記録

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朝焼けが美しくって駅まで走る

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深夜1時、仕事の休憩中に吉そばを食べに行くだけなのに好きな音楽を聴きながら坂を駆け下りた。

ホルモンを食べるために雨の中2時間並んで、お店の中で2時間ホルモンを食べた。

天下一品に行って、こってりにチャーシューをトッピングして食べた。

セブンであんバタークリームどら焼きを買って食べた。

プリンターから出てきた紙がその日触れたなによりも暖かくて手を温めた。

朝焼けが美しくて帰り道駅まで走った。

熱すぎたお湯を水で薄めるとき、裸でお湯と水の境目で足踏みをした。

西友の女性下着売り場で、電車が上を駆け抜けてゆく音がした。

今日みたいな気温が一年中続けばいいのにと願ったけれど続いたら続いたでくらっとするような暑い日差しや痛いような寒さも恋しくなったりするのだろうかと思ったりした暖かい日もあった。

ここ数週間の僕のハイライトはこんな感じで、働いたり食べたりだらだらしたりしている。世間ではマスクがないなんて騒がられたりしているけれど、意外にみんなマスクをしているしどこで手に入れているのだ。実際、なにかのついでにドラッグストアでマスクを探すと棚は空っぽだ。なにかのついでではなく、マスクを探す目的でドラッグストアを訪れなければマスクは見つからないのだろうか。いや、本当はティッシュを買おうと入ったドラッグストアでマスクを見かけた。一箱1500円で、たけーと思ってやめた。コロナへの危機感とマスクへの執着心がない。

今日は2月24日で、オードリーが椅子を壊した記念日なんて言われてたりするけれど、僕にとってはちょうど1年前にこのブログの2016年から2018年をまとめた日記集『やがてぬるい季節は』を出した日だ。

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 初めに刷ったのは10冊のみで、そこから思わぬ方向に転がり400冊以上が誰かの手に渡っていった。それからすぐに、『日々はすべて穏やかな一日に』という2018年から2019年の日記を集めた本を作った。仕事を辞めてからのどうしようもない無為な日々が書かれていた。そして、再び働き始めて今に至る。

1年に1回、ここに書いていた日記をまとめることをライフワークにしようと思う。なので、日記本第3弾『蒸し暑くなるひとつ手前の朝5時に』を作ります。何事も億劫な人間なので、ここで作りますと宣言しなければきっと永遠に作らない。予約も始めます。4月中旬には完成させて順次発送予定です。書き下ろし日記やその他書きたいことを書きます。ちなみに、都内の書店でも取り扱っていただく予定ではあるので書店で買いたい人はそちらでお願いします。頑張って作りますのでどうか手にとっていただけると嬉しいです。

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普段はコンタクトなのだがここ数日は花粉症で目がやられているので今日は眼鏡をかけて仕事へ行った。みんなに、あれっ眼鏡だねと言われたり似合ってるだとか言われて嬉しかった。単純だ。書店員っぽいとも言われた。実際書店員なのだが。

ハンガーにかかったキーホルダー

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夜、駅から家までの帰り道、あまりの寒さに早く家に着きたいという一心でハッハと白い息をもらしながら走った。家へ着く直前、後ろからギーギーと音がしたので振り返ると、立ち漕ぎをした女性がこちらへ近づいてそしてすれ違い前へと消えていった。きっとあの女性も、この寒さから早く逃れたい一心で立ち漕ぎをしていたのだろう。この寒さは、誰もが家路を急ぐ夜だ。

最近、あまりブログを書けなくなってしまった。自分の記録のために書いているわけであって、特に誰かが困るわけではないが気持ちのどこかで書かなければという焦りがあったりする。それでもやっぱり書けないし書くことがない。怖いぐらいになにもない。ただ仕事へ行って疲れて帰ってきてぐだぐたして日々が過ぎて行く。そんななにもないような日々の中からなにかを拾い上げて広げて書く元気も体力もない。仕事をしていなかった時期は、なにもしていない無為な時間やただただ散歩をしたことなどを書いていて、その何もなさ自体を書きたかったのだが、今はそれすらも書けない。しかし、それでもなんとか最近のことを振り絞って書く。

1月の演劇始めは、阿佐ヶ谷へナカゴー『ひゅうちゃんほうろう-堀船の怪談-』を観に行った。言わずもがなナカゴーは最高に面白い。まずもって物語の軸と周辺のディテールがしっかりしているので、どんな展開になろうとも受け入れることができるし笑うことができる。手を繋ぐというワンアクションが怪談にもなるし、結束の印にもなる。個人的にとても笑ったのは、「八百屋行こう」というセリフと、妖怪だと思ってめちゃくちゃ殴った後に本当は人間だったんじゃないかと不安になるシーンだった。ナカゴーを観た後、サイゼリヤへ行った。噂の羊串を食べてやろうと意気揚々と「羊串のダブルで」と注文したら品切れだった。

2月に入ってから演劇は、ロロの『四角い2つのさみしい窓』を観に行った。どこまでもポップなのにあらゆる部分でとてつもなく巧みで本当に素晴らしかった。境界線が重要なテーマになっており、舞台美術として劇場の中に劇場があるわけだが、その劇場は壁や境界線を意味するプロセニアムアーチのある劇場なのだ。物語が進むにつれ、あらゆる境界線が融和していく。嘘も本当も混じり合っていく。終盤、文字通り劇場は解体され、境界線はなくなる。劇場の解体に連動するように、あちらとこちら、すなわち生と死の境界線も緩やかなものになっていくのだ。ポップな語り口の中でこんな所まで辿り着いてしまうのだから本当に凄い。

観終わって、三浦さんに『生活の途中で』に寄稿していただいてありがとうございましたとお礼を言った。帰りは渋谷まで歩き、そこからバスに乗って家へ帰った。この日は節分で、バスの中には豆を握りしめた幼稚園児がいた。スーパーでサーモンとクリームチーズを買い、家で太巻きを作って食べた。この組み合わせは最強だ。

最近読んで心から素晴らしいと思った漫画は、光用千春『たまご』だ。

 

たまご他5篇 光用千春作品集 (ビッグコミックススペシャル)

たまご他5篇 光用千春作品集 (ビッグコミックススペシャル)

 

 短編集なのだが、1つの作品を読み終わる度に、凄い才能だ…となっていた。どの作品にも私たちの言葉にできない感情が描かれている。喜びでも悲しみでもありながら、喜びでも悲しみでもない曖昧なものがここにはある。ほとんどの短編の主人公は子どもで、どこか大人びた考えをしている。しかしなぜかそこに違和感を感じない。そこが不思議で、なぜなのか表すことができない。とにかく読んで欲しい。光用さんの前作『コスモス』をおすすめしてくれたのがナナロク社の村井さんだったので、『たまご』を読み終わった直後に村井さんに、素晴らしかったです!とラインをしたら、ちょうど今目の前にあります!と写真が送られてきた。すごい偶然で嬉しかった。

映画は、『ジョジョ・ラビット』を観た。ユーモアと戦時中のリアルな側面のバランスが抜群だった。反復がいくつもあったり、徹底して子ども目線からの戦争であったのも良かった。なにより子どもの可愛さとサム・ロックウェルの素晴らしさよ。観終わった後は、良い映画だったなあという感想しかなかったのだが、今これを書きながら思い返すと大好きなシーンばかりだ。お母さんがお父さんになりきるところの可笑しさと哀しさ、そしてそこからのダンス。ウインクが上手にできなくて顔をギュッとするところ。ブリキの着ぐるみを着たままのハグ。好きな女の子への揺れ動く気持ちと少年の決断。そして、再びのダンス。何度でも見返したい。

先週のラジオはどれも面白かった。深夜の馬鹿力で、映画好きが何周もして結局『七人の侍』が好きと言うなら分かるが、特に映画好きでもない人が急に『七人の侍』と言った時は、『グーニーズ』と同じくらいの破壊力があると話していたのに笑った。あとは、爆笑問題カーボーイとしまえん閉園の話題になり、2人の学生時代の話が聞けて嬉しかった。学生時代の共通の思い出を楽しそうに話している回が本当に好きだ。以前、バックトゥーザフューチャーを2人で観に行った時のことを話していてその時もとても良かった。他には、佐久間さんのANN0で機材が壊れ、リアル『ラヂオの時間』になっていたのも面白かった。これは先々週だったかと思うのだが、ハライチのターンでマックでどのハンバーガーが好きかで盛り上がっていたのが最高に楽しかった。僕も誰かとどのハンバーガーが好きかで盛り上がりたい。ちなみに僕は岩井さんが散々馬鹿にしていたダブルチーズバーガーが好きだ。

本は、柴田葵の歌集『母の愛、僕のラブ』が良かった。

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宮崎夏次系の表紙も可愛い。一緒に買った、『ねむらない樹』vol.4に載っていた鈴木ちはね「スイミング・スクール」がとても好きなタイプの短歌だった。感傷的な部分があまりなく、けれどもその瞬間を捉えていた。

今日は、お昼まで寝て喫茶店へ行った。山盛りのスパゲッティを食べた。隣には大学生3人がいて、誰々が可愛いだの付き合っているだの話していた。こういう話が昔から本当にできない。あの子が可愛いとか誰と誰が付き合っているとかの話にまったく興味が持てない。往々にして飲み会での席ではそういう話になるので居心地が悪くなる。山盛りのスパゲッティでお腹を満たし家に帰った。

これから夜勤で、あと数時間したら出勤する。仮眠をとらなければと思いつつ、このまま眠らずに職場へ向かってしまいそうだ。寒さのピークに家を出るのは辛い。裏起毛へ全幅の信頼を寄せていたのだが、ここ数日の寒さでその信頼も下り坂だ。信頼はこちらの一方的な気分次第でこうも容易く崩れてしまうものなのだ。仕事へ行きたくない気持ちでいっぱいだが、職場のロッカールームの僕のハンガーには、このドラえもんのキーホルダーがかかっている。

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可愛くてお店で見かけた時にすぐに買ってしまった。このドラえもんと犬が職場で待っていると思うとなんとか頑張れる。

背中に向けられた視線

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500円玉を握りしめ、濡れた洗濯物を持ってコインランドリーへ行った。両替機で100円玉に崩し、乾燥機へ洗濯物を放り込んで200円を入れた。余った100円玉をコートのポケットに突っ込みじゃらじゃら音をさせながら、ミスドへ行き、300円をポケットから取り出してコーヒーを頼んだ。しばらく時間をつぶし、再びコインランドリーへ行くと男女2人が狭い店内で腰掛け談笑していた。引き戸に手をかけ、ガラガラと半分まで開けたがパッと視線がこちらに向いた瞬間にまた閉めてしまった。その2人の楽しそうな姿に背を向け、視線を感じながらヨレヨレになったタオルや下着などの洗濯物を取り出す自分の姿を想像してとてつもなく哀しくなってしまったのだ。そのまま洗濯物を置き去りにして家に帰った。

年が明けてからは、3日から仕事だったためお正月という雰囲気をあまり味わうことなく2020年が始まった。年末は紅白を見て、年始はバラエティ番組ばかりを見ていた。東京に出てきて6年ほど経つわけだが、初めて年末年始を実家に帰らず過ごした。だからお正月感がなかったのかもしれない。年始は、年末に聴けなかった年越しラジオを聴いていた。TBSラジオのあるある年またぎはずっとくだらなくて面白かった。適当にあるあるを認定してると思いきや精査してるくだりは声を出して笑った。永遠に聴いていられると思った。三四郎の年越しラジオは、4時間以上もあったがあっという間だった。毎年恒例のラブレターズ溜口のクイズが好きだ。ラジオといえば、先週の霜降り明星のANN0が、くりぃむしちゅーのANNの下ネタラジオネーム回を彷彿とさせて面白かった。ラジオで聴く下ネタはどうしてこんなに面白いのだろう。

カネコアヤノの弾き語りライブ「燦々」にも行った。幸運にも草月ホールの前から2列目真ん中で、しかとカネコアヤノの姿を目に焼き付けた。ステージに置かれた木製の椅子に座り、裸足の足をぶらぶらと遊ばせながら歌う姿が忘れられない。広いホールながらリビングで歌っているかのようだった。後日、インスタを見ていたら椅子はカネコアヤノが自宅から持ってきたもののようだった。

ポン・ジュノの『パラサイト』も観た。文句なしに面白かった。平日の昼間に満席で恐るべしだ。しかしながら映画館で嫌なことがあったので書きなぐる。映画館に着き自分の座席に座ろうとするとコートやカバン、傘などが置かれていた。あれ、席まちがえたかなとキョロキョロしていると、その後ろの席の人が手を伸ばしてコートだけをたぐり寄せた。前の席に荷物を置くってどういうことだよと思っていると、その他の物はどかそうとしなかったので、この荷物は違うのですか?と聞くと、今片付けるところなんですけど!待てないんですか!とすごい勢いで怒鳴られた。怖さとイライラで思わずどんなマナーしてるんですか!と言い返したくなったがぐっとこらえた。大丈夫、周りの人は僕に同情してくれていると心の中で唱えて席についた。その人は、上映中終始ガサゴソと音を立てたり、ぐーぐーといびきをかいて寝たりしていた。挙げ句の果てには途中で帰ってしまった。ただただ嫌な思いをして悲しかった。

映画を観た後は、池袋の明日館で開催されていた、てらおかなつみさんの展示を見に行った。主婦の友の表紙を昨年描かれていたのでその原画の展示だ。てらおかさんの絵は、優しくやわらかくて好きだ。ご本人も穏やかで優しそうで、でもどこか不安げで良い。不安げで良いというのは変な話だが、自信に満ち溢れた人よりは何倍も魅力的だ。

別日に、nidigalleryへ植本一子さんの『うれしい生活』出版記念写真展にも行った。植本さんに、活動がんばってるの見てるよと言われて嬉しかった。植本さんの写真は本当に光が美しい。

今は夜勤2日目の帰りの朝6時過ぎで、ホームで電車を待ちながら必死に眠気と闘っている。雪が降るかもしれないと言われている寒さで小雨が顔に当たる。今このまま眠ったら死んでしまうかもしれない。明日は1日休みで、ナカゴーを観に行く。新年最初の演劇がナカゴーなんて最高だ。明後日からはまたしばらく夜勤が続く。2020年も頑張ろう自分。

2019年の終わりに

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もうすぐ2020年になるらしい。2020という響きを聞いたのは2013年で、オリンピックの開催が東京に決まったと発表された時だった。その時は浪人生で、2020年なんて遠い先の話だった。世界史でも日本史でもなく、政治経済を選択していた僕は、予備校で何度も何度も東京オリンピックの開催年の時事問題が出題されると聞かされていた。

そんな2020年の1つ手前の2019年にいつのまにかいて、もう終わろうとしている。どんな年だったかと聞かれればまあ色々なことがあった。大きな出来事をあげるならば再就職したことだ。今は特に苦痛もなく働くことができている。2018年に新卒で入社した会社を数ヶ月で辞めている身としては、これはもう本当にすごいことだ。

今年は、映画も演劇も本もこれまでに比べるとほとんど観れていないし読めていない。そんな中でも好きだったものをいくつかあげていく。

まず、バラエティ番組では『勇者ああああ』の合宿回が好きだった。特に、ハチミツ二郎が年賀状にしたいと言ったお風呂のシーンは見ているこちらも多幸感があった。ああ楽しいってこういうことだよなと思った。ちょうど公式ツイッターにその時の写真があげられていた。

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いい笑顔だ。『勇者ああああ』は永遠に続いてほしい番組。

演劇は、35本ほど観ていた。その中でも、モダンスイマーズ 『ビューティフルワールド』、玉田企画『かえるバード』、ナカゴー『飛鳥山』、KERAMAP『キネマと恋人』、ロロ『はなればなれたち』、ゆうめい『姿』が良かった。特に、モダンスイマーズは本当に素晴らしくて再演を早くも望んでいる。

本は、まったくもって最近のものは読めていなくて、その中でもイアン・マキューアン『贖罪』を読めたことはとても大きかった。

 

贖罪 (新潮文庫)

贖罪 (新潮文庫)

 

 

散々名作だと言われている作品であるわけだけれども、この世界に物語が存在する意味なんてものを考えてしまった。

映画は、劇場で観たものは30本あるかないかで語れるものはない。今年最後に観たのは、『殺さない彼と死なない彼女』だった。この作品が予想の何倍も素晴らしかった。人と人は分かり合えないという前提に立った上で、それでもなんとかして繋がろうとする物語はどうしたって胸にくる。また、原作とは異なる構成らしく、この構成のおかげで結果的に、届かなかった好きだという気持ちが他の人の手に渡り、誰かに届く物語になっていた。

音楽は、柴田聡子『がんばれメロディー!』を何度も何度も聴いた。特に、「涙」は本当に素晴らしくて、きっとこれからもずっと聴いていく。カネコアヤノ『燦々』も繰り返し聴いた。年明けに弾き語りライブがあるので楽しみだ。

2019年の大きな出来事といえば、これまで書いていたブログをまとめた日記本『やがてぬるい季節は』と『日々はすべて穏やかな一日に』を作って初めて文学フリマに出たことも今年の出来事だ。このことが1年以内に起きたことだとは到底思えない。このことがきっかけで色々な人と知り合えた。本当に運が良く恵まれていた。そして、大好きな方々にお声がけして合同誌『生活の途中で』を作れたことも、今年の大きな思い出の1つだ。

ここに書ききれないほどの出来事が本当にたくさん起きた1年だった。楽しいことも嬉しいことも、辛いことも苦しいことも全部全部あった。それでも、毎日をなんとか生きているしこれからもなんとかやっていく。

今、目の前にあるテレビでは紅白歌合戦が流れていて、ビートたけし浅草キッドを歌っている。

ごとんと落ちるアボカドの種

今日、仕事の休憩中にコンビニへ行ったらナンチャンを見かけた。そう、南原清隆だ。カゴを持ってローソンをうろうろしていた。そして、職場に文章を書いたり本を作ったりしていることがばれた。並列して書いたがここにはなんの関連性もない。ただ1日の中で起きたことを書いただけだ。増刷分が納品され、絶賛発送作業中の『生活の途中で』が荻窪の本屋Titleに置かせてもらえることになり、Titleのツイートを見た職場の人にばれたのだ。書店で働いていれば、そりゃばれるか。自分の本を置きなよと言われたが悩ましい。そんなことより、Titleに置かせてもらえることが本当に嬉しい。

今は、仕事帰りで駅のホームで電車を待っている。もう12月も終わりに差し掛かり、じっとなにかを待っている時はいつだって手をコートのポケットに入れてしまう。この前、中野駅のホームでベンチに座りながら電車を待っていたら、目の前にある自動販売機の横に置かれたゴミ箱に、「ペットキャップ」と書かれた専用の箱が備え付けられていた。ペットキャップ?とハテナが頭に浮かんだ。もちろんそれがペットボトルのキャップを指していることは分かるが、自分の中でペットボトルのキャップをペットキャップと略したことがこれまでになかったので不思議な感じがした。言葉を略すのが本当に苦手で、誰かと会話している時も、相手が略した言葉を使おうがこちらは正しい名称を言ってしまう。「とりき行こう」と言われたら、「鳥貴族美味しいもんねー」などと返答する。

数週間前の怒涛の夜勤が終わったかと思えば、先週は朝7時に出勤などしていた。朝5時に起きて6時前に家を出ると外はまだ暗く、電車は空いている。ただ出勤しているだけなのに、なにか特別なことをしているような気になる。思わずカメラでうっすらと遠くに見える朝焼けを撮ってしまった。

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美しいものは揺るぎなくそこに在って、僕が普段寝ている時もこの瞬間は何度も訪れていることが惜しいような尊いような気持ちになった。

最近のことを思い出そうとしても、サイゼリヤへ行ったら求人のポスターに、「好きになったら正社員の路も」という文言があって、「路」ってなんなんだと思ったことしか思い出せない。使い方は正しいのかもしれないけれど、正しくないような気もする。あとは、つくねが食べれなかった日もあった。お世話になっているナナロク社の村井さん、歌人の岡野大嗣さん、木下龍也さんとご飯を食べに行ったのだが僕だけ遅れていくと、その店の名物だというつくねが完売して食べることができなかった。他のお三方の目の前にはつくねの串だけがあり、いかにそのつくねが美味しかったかということを語られ、写真を見せられた。悔しい。『生活の途中で』を皆さんに渡したら、木下さんがなんで声をかけてくれなかったんだとしばらく言い続けていた。ミワくんは岡野さんにはハマってるけど俺にはハマってないと言っていた。今度本を作る時は木下さんに声をかけよう。大好きで尊敬する3人だ。数日前に発売された、木下さん、岡野さん、谷川俊太郎の共著『今日は誰にも愛されたかった』もとても良かった。題名になっている岡野さんのこの短歌がとても好きだ。

四季が死期にきこえて音が昔にみえて今日は誰にも愛されたかった

こんな事書いているとまた木下さんに俺にハマってないと言われてしまう。

くどうれいんさんが書肆侃侃房のwebで書いていたエッセイ「うたうおばけ」の連載が終わった。とても好きだった。特に、最終回の1つ前の「抜けないボクシンググローブ」がとても良かった。

第15回 抜けないボクシンググローブ(くどうれいん)|書肆侃侃房 web侃づめ|note

特に、この部分がたまらない。

最悪なゲーセンから帰る途中、車はどんどん海へ、そして工場夜景に近寄った。「仙台で実はいちばんきれいだと思う」とミドリは言い、車を停めてくれた。潮風の混ざる夜の空気はキリっとして、生臭くて、とても気持ちがよかった。大きな工場をしばらくふたりで見上げた。湯気を出し紫や黄色にひかる大きな管はいつでも動き出せるようだった。星、きれーだね。とか、話していた。もうそろそろ仙台の暮らしも終わる。この夜のこと、ずっと覚えていたい、と思った。陳腐だし、そんなこと言ったらミドリはわたしのことを好きだから、きっとめちゃくちゃ喜ぶだろうと思って言わなかった。

「陳腐だし、そんなこと言ったらミドリはわたしのことを好きだから、きっとめちゃくちゃ喜ぶだろうと思って言わなかった」の一文に痺れた。

最近は、演劇も映画も観れていないし本も読むことができていない。どこから手をつければいいか分からないことが山ほどある。時折心臓が痛いし咳もとまらない。これが師走か。いや、関係ないな。短歌を詠みます。

なにもかも気づかないふりして目をつぶるごとんと落ちるアボカドの種

最後に最近見かけたガラス越しキャットで終わりにします。

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寒いから温かいものを飲む

部屋が、寒い。そんな寒い部屋の中で温かいものを飲むと、体が温まる。当たり前のことだがそんなことにいちいち感動し、救われたような気持ちになっている。去年より絶対寒いなあなんて思ったりするが、毎年そんなことを言っているし、夏になると去年より絶対暑いと思うので、きっとなにも変わらずそんなものなのだろう。

先週、文学フリマが無事に終わった。今回は、合同誌『生活の途中で』という新刊を持って参加した。

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自分としては、今までで一番の部数を刷ったので売れるかどうかとても不安だったがありがたいことに、完売することができた。執筆者の皆さんと、手に取ろうと思ってくださったみなさんのおかげだ。本当にありがとうございます。もうすでに、何人かの方から感想をいただけてとても嬉しい。

あれだけのブースが出店していて、あれだけの本があって、その中で『生活の途中で』を手にとってくださった方々がいるということが奇跡のようだ。対面式で緊張してしまう中、本当にありがとうございます。逆の立場だったら、何度もブースの前を往復してタイミングを伺ってしまう。自分も空いた時間に色々と本を買ったのだが、タイミングを伺っている内に買えない本がいくつもあった。なんとか買うことができた本たちをちょこちょこと読み進めているが、どれも面白く、自分ももっとちゃんと書かなければと思った。今回は、寄稿してくださった皆さんの力を大いに借りてしまったので、来年の文フリは1人の力で頑張りたいと思う。自分に何が書けるのかわからないけれど。文フリが終わって家に帰ってきて、会場で配られた僕のマリさんの書き下ろしエッセイを読んでゲラゲラと笑った。最悪で最高の文章だった。憧れてしまう。

文フリが終わった翌日から、怒涛の夜勤5連勤だった。毎日、23時に出勤して朝8時まで働く生活。死ぬかと思った。朝、帰ってすぐに布団に潜り込むと、いつも15時ごろに目が覚める。それからまた眠って17時ごろに起きて、そのまま起きていて出勤するパターンが多かった。完全に昼夜逆転していた。日勤と夜勤を繰り返すよりも、連続して夜勤の方が楽なのだが、夜寝る前のすべてが許されたかのようなあの時間を過ごすことができないのは惜しい。布団に潜り、うつらうつらとスマホを見たり本を読んだりする時間だ。あれは、夜だからいいのだ。朝にあの特別な時間を味わうことはできない。今月はほとんど夜勤がないので、昼間に活動する人間になる。反動で体調を崩しそうだ。

11月に観に行った演劇は、明日のアー『最高のアー』と、ウンゲツィーファ『動く物』だ。明日のアーは、いつも通り様々な文脈を知らなければ笑えないものばかりで面白かったのだけれど、数年前に観た『日本の表面』があまりに良かったのであの感覚をまた味わいたい。ウンゲツィーファは、数畳の狭い部屋で観る演劇。役者の体はぶつかりそうになるし体温さえも感じることができる。目の前で起きていることが物語で、演じられていることだとわかっているのにもかかわらず、役者のやり取りに現実で味わうものと変わらない居辛さそのものを感じた。それは、間違いなくあの空間がなせることだ。現実からの飛躍も、実際にそこで人が生活しているという揺るぎないリアルがあるゆえに、違和感なく受け取ることができた。

映画は、『ジョーカー』を観た。隣に女子高生3人組が座っていたので上映後どんな感想を述べるのだろうと楽しみにしていたら、「可哀想だけど仲間増えたからよくね?カラオケ行こ」と言っていた。強い。

土曜は、中目黒で開催されていたBooks&somethingという独立系出版社の集まるブックイベントへ行った。何人もの知り合いの方々に会うことができて嬉しかった。そこで、百万年書房から出ている星野文月さんの『私の証明』を買った。きっと良い本に違いない。そんな確信がある。しかし、文フリしかり、対面式で本を買うのには緊張してしまう。作り手と読者の距離が近いのがこういうイベントの魅力なわけで、いちいちそこに緊張してるなら行くなよって話だけれど。

書きたいことがいくつもあったはずなのに、スタバで飲み物を買ったらカップに犬か猫かわからないものを描いてくれたことしか思い出せない。

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こういうのって可愛い女子に描いてくれるものではないのか。職場で、30歳くらいかと思ったと言われた25歳男性に描いてくれるな。僕は犬が好きなので、犬と信じたい。街中で犬を見かけると、あっ犬だ!とつい目で追いかけてしまうし、一緒に誰かと歩いているときは、ねえ見て可愛い犬いる、と共感を求めてしまう。

滅多にない土日休みが終わろうとしている深夜3時。眠れずこうして書いているのも夜勤の習慣が抜けなくなってしまったからだろう。今日の月は、ほどよい三日月で、誰かが腰掛けていそうだ。そういえば、文フリ当日、僕はズボンのチャックが1日中開いていた。そんな格好でブース間をうろうろしてしまった。間抜けにもほどがある。文フリは対面式だから買うのに緊張してしまうとかご立派な自意識を述べている場合ではない。それ以前の問題である。しっかりしろよ、自分。

 

髪を切った

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いよいよ明後日は文学フリマだ。とても、緊張する。今は深夜の2時半で、職場の休憩室にいる。雨がざーざーと降っていて、仕事へ向かう途中で足を水溜りに突っ込んでしまい、靴と靴下が濡れていて気持ちが悪い。普段は行かない休憩室にいるのでそわそわする。幸い誰もおらず、窓からは遠くで赤く光る東京タワーが見える。そして、寒い。

今日、髪を切りに行った。文学フリマで人前に出るからだ。人前に出るから少しでも見栄えを良くしたいと思われることがとても恥ずかしく、人目なんて気にしませんよといった涼しい顔をしてボサボサの髪でブースの椅子に座っていたいが、こいつ身だしなみ整ってないなと思われるのも嫌なので髪を切った。たかが、髪を切るだけのことに自意識がぐるぐるしてしまう。そもそも、髪を切ったと書かなければすむ話なのだが、切りたての髪は案外分かるので、文フリに向けて髪を切ってきたのだなと思われるより先に、髪を切ったと口外することによって自分のなかで何かを回避した気になっている。ということで、当日文フリに来られる方は、こいつ髪切ったのだなと心の中で思っていてください。

髪といえば、明らかにカツラの人がさもカツラではないよとした顔で歩いている場面に出くわすときがある。一目でカツラって分かるぐらいならつけないほうがいいだろうと思うのだけれど、実はその本人もカツラをかぶっていることに気づいていないのではないかとふと思った。知らぬ間に人はカツラになっているのだ。だから、自分も実はカツラで、他人からはあいつカツラだなと思われている可能性がある。なにを言っているのだろうか。

改めて、文フリのことを。11月24日(日)に開催される文学フリマ東京に出ます。『生活の途中で』という新刊を出します。執筆者は、こだまさん、斉藤倫さん、三浦直之さん、ヒコさん、久保泉さん、GAME BOYZさん、Nookさん、ミワです。表紙は西村ツチカさんに描いていただきました。手に収まるように、生活に馴染むように、小さめのB6サイズにしました。

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ブースは、【ト-06】です。場所は、東京流通センター第1展示場で、最寄駅は東京モノレール流通センター駅です。友達に場所を行ったら、前々から行くって覚悟しなきゃ行けないところだと言われました。文学フリマは、もし僕がお客さんだったら対面だから絶対緊張してしまうしやっぱり行くのやめようかなと躊躇するようなイベントですが、そんな人間も頑張って出店しているのでぜひ来て欲しいです。

今は仕事が終わって、朝7時過ぎの電車の中いる。相変わらず雨は土砂降りだ。いつのまにか文フリは明日になっている。前回の文フリの時に、何人もの方にブログ読んでますと言われたのがとても嬉しくて、1人でスマホに向かって書いているものがたしかに誰かに届いているのだと思えた。来てくれた方の8割がメガネをかけた人の良さそうな男の子たちで、一緒に肩を寄せ合って生きていこうなとひそかに思っていた。明日は、楽しみ3割、緊張7割だけれど、良い本を作ることができたとは思っているので、会場でお待ちしています。