記録

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眠れない夜には

眠れない夜がある。そんな時は、布団に潜りながらライブ配信されている世界中のどこかを見る。

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信号が赤から青に変わり、待っていた人々が横断歩道を渡り、やがてまた信号が変わり、車が走り出し画面の外に消えてゆく。その繰り返しが、世界のどこか知らない街角で行われている。そんな瞬間を真夜中に布団の中で光るスマートフォン越しに眺める。あまりにもセンチメンタルが過ぎるが、こちらが一方的に見つめるだけの夜があってもいいではないか。どこかの動物園のキリンを眺めるときもある。

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差し込む光が世界のどこかがいま昼間であることを物語り、安心する。ちょうど先日、ハロウィンの日にはこんなライブ配信があった。

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どこかもわからない広い場所に、ハロウィンの装飾が施されていた。これはライブ配信を見ている人を明らかに意識したもので、一方的に見つめるのではなく、誰かと目があった気がした。

暗い夜に世界のどこかが昼間であることが救いであり、確かに世界は存在しているのだという実感を得ることができる。しかし、夜に眺める夜もまた美しく、惚れ惚れする。

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伊丹空港のライブ映像が映す夜は、世界のどこかの昼間の光とはまた違う光を放っている。飛行機は、ビルの明かりを背景に離陸と着陸を繰り返す。やがて赤く縁どられた滑走路は消え、背景のビルのてっぺんの赤い点滅だけが取り残される。

静岡さった峠のライブカメラも好きだ。

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交差した道路を走る車のライトが連なり動く様は、まるで血管を透かして見ているような気分になる。車が赤血球や白血球のように血液の中を流れていく。そんな想像をする。すっぽりとかぶった布団の中、1人で。すると、いつのまにか眠っていて、朝起きるとどこかで見た明るい光が部屋に差し込んでいる。そしてその瞬間、世界のどこかの夜のことを思う。