記録

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親が連日来ていて辛かったので、土曜は1日予定があると伝え、お昼に原宿VACANTで明日のアー『観光』を観た。今回で観るのは3度目で去年の『日本の表面』の方が時代を捉えている印象はあったけれど、パターンに陥らず毎回面白いポイントが違うので笑うことができる。個人的には、「これからの正義の話をしよう」の問題の早押しがツボだった。お芝居を観た後はそのまま青山ブックセンターまで歩き、本を2冊買った。特に値段も見ずに買ったら合計で5000円を超えていて焦った。ちょうど1週間前も青山ブックセンターへトークショーを聞きに行ったので毎週通っている。

日曜も親がいたが、この日も用事があると伝え、最寄駅ではなく少し遠い駅まで歩いてから、例の虚無の散歩をした場所を再び訪れた。虚無の散歩についてはこちら。

虚無の散歩 - 記録

今度こそ、フィルムで写真を撮りながら歩くことができた。

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初めてのフィルムカメラで正解がいまいちわからないのだけれど、想像の何倍も綺麗に写っていて嬉しかった。特に気に入っているのは、緑に囲まれた階段の写真で、奥からの光の入り方が希望とか未来みたいで美しくってなんだかときめいております。フィルムカメラを勧めてくれた方、ありがとうございます。これから歩くことがますます楽しくなりそうだ。最近はもう散歩が楽しくて仕方がない。どこまでも歩いていけそうな気がする。今週は、水曜に就職の面接がある。きっと今年最後の機会なので頑張りたい。今から緊張して震えているけれども。

 

ただの愚痴

父と母が東京に来ていたので姉も交えて1日行動を共にしていた。話題といえばもちろん僕の仕事のことで、その話が出るたびに胃が痛くなり吐きそうになった。父はとにかく世間体というものにこだわる人間なので、いつまでこんな状態続けるんだ、と苛立ち、姉はお前は学生時代になにもしてこなかったから就職の面接の時に話すことがないのだと責める。僕が少しでも言葉に詰まったりすると、まくし立てるように大声を出す。母は、みんな心配してくれてるから言ってくれてるのよと言う。特に厄介なのは姉で、今年になって人事部に移ってから、人を使える使えないで判断するのが加速しているように見える。飲食店で働く人を見ては、あいつはポンコツだとか、気が使えないとか、あんな人を雇うほうに問題があるとかばかり言うのだ。その言葉を聞くたびにドキリとして胸が痛くなる。それを見透かすように、お前も社会に出たらああいう風に見られるからなと説教をしてくる。僕はその度に、わかってるからと言うのだが、わかってるだけではだめだ、行動しなければ意味がないとまくし立てる。行動しなければ意味がないというのは、正論だ。しかし、行動を起こすためのハードルの高さは各々の人によって異なることを姉はわかっていない。姉は人前で明るく振る舞い饒舌で、ぐいぐいと自分の意見を押し通すのがうまい。それをみんな頑張ればできることだと思っている。その頑張りにたどり着くのさえ苦しい人もいるのだということを知らないのだ。きっと、社会でうまくやっていける人はみんなそうで、人を使えるか使えないかだけで判断するのだって、会社で働いていればまっとうな基準なのだろう。でもどうやったってその波に乗ることができない。はじかれてしまった人間がなんとか生きる術はないのだろうか。実はこんなことみんなとっくのとうに考えていて、乗り越えているのだとしたら、もう本当に息もできない。

未来

朝、すれ違う人たちや電車の中のいたるところで、寒いね、寒いねのキャッチボールが繰り広げられていて、冬だと気がついた。

先日、こんなツイートをしたら4つのいいねがついた。

なぜ、こんなツイートにいいねが複数ついたのか。文法的にややおかしいので、それを揶揄するための意思表示なのか。たしかに、「寒かったのでほうじ茶を飲んでハッピーになりました」の方が違和感がない。もしくは、日常の生活のなかのささやかな幸せ素敵だね、という好意か。しかしここでは、こういった結論を出す。それは、みんなほうじ茶が大好き、というものである。TLでほうじ茶という単語を見かけ、うおーほうじ茶だー!最高!と思わず反射でいいねを押してしまったのだ。そこには、揶揄もささやかな幸せへの好意もない。ほうじ茶最高の気持ちがあるだけだ。たしかにほうじ茶は最高である。自分の中では、温かい飲み物ランキング堂々の一位だ。ほうじ茶の有名どころといえば、一保堂である。一保堂のなにがすごいかと聞かれれば、ティーバッグでも美味しいのだ。これまでは茶葉で飲むことが多かったのだが、一度ティーバッグを試してみたら本物と変わらないほどで、すっかりティーバッグばかりになってしまった。もちろん、外で飲み物を買うときもほうじ茶が多い。もしくは、ジャスミンティーだ。とことん女々しい。コーヒーなんて飲んでいれば格好もつくが、積極的には飲まない。もし僕がコーヒーを飲んでいたら、それはカッコつけたいだけだと思ってほしい。コーヒーが好きな人は大人っぽいしカッコいい。いつか、コーヒーが好きな人になりたい。お酒も、少しは飲める体質がよかった。コップ一杯さえも無理だ。正直なところ、人と会うときは、美味しいコーヒーでもなくて、美味しいお酒でもなくて、ファミレスのドリンクバーさえあれば良い。デニーズのドリンクバーにはセブンのコーヒーがあるとか、最新のタッチパネルだとか、ロイヤルホストのドリンクバーのココアはめちゃめちゃ美味しいとかそういう話をしたい。

先日フィルムカメラで写真が撮れていなかったのはやはりショックで、今も引きずっている。なので、いつかの秋の日の写真を見て心を落ち着けている。

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ヨシタケシンスケさんの最近出た絵本、『それしかないわけないでしょう』を読んだ。未来は予想できない。だからこそどんな選択肢だって想像次第であり得るのだという明るい展望が描かれる。子どもの頃に、こんな絵本を読んでもらえたらどんなに幸せなのだろうか。

「すきか きらいか」とか、「よいか わるいか」とか、

「てきか みかたか」とか、よく きかれたりするけれど、

それだって どっちしかないわけ ないわよねー。

「すき」でも「きらい」でもない、「すらい」とかあってもいいわよねー。

どうしたって絵本は道徳的になりがちだけれども、この曖昧さたるや。絵本を読み終わってすぐに頭に浮かんだのは、爆笑問題太田さんの「未来はいつも面白い」という言葉と、恋するフォーチュンクッキーの「未来はそんな悪くないよ」のワンフレーズだった。もう一つは、EMC「100%未来feat.三浦直之」の「未来はいつも100パー楽しいから」だ。いつだってずっと未来を肯定して生きていきたいものです。ちなみに絵本といえば、僕が大好きなのは荒井良二『ぼくのキュートナ』だ。最後にそこから少しだけ引用して終わります。

はいけい ぼくの キュートナ

むかし むかし むかしというコがいました。

むかしは あしたからのことがだいすきで

みらいのことばかりかんがえていたのだそうです。

みらい みらい みらいっておまじないみたいにいってたら

みらいってコにであったんだって。よかったね。

おしまい。

今日はアメリカではサンクスギビングらしいので、Netflixで『マスター・オブ・ゼロ』シーズン2の素晴らしいエピソード、「サンクスギビング」を観て眠りにつきましょう。

虚無の散歩

散歩に出かけた。フィルムカメラを持って。以前までは写ルンですを常備していたのだが、ここはひとつカッコつけてみますかとフィルムに手を出してしまったのだ。街中でカメラを持っているそれっぽい人を見ると、うわーと思ってしまう自分がいたのだが、もうそういうのは辞めた。いや、辞めはしないけれどとりあえず息を潜めてもらうことにした。

電車で本郷三丁目まで行き、その周辺の散策をして御茶ノ水まで歩いた。本郷三丁目まで行く電車は平日の昼間ということもあって空いていた。赤ちゃんを抱えた人を電車を乗り換えるたびに見かけ、普段朝とか夜に電車に乗ることが多いので新鮮で、そりゃこの時間に行動するよなあと当たり前のことを思った。満員電車が本当に苦手なので、昼間に電車に乗るとあの状況がどんなにおかしいか実感する。お母さんに抱えられた赤ちゃんは終始キョロキョロしていて、母親はそんな赤ちゃんを微笑みながら見つめていた。最終的に赤ちゃんの視線は、となりに座る女子高生の単語帳に集中された。赤ちゃん特有のふわふわとした髪の毛が電車内の暖房の風に揺れ、母親の鼻先に触れていた。母親は目をつぶってその髪の揺れを感じていた。その隣では、老眼なのか眼鏡を額に上げてスマホをいじる初老のサラリーマンがいて、またその隣には、紫色のスカートを履いた海外の女性がいた。なにも特別なことがない車内。赤ちゃんを笑わそうとするお茶目な高校生もいなければ、怒鳴りだすおじさんもいない。海外の女性が正論を言って乗客拍手喝采みたいなこともない。ただ、赤ちゃんの髪の毛が風で揺れるだけの車内。

本郷三丁目周辺に行こうと思ったのは、辞めた会社に勤めていた際、辛すぎて職場の神保町からそこまで逃走したことがあったからだ。逃走と言っても、仕事で使った大量のバスタオルをコインランドリーに持っていくという理由があったわけだが。今思うと大量にバスタオル使う仕事ってなんだよ。とにかく、大量のバスタオルを抱えながら本郷三丁目にあるコインランドリーまで歩いたのだ。会社の同じ部署の先輩や上司は、いつも午後にならないと出勤しないので午前中にコインランドリーに行き、束の間の1人の時間を過ごしていると、そんな時に限って上司が早く出勤したらしく、お前はなんで会社にいないんだ、と電話で怒られた。そんな思い出があるその場所は、一目見て散歩しがいのある場所だと思い、今度来ようと決めていたのだ。それから半年経って、やっと訪れた。坂の多い本郷三丁目周辺は、やはり散歩しがいがあり、パシャパシャと写真を撮りまくった。そこから後楽園の横を通り、御茶ノ水まで行き、橋の上から夕方の駅などを撮った。どれも、肉眼で見た時に、綺麗だなあ美しいなあと思った光景だ。フィルムが終わったので、御茶ノ水から電車に乗り、新宿のカメラ屋さんで現像に出す。1時間の待ち時間を本屋などに行き、時間を潰した。初めてのフィルムカメラで、どんな写真が撮れているのかわくわくしながらカメラ屋さんに戻ると、全ての写真が未露出でした、と言われた。カメラへの装填ミスで1枚も写真が撮れていなかったのだ。現像代の700円だけ払い、なにも得ないまま寒空のなか肩を落としながらレンタサイクルで帰宅した。

今日1日は、なにも写っていない写真をひたすら撮り続けていたわけだ。しかも、カメラを持つことに恥ずかしさがあるため、キョロキョロと周りを見渡して一目がない時を見計らってシャッターを切っていた。あの行動は一体なんだったのか。しかしここで、あの時肉眼で見た景色の美しさは消えることはない、みたいなことを書いておけばそれっぽくはなるが、フィルムカメラデビューの自分としては、現物としての写真が手元に欲しかったのだ。それ以上でもそれ以下でもない。

そう言えば、ハイエナズクラブ自由研究2018でこのブログを紹介していただいています。コメントも貰えて嬉しい。

【結果発表!】ハイエナズクラブ自由研究2018 | ハイエナズクラブ

なにかのワンシーン

最近は、あまりにも空が青すぎる日が多い。ロロのいつ高シリーズvol.7『本がまくらじゃ冬眠できない』を観に行った。舞台の上にたくさんの本が並べられていく様子はわくわくして、あっあれ読んだことある!あれもある!となるのが嬉しかった。いつものいつ高よりかは小ぶりな印象だったけれどロロらしさは健在であった。好きなセリフもいくつかあった。「とても気持ち悪いところをとても良いみたいに話すお姉ちゃんが私はとても好き」は、海荷の妹ビーチのセリフだ。海荷の元彼の太郎はとても気持ち悪いらしい。しかし、海荷にとっては好きな人だからそんな部分さえも良く見えるのだ。そしてその話をする姉が好きなビーチ。もう愛おしさがギュッと詰まっている。「私たちってなにかのワンシーンみたいなのかしら」も好きなセリフだった。また、雪の日に破って捨てたもう無くなってしまったかつてのラブレター(雪)を拾い集めて渡すシーンは、好きになった想いは消えないのだというロロらしさ全開の場面だった。全体を通して三浦さんの本への愛が伝わってきて、好きな本棚は自分の体みたいなものだという感覚は本当によくわかる。ちなみに劇中、『耳をすませば』の話が出てきたのだが、「やな奴やな奴やな奴」のシーンは僕の中ではもう堀未央奈でしか再生されなくなっている。この日の劇場は早稲田のどらま館だったので、そのまま大学で行われている早稲田青空古本市へ行き、本にまつわる黄金コースをキメた。次のロロの公演は、来年の6月で『LOVE03』ということらしいので楽しみだ。

観劇後、早稲田から神田川沿いを歩いて肥後細川庭園へ行くと、紅葉がとても綺麗だった。

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大学時代、ふらふらと何度か来ていたこの場所だが、秋に行くのは初めてで紅葉の美しさにしみじみした。紅葉を見に来ている人は年配の方が多い。庭園を出て、坂の多いこの周辺を散歩した。途中、電信柱で文字が隠れて読めない看板を見つけた。

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ちょっと回り込めば読めるわけだが、正解を知りたくなかったので見なかった。その時はまったくわからなかったのだが、いまこれを書きながら、「大きなお風呂」という正解へたどり着いた。となりに銭湯があったわけだからきっとそうだ。パッと見た時は、「好きなお風呂」だと思った。道中、この飛び出し注意の看板の少年の勢いに笑ってしまった。

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じっくり見たことがなかったのだが思ったより前傾姿勢で全力疾走感がある。無邪気さよりかは、お母さん倒れたって、と連絡をもらって急いで家へ走る少年のようだ。こんなくだらないことを考えながら坂を登りきると、夕方ということもあり美しい景色が待っていた。

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夕焼けに染まる東京だ。坂を下るときもたまらない風景が目の前にあった。

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先ほどの紅葉であったり夕焼けであったり、いま美しいと思えるものを10年後も20年後も美しいと思えているのだろうかと不安になる。紅葉にいたっては、年配の人が多く見に来ているため、いま綺麗だなと思ってしまったら年をとってからもうそう思えないんじゃないかと怖くなる。けれどもきっと、美しいなと思う気持ちにもバリエーションがあって、20年後に見たら違う美しさを感じられるのかなとも思う。そう信じていないとやってられない。散歩をしている時はずっと寺尾紗穂を聴いていた。最近は寺尾紗穂さんの新刊『彗星の孤独』をちょこちょこと読み進めている。今週は竹宮ゆゆこ『あなたはここで、息ができるの?』と新潮に載った岸政彦さんの『図書室』を読んだ。ここ数週間は読書のペースが良い。

店長と呼ばれる人

間に合わなかった一言があって、でも、間に合った一言もたくさんあると信じたいです。ちょうどいいタイミングでかけられるちょうどいい一言が、実は、自分たちも気づいてないだけで、この世界にはあふれてるんじゃないでしょうか。それが間に合ってくれたおかげで、私たちはその存在に気づかないだけなんです。ほんとうはそういう一言がたくさんあって、それで私たちは何とかやっていけているのだろうと思います。

自分たちでも気づかない、そういうことがたくさんあって、この世界が成り立っている。そう信じたい。

数年前、雨宮まみさんが亡くなった際に岸政彦さんが書かれたこの一文を見るといつも泣きそうになる。

自分たちも気づかないし、意味もなさないような小さな奇跡はきっといつも起きている。例えば、街中ですれ違った人と同じ音楽やラジオを聴いているみたいな瞬間は実はよくあるのではないか。ある人が、月曜の夜中イヤフォンをしてニヤついて歩いてる人は必ず伊集院のラジオを聴いている、と言っていた。

今日も今日とて夜にファミレスに行った。正面に厨房が見える席に通された。いつもいるギャルの店員が、店長〜月曜休んでもいいですか〜と言っていて、ひゃーアルバイトっぽいと思った。ギャルに店長と呼ばれるのってどんな気持ちなのだろう。全国の店長教えてください。ちなみに、僕が大学1年から3年までアルバイトしていたルノアール某店では、店長がセクハラ疑惑で辞めさせられる事件があった。店長が想いを寄せる人が近所の美容院にいたらしく、そこで髪を切って個人情報を聞いてきてくれとパートの人にお願いをしたというのだ。それをパートの人が会社の上の人に報告して年も年だからと自主退職のような形になったらしい。思いがけない言葉が仕事をなくす結末になるなんて、愛とか恋とかって嫌になってしまうね。こんなことを書いていると、それは愛とか恋とか関係なくって、店長から店員に対する単なるパワハラだ、セクハラだと怒られてしまいます。

今日聞こえてきたファミレスでの会話をいくつか書いて終わりにします。

笑うと免疫良くなるって言うじゃん。
うちいつも笑ってるから。

最近顔色良くなったって言われる。

俺はそう思わないけどね。

今年は風邪の重症化防止を目標に掲げよう

もう本当になんの意味もない会話の断片で泣けてくる。当の本人たちもこの発した言葉を忘れているのではないか。だけど僕はあなたたちの発した言葉を覚えているし、その何気なさに感動さえしている。

 

人と話す

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先週は何故だか人に会うことが多かった。根っからの人見知りであるため、誰かから声をかけられなければ人に会うことがない。その誰かから声をかけられるタイミングが偶然重なったのだ。

正直なところ、人と話すことは中学生ぐらいまでそれほど苦手ではなかった。小学生の時なんか、授業中おしゃべりしていて怒られていたぐらいだ。しかし、次第に苦手になり、そのままずるずると今に至る。学校という小さな空間で、共通言語が年を重ねるにつれて失われていき、取り残されていくのを感じていた。周りの人たちは、恋愛や一時の高揚感のようなものに熱をあげ、その中で人と関わることの喜びや楽しさを覚えていく。それが共通のなにかになる。しかし、それを獲得できなかった僕は、内へ内へと向かっていった。1人でできる読書や映画に熱中し、物語を求めた。それは今でも変わらない。だからこそ、思春期をとうに過ぎた今になってうまく人と話すことができた瞬間がたまらなく嬉しいのだろう。うまく話せたかどうかは自分の判断でしかないし、相手が合わせてくれることの方が多いと思うがそれは後になって思うことで、その瞬間は「ああ今、普通に話せてるかも」と嬉しくなる。その瞬間だけは、その後の後悔とは切り離して喜びに浸りたい。とにかく、週末は自分にしては誰かに会ったりして、人と関わったのだ。思春期に、コミュニケーションの喜びを知らずに、本や映画と向き合ってきた時間は無駄であったのかと聞かれれば、はい、とは答えたくない。大人になって知り合った人と、本や映画の話、ましてや演劇の話だってできる。これはきっとあの頃が無ければあり得なかった。本当は、その両方を獲得しながら成長していくのが普通なのだろう。でも、それができなかった。日曜日は、アルバイト先の関係で本のイベントのお手伝いに行った。初めて会った人ばかりで、とても緊張した。帰りがけに、アルバイト先の人とその日初めて会った人たちに忘年会に誘われた。本当にその忘年会は開かれるのかはわからないが、とても嬉しかった。ぜひ喜んで、と答えていた。本心だ。

金曜に書いたこのブログがはてなブログのトップに取り上げられたらしく、閲覧数や読者数の増え方がとんでもないことになっていた。

miwa0524.hatenablog.com

これは、きっと眠れていない人のことを思って書いた。普段は1日のアクセス数が10も無いこのブログが、その人だけではなく思いがけずたくさんの人に読まれることになったのが不思議でたまらないし、スターをつけてくれた人や読者になった人を見てみると、メンタルに様々な問題を抱えている人たちが多かった。少しでもなにかの慰めになってくれていれば嬉しい。

最後に最近読んだものや観たもののことを。演劇は全然観れていないのだが、KERA・MAP『修道女たち』がとんでもなく素晴らしかった。本は、舞城王太郎の新刊『私はあなたの瞳の林檎』を読んだ。短編3作どれも良かったのだが、書き下ろしである「僕が乗るべき遠くの列車」がとても好きだった。映画は『生きてるだけで、愛』を観た。内容はもちろん、趣里が素晴らしかった。原作を買った。菅田将暉の演じる役がゴシップ誌の編集者で、やっている仕事に疑問を持って最後にはああなるわけだが、なんとなく自分のことを思った。新卒で入社し数ヶ月で辞めた会社は、ヘイト本を出している出版社だった。僕はもちろんそのことを知っていたけれど、今はもう出していないし出版社で働けるならいいやと思って入社してしまった。もちろん、社内ではそんな話は出ない。色々あり仕事を辞めた後、ふと会社のツイッターを見たら、どこどこの書店は出版不況にも関わらず本の売り上げが伸びているという記事をリツイートしていた。それは、ヘイト本は置かないことを強くアピールした書店員さんのインタビューなのだ。その信念のなさに怒りを覚えた。今はヘイト本は出しておらず雑誌に力を入れ、部数を伸ばし、ちょっとしたニュースなどで出版界の奇跡みたいな取り上げられかたもされているが、散々ヘイト本を作りお金を稼いだ事実は決して消えない。きっと、リツイートしたことに大した考えはないのだろう。しかし、その大した考えもないことが嫌だった。結果的に、会社は辞めてよかったと思っている。もちろん、仕事の忙しさからくる精神的な疲れもそうだが、自分たちのやったことになんの責任も感じていない人たちのいる場所で働くことはとても辛かったのだ。まあ今無職のやつがなに言ってんだって話ですけど。