げていたが今ではこうである。

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すっかり背筋を伸ばし咲き誇っている。部屋に植物があるのはなんとなく嬉しい。日々成長するものが側にあるのは毎日を違うものとして迎えられるような気がする。これからもっと植物を育ててみようかと悩んでいる。

1月30日〜1月31日 玄関の覗き穴のような月

土曜日

朝8時に電話が鳴り、目が覚める。数日前に注文していたIKEAの家具たちがまもなく届きますよのお知らせだった。さすがに朝早すぎるよと思ったが新しい家具が届く嬉しさで飛び起きた。しばらくするとピンポーンとチャイムが鳴り、本棚とテーブルが届いた。部屋に運びこみ、組み立てず二度寝した。しばらくベッドの中でぐだくだとした後に、昨日送られてきた『ねむらない樹』vol.6をぱらぱらとめくる。自分の書いた文章が載った本がこの世界にあるのかと思うと嬉しくなる。しかし、読めば読むほど自分の書いたものが退屈に思えてしまいそっと閉じた。さあ家具を組み立てるかと思ったがやはりまだ気持ちが乗らずにまずは腹ごしらえと朝マックを食べに行った。マックグリドルソーセージのセットとさらに単品でマックグリドルソーセージを注文。たとえ店員にマックグリドル狂いと思われても好きなものはいくつでも食べたいのだ。お腹を満たし、『霜降り明星のANN0』を聴きながら散歩した。ジングルを途中で遮りトークを続行する遊びはこれまで長くラジオを聴いてきたが遭遇したことがなかったので新鮮さと面白さにこれは発明だと嬉しくなった。そのまま家に帰らず荻窪のTitleへ行った。委託で置いてもらっている本の精算と岸本佐知子さんの『死ぬまでに行きたい海』の展示を見に行くためだ。何気ないようでしかし意味があり、でも何気ない写真たちが空間に張り巡らされていてとても良い展示だった。

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岸本さん翻訳のニコルソン・ベイカー『中二階』が気になったので購入。ついでに『ねむらない樹』vol.6も買ってしまった。自分の好きな本屋さんで自分のお金で買いたかったのだ。店主の辻山さんに、もう持ってるんじゃないですか?と聞かれたが、お店で見かけたら嬉しくって買いたくなっちゃいましたと答えた。少しだけお話をして帰路についた。家に帰り、ラジオを聴きながらついに家具を組み立て始めた。まずは机からだ。IKEAのあの言葉のない説明書を見ながら黙々と組み立てる。プラスドライバーとマイナスドライバーが必要だったが持っていないのでハサミの先をねじ穴に差し込んで回した。トンカチも必要だったが持っていないので手でぶっ叩いた。『三四郎のANN』のおさるのジョージにゲラゲラと笑っているうちに出来上がった。気づいたらもう夜になっていてまだ本棚もあるが今日はここまでにして、新しい机でひとりたこ焼きをした。先週、姉からもらったたこ焼き機だ。姉はマンションを購入して来週引っ越すのでいらないものを引き取ったのだ。姉は3つ上なのだが数年前に結婚して今度はマンションを買った。人生を順調に生きている感じがする。そんな姉から譲り受けたたこ焼き機でたこ焼きをくるくると回した。食べながら『有吉の壁』を見た。シソンヌとチョコプラによる『スタンドバイミー』が素晴らしい完成度でたまらなかった。

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これはずっと手元に持っておきたい写真だ。寝る前に最近買った柴崎友香さんと岸政彦さんの『大阪』を少しだけ読みすすめた。

 

日曜日

朝5時半に起きて仕事へ向かった。『ハライチのターン』を聴いていたら岩井さんがマックグリドルを3つ食べたと話していて昨日の自分じゃないかと電車の中で笑ってしまった。仕事は日曜ということもありとても忙しかった。宇佐美りんさんの『推し、燃ゆ』が売れに売れている。こんなに売れている文芸書は久しぶりだ。なんだか嬉しい。職場の若者たちが『花束みたいな恋をした』を観たいとわいわいしていたのでなんで観たいのか聞いてみたら菅田将暉が好きなんです!有村架純が好きなんです!と言っていて、いやー僕も坂元裕二が好きだから観たいんだよねと言おうと思ったがやめた。21時前に帰宅。豚キムチを作って食べた。窓から外を見たら夜空に浮かぶ月が玄関の覗き穴のようだった。

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明日も早起きなので早めに布団に入った。本棚はまだ組み立てられずダンボールに入ったままだ。

読んだ本のこととか

玄関のすぐ外に誰かいる。コツコツとなにかの物音がする。ブルブルと怯えていたら雨が屋根をつたって落ちる音だった。明日は雪が降るらしい。震えていたのは寒さのせいか。

最近は情緒がいかれている。笑ってコラえてのどこかよくわからない町でインタビューに答えている子どもたちや老人を見るだけで泣きそうになるし、電車の窓から見える信号待ちをしている車の赤いブレーキランプの連なりにも泣きそうになる。はたまたSMAPの「たいせつ」を夜中に聴いてその言葉とメロディーにも泣きそうになる。

ささやかでもそれぞれに暮らしなのね

とか

真実は人の住む街角にある

とかもう素晴らしい一節に溢れている。

坂元裕二『花束みたいな恋をした』のシナリオを読んだ。

花束みたいな恋をした

花束みたいな恋をした

  • 作者:坂元 裕二
  • 発売日: 2021/01/04
  • メディア: 単行本
 

 ポップカルチャーの連打だった。例えば、わずか1ページの中に天竺鼠ceroいしいしんじ穂村弘長嶋有堀江敏幸柴崎友香小山田浩子、今村夏子、円城塔小川洋子多和田葉子舞城王太郎佐藤亜紀などの固有名詞がこれでもかと詰め込まれているのだ。さらには、ゼルダの伝説早稲田松竹、ままごと、マスター・オブ・ゼロなどなどもう挙げればきりがない。そこにはかつての自分がいるようで何故だか恥ずかしくなり終始薄目で文字を追いかけていた。有村架純菅田将暉がこれらの単語を発話しているのかと思うと映画館でスクリーンを直視する自信がない。物語としては言ってしまえば単純なものなのだけれど、作中に登場する固有名詞が橋渡しとなり、その固有名詞に張り付いた物語の外にいる私たちの個人的な記憶を想起させる。麦と絹の物語でもあり私たちの物語でもあるのだと思った。固有名詞に張り付いた記憶はずっとそこにあり続けるのだ。早く有村架純菅田将暉の発話でこの映画を観たい。

岸本佐知子『死ぬまでに行きたい海』も読んだ。

死ぬまでに行きたい海

死ぬまでに行きたい海

 

 

自分が好きな文章とはユーモアと淋しさが混ざりあったものであり、岸本さんのこのエッセイにはまさにそれがあった。パワフルな力強い文章に憧れることもあるがやはり僕はこういうものが好きなのだと改めて思った。

この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れてしまっているような些細な記憶。そういうものが、その人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。どこかの誰かがさっき食べたフライドポテトが美味しかったことも、道端で見た花をきれいだと思ったことも、ぜんぶ宇宙のどこかに保存されていてほしい。

ああなんて素晴らしい文章だろうか。一度抱きしめてから心の奥底にしまっておきたい言葉たちがまたひとつ増えた。ちなみに心の奥底にしまっておきたい言葉はいくつかあり、その1つは岸政彦さんの『断片的なものの社会学』にあるこの文章だ。

私たちの無意味な人生が、自分にはまったく知りえないどこか遠い、高いところで、誰かにとって意味があるのかもしれない

もうすぐ岸さんと柴崎友香さんの共著エッセイ『大阪』が発売されるので早く読みたい。

藤岡拓太郎『大丈夫マン』も読んだ。

大丈夫マン 藤岡拓太郎作品集

大丈夫マン 藤岡拓太郎作品集

  • 作者:藤岡 拓太郎
  • 発売日: 2021/01/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

ただただ素晴らしい。可笑しさはもちろんのこと、優しさや寂しさ、そしてそのどれにも当てはまらない感情がここにはある。個人的に好きなのは、「亀チャン」「なにわろてんねん」「夏のこども」「四月の風」「わたし」「18才」「ハッピー・バースデー」だ。とりわけ「わたし」と「ハッピー・バースデー」が大好きだ。

 

書き下ろしの「街で」を読んでいたらなぜだか大橋裕之『遠浅の部屋』を思い出していた。

2月発売の『ねむらない樹』vol.6にコラムを寄稿した。

短歌ムック ねむらない樹 vol.6

短歌ムック ねむらない樹 vol.6

 

 

依頼をいただいた時、嬉しくて飛び跳ねた。いつも読んでいる雑誌から声がかかる日がくるなんて思ってもいなかった。1000字にも満たない短い文章だけれど本当に嬉しい。ちょうど今日、職場に『ねむらない樹』の注文FAXが来ていて、周りの人に「この本に僕の文章が載るんですよ!」と言いたくなったがグッと堪えて、注文3冊と書いてFAXをひっそりと送信した。入荷したらひっそり買ってすぐさま休憩室でひっそり読むと思う。

外からはまだ雨の音がしていて、雪に変わる気配はない。布団の中で靴下をぬぐ。ひんやりとして気持ちがいい。ラジオからはオードリーの声が聴こえてくる。こんな夜のこともきっとすぐに忘れてしまうだろう。そろそろ寝ようか。

朝焼け

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12月31日の朝、仕事へ行く途中、遠くの高層マンションの窓という窓がオレンジ色で、こんな朝早くでも世の中の人はみな起きているのだなと思い、寒さに身を縮こませながらもどこか慰められた気持ちになっていると、部屋の中の明かりだと思っていたものは窓に映った朝焼けだった。拍子抜けすると同時に、その朝焼けは夕焼けのようにも見えて、今が午後6時であるかのような錯覚に陥った。

しばらくブログを書いていない間に時間はぐんぐんと過ぎていった。仕事がとても忙しく、11月後半から12月半ばまではそれこそ寝るためだけに家に帰っているような生活だった。ようやく落ち着いたかと思えばクリスマスシーズンの到来で、ラッピングに次ぐラッピングの嵐だった。ラッピングを頼まれるたびに世の中ではこんなにもプレゼントが贈り贈られされているのかと感心する。忙しくて嫌になったりもするがこのプレゼントのいくつかたちは枕元に置かれ、子どもたちの顔がパッと笑顔になるかと思うと少しはこの忙しさも許せるような気がした。

年内のことを振り返りたいところだが世の中ではあまりにも色々なことが起こりすぎてそのあれこれがもはや自分の生活にほとんど影響を及ぼしていないのではないかとさえ思える。そんなことはあるはずもなく自分自身のことで言えば職場での異動がとても大きな変化だった。そして異動1日目で緊急事態宣言による自宅待機。これからの人生で一生訪れないであろうただなにもすることもなく家に引き籠る1ヶ月。もしもう一度この自粛期間が訪れたとしてもまた同じなにも有意義に過ごすことのない日々を繰り返す自身がある。これまでの生活の中で1番変わったことは、映画や演劇をほとんど観に行けなかったことだ。しかし、観に行けないなら観に行けないでそれなりに生活は成り立つし慣れてしまった。それでもやっぱり生活に無駄が欲しい。余剰が欲しい。以前のように何も考えずに劇場に足を運べる日は来るのだろうか。

1年を振り返るには時間がないので最近のことを書く。M-1でのマヂカルラブリー優勝がとても嬉しかった。決勝の電車の漫才はそれはもう腹を抱えて笑った。なによりこの優勝でANNレギュラーが見えてきた。ゴールドジムイデア店が待ち望まれる。M-1はもう全組面白くて、敗者復活戦から夢中になって観た。敗者復活はキュウとランジャタイが最高だった。ニューヨークの漫才の、「マッチングアプリで出会った人妻と自転車で2ケツしてゲーセンでメダルゲーム」というフレーズの妙な生々しさに痺れた。クリスマスは仕事で、仕事終わりに自分へのクリスマスプレゼントにこの3冊を買った。

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我ながら良いセレクトだと思う。クリスマスの日に偶然見かけたtototatatuという韓国のイラストレーターのイラストに胸を撃ち抜かれた。

都市生活者の孤独だ。さみしさが肯定されたような気持ちになる。

街裏ぴんく漫談独演会『母の体から明転飛び出し、逮捕キッカケで完全暗転』を観に行った。相変わらず現実と非現実を繋ぎ止めるディテールの巧みさが異常だ。本当に面白い。

忘年会を兼ねて高校時代の友達とエリックサウナマサラダイナーへご飯を食べに行った。宮下パーク入り口前集合ねと言われ、オッケーなんて知った顔して返事をしたがまったく変な場所で待っていた。僕は宮下パークを知らない。エリックサウスでは、ホタテのドーサと牡蠣のビリヤニが泣いてしまうほど美味しかった。美味しいねえ美味しいねえと何度も口にした。帰りに渋谷ツタヤで『チェンソーマン』を全巻買った。家に帰りすぐに読んで面白さに震えた。面白え面白えと何度も口にした。

年末は、『ゴッドタン』のマジ歌選手権、『芸人プリズン』『東京babyboys9』『クイズ正解は一年後』などを観て過ごした。まさかあんなにくだらないはずの『クイズ正解は一年後』で世界が1年でこんなにも変わってしまうことを見せつけられるとは思いもしなかった。ずっと観れていなかった『ベター・コール・ソウル』シーズン5も完走した。今年は『愛の不時着』という傑作ドラマがあったわけだが、個人的には『ベター・コール・ソウル』はあらゆる連続ドラマの中でも群を抜いている。第3話のラスト、ビール瓶を駐車場に投げるシーンの素晴らしさよ。ただ無言でビール瓶を投げるだけなのになんて哀しく美しいのだろう。

こんなことを書いているうちにいつの間にか年が明けていた。残業で紅白もろくに見ることができず家に帰ってきて親が送ってきてくれた蕎麦をゆがいて食べた。今年もなんとかやっていこう。

憂鬱

久しぶりにしんどい気持ちでどうしようもなくなっている。昨日は午後から仕事だったのだが出勤すると職場のマダムたちにバッと囲まれ延々とキツい言葉を浴びせられ、心が沈みに沈んだ。その直後から胸がズキズキと痛み、頭痛と謎の胸の痛みに襲われなにも仕事が手につかなかった。これがいわゆるストレスというものだろうか。なんて自分は心が弱いのだろうと思うし、そのような言葉を言ってきた人たちにはこっちの立場も理解してくれよと泣きたくなる。社員が2人いなくなり、その人たちの仕事がすべて自分に振られ、その人たちの下についていた人たちからあなたにはその穴は埋められないし無理だろうと言われているのだ。こちらとしては一緒に頑張っていきましょうという心持ちなのに。弱々しい26歳の男などマダムたちから見れば不安をぶつける格好の的なのだろう。もっと自分に自信があり、ちゃんと意見を言えればこんなことにはならないのかもしれない。とにかく今は辛いが、なんだか会社あるあるみたいな状況に笑えてくる。いや、そう思わなければやってられない。

辛いことが多いので最近の楽しかったことを振り返る。11月の初めに、二子玉の蔦屋で開催されていた「庭文庫」という岐阜にある書店の店主によるトークイベントを聴きにいった。この書店はあさやけ出版という出版社もやっていて、そこから出たばかりの詩集についての話がメインだった。急遽、その詩集の著者も登壇できることになり、その登壇できるようになった理由が、豚の出産が無事終わったからというものだった。普段は岐阜の養豚場で働いていて、その合間に詩を書いているらしい。養豚場で働きながら詩を書くというその行為に心底感動してしまった。そして、二子玉という大衆にまみれたお店のど真ん中で、1冊の詩集について語られるというその小ささとかけがえなさにずっと胸がいっぱいになっていた。トークが終わったあとは、小説家がおすすめの本をそれぞれのブースで売るイベントに参加した。滝口悠生さんが出店していて、ファンなので自分には珍しく積極的に話しかけ、おすすめされたこうの史代『さんさん記』を購入した。好きな作家と直接話ができる機会が訪れるとはなんて嬉しいことだろう。

11月は演劇も映画もなにも観ていない。家と仕事の往復ばかりだ。シソンヌのライブ『neuf』は配信チケットを買って自宅で観た。かれこれ3〜4年は毎年単独ライブに行っていたので生で観ることができず残念だったが、それでも期待の何倍も上回る面白さで観終わった後は多幸感でいっぱいだった。瞬間的な面白さはもちろんだが、コントの中に悲喜こもごもがあり、ああこの人たちはたしかに生きているなと思えるのだ。キングオブコントがまだ準決勝で敗退した芸人審査だった時に優勝した東京03かもめんたるにも同じものが流れていて、空気階段がもしこの審査のままだったら優勝はできていたはずだよなとつくづく思う。芸人のYouTubeもよく観ている。最近面白かったというか嬉しかったのはAマッソのゲラニチョビ復活だ。

youtu.be

正確には復活ではないのだが、この感じが懐かしく夢中になってゲラニチョビを観ていたなと思い出した。今はAマッソはほとんど追いかけれていないが、THE Wで決勝に進出したり、加納さんのエッセイが発売されたりと間違いなく才能で溢れた人たちなのでもっともっと活躍してほしい。あとは、ニューヨークのチャンネルでのウエストランドによる爆笑問題の分析も面白かった。

youtu.be

単純に僕は爆笑問題が好きなのでその周辺のエピソードが聞けるだけで嬉しい。毎週ラジオで2人のやりとりを聴けることが1週間の楽しみなのだ。爆笑問題おぎやはぎはずっとラジオを続けてほしい。

本は、佐藤正午『月の満ち欠け』を読んだ。

岩波文庫的 月の満ち欠け

岩波文庫的 月の満ち欠け

 

読み始めたら止まらなくなってしまい数日で読み終わってしまった。早く続きを読みたいという物語としての引きの強さと、1人の人を想い続ける純愛を装った少し不気味な話にはすっかり夢中になった。次は『鳩の撃退法』を読みたい。滝口さんにおすすめされたこうの史代さんさん録』もとても素晴らしかった。

さんさん録 : 1 (アクションコミックス)

さんさん録 : 1 (アクションコミックス)

 

亡くなった奥さんが遺した生活の知恵が書かれたノートを頼りに、主夫として息子夫婦と同居する参さんの話だ。料理の作り方や掃除の仕方などが淡々と描かれるコマに無性に感動し、それが亡くなった奥さんの行為をなぞることだということにも心打たれた。なによりノートに遺された参さんへのメッセージがすべてを物語っている。

この世でわたしの愛したすべてが、どうかあなたに力を貸してくれますように

ああなんて良い言葉だろうか。

明日からの仕事とこの先が憂鬱で仕方ない。でもなんとかやっていくしかない。自分には好きなものがたくさんあるのだ、それらに支えられているのだと思って頑張ろう。いや、でも明日職場に行きたくない気持ちに変わりはないが。