記録

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人と話す

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先週は何故だか人に会うことが多かった。根っからの人見知りであるため、誰かから声をかけられなければ人に会うことがない。その誰かから声をかけられるタイミングが偶然重なったのだ。

正直なところ、人と話すことは中学生ぐらいまでそれほど苦手ではなかった。小学生の時なんか、授業中おしゃべりしていて怒られていたぐらいだ。しかし、次第に苦手になり、そのままずるずると今に至る。学校という小さな空間で、共通言語が年を重ねるにつれて失われていき、取り残されていくのを感じていた。周りの人たちは、恋愛や一時の高揚感のようなものに熱をあげ、その中で人と関わることの喜びや楽しさを覚えていく。それが共通のなにかになる。しかし、それを獲得できなかった僕は、内へ内へと向かっていった。1人でできる読書や映画に熱中し、物語を求めた。それは今でも変わらない。だからこそ、思春期をとうに過ぎた今になってうまく人と話すことができた瞬間がたまらなく嬉しいのだろう。うまく話せたかどうかは自分の判断でしかないし、相手が合わせてくれることの方が多いと思うがそれは後になって思うことで、その瞬間は「ああ今、普通に話せてるかも」と嬉しくなる。その瞬間だけは、その後の後悔とは切り離して喜びに浸りたい。とにかく、週末は自分にしては誰かに会ったりして、人と関わったのだ。思春期に、コミュニケーションの喜びを知らずに、本や映画と向き合ってきた時間は無駄であったのかと聞かれれば、はい、とは答えたくない。大人になって知り合った人と、本や映画の話、ましてや演劇の話だってできる。これはきっとあの頃が無ければあり得なかった。本当は、その両方を獲得しながら成長していくのが普通なのだろう。でも、それができなかった。日曜日は、アルバイト先の関係で本のイベントのお手伝いに行った。初めて会った人ばかりで、とても緊張した。帰りがけに、アルバイト先の人とその日初めて会った人たちに忘年会に誘われた。本当にその忘年会は開かれるのかはわからないが、とても嬉しかった。ぜひ喜んで、と答えていた。本心だ。

金曜に書いたこのブログがはてなブログのトップに取り上げられたらしく、閲覧数や読者数の増え方がとんでもないことになっていた。

miwa0524.hatenablog.com

これは、きっと眠れていない人のことを思って書いた。普段は1日のアクセス数が10も無いこのブログが、その人だけではなく思いがけずたくさんの人に読まれることになったのが不思議でたまらないし、スターをつけてくれた人や読者になった人を見てみると、メンタルに様々な問題を抱えている人たちが多かった。少しでもなにかの慰めになってくれていれば嬉しい。

最後に最近読んだものや観たもののことを。演劇は全然観れていないのだが、KERA・MAP『修道女たち』がとんでもなく素晴らしかった。本は、舞城王太郎の新刊『私はあなたの瞳の林檎』を読んだ。短編3作どれも良かったのだが、書き下ろしである「僕が乗るべき遠くの列車」がとても好きだった。映画は『生きてるだけで、愛』を観た。内容はもちろん、趣里が素晴らしかった。原作を買った。菅田将暉の演じる役がゴシップ誌の編集者で、やっている仕事に疑問を持って最後にはああなるわけだが、なんとなく自分のことを思った。新卒で入社し数ヶ月で辞めた会社は、ヘイト本を出している出版社だった。僕はもちろんそのことを知っていたけれど、今はもう出していないし出版社で働けるならいいやと思って入社してしまった。もちろん、社内ではそんな話は出ない。色々あり仕事を辞めた後、ふと会社のツイッターを見たら、どこどこの書店は出版不況にも関わらず本の売り上げが伸びているという記事をリツイートしていた。それは、ヘイト本は置かないことを強くアピールした書店員さんのインタビューなのだ。その信念のなさに怒りを覚えた。今はヘイト本は出しておらず雑誌に力を入れ、部数を伸ばし、ちょっとしたニュースなどで出版界の奇跡みたいな取り上げられかたもされているが、散々ヘイト本を作りお金を稼いだ事実は決して消えない。きっと、リツイートしたことに大した考えはないのだろう。しかし、その大した考えもないことが嫌だった。結果的に、会社は辞めてよかったと思っている。もちろん、仕事の忙しさからくる精神的な疲れもそうだが、自分たちのやったことになんの責任も感じていない人たちのいる場所で働くことはとても辛かったのだ。まあ今無職のやつがなに言ってんだって話ですけど。