記録

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先週観たもの聴いたもの

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昨日、映画を観に行く前に無印で飲み物を買ったら会計の時に、すぐに飲まれますか?と聞かれた。こいつ喉がカラカラでお店を出たらすぐに飲むんだろうなと思われているようで恥ずかしかったので、袋に入れてくださいと言ってしまった。自分でも、意味わかんねー、と思う。袋に入れますか?というコンビニで聞かれる質問は、すぐに飲まれますかの遠回しの言い方なのだと改めてその時に気づき、そっちの方が好きだなと思った。とても身勝手で自意識過剰なのだが、自分が買った物からその後の行動を予想されるのが恥ずかしいと思ってしまう。例えば、今日の夕飯はカレーにしようと思って、たまねぎやニンジン、じゃがいも、ルーなどをカゴに入れてお会計をする時、レジの人に、この人カレー作るんだなと思われていることを意識してしまう。それが買い物というものであり、スーパーの確かな利用方法であるわけなんだけれども。この人カレー作るんだろうなと思われることを想像することは、もし自分がレジをやっていたらそう思うことである。実際にそう思ったからといって、それ以上の感情は抱かないのに恥ずかしいと思うのは不思議だ。夜、アルバイトの帰り道などで、コンビニでコーヒーとシュークリームを買う時、店員に、こいつ家に帰った後優雅なひととき過ごそうとしてるな、と思われていることを想像し恥ずかしくなる。これも、自分が店員だったら思ってしまうことだ。

Netflixで『ボージャック・ホースマン 』シーズン5の配信が始まった。もちろん面白いし、政治やジェンダーの問題にもズバズバ切り込んでいく。そして、相変わらず辛くなる。配信が始まる前にシーズン4を見返していたのだが、改めてシーズン4の第9話「ルーシー」で描かれる絶望とすがるような希望に震えた。第9話は、未来の世界から物語が始まる。主要登場人物の一人であるキャロラインの末孫ルーシーが、祖先の最悪な1日を学校の授業で話すことによって物語が進んでいく。キャロラインはバリバリに働くキャリアウーマンで、自立した女性として描かれる。恋人と暮らし、妊娠もして幸せの中にいる。しかし、そんな幸せの最中、流産が発覚し、恋人とも別れることになる。物語の最後、キャロラインは月の光が差し込むオフィスで、一人お酒を飲みながらボージャックと電話でこう会話する。

 サイテーの日に私が何をすると思う?

何だ?

未来の来孫が私について発表する姿を想像するの。その娘は冷静で面白くすべてうまくいくって言うわ。そう思えば最後には必ずうまくいく気がする。それ以外言える?

だが妄想だろ?

でも、元気がでるじゃない?

 この最後の会話によって、9話で描かれたキャロラインの孫は、彼女自身による妄想であったことが明かされるのだ。流産し、恋人とも別れ、人生の絶望にいる彼女の妄想は、希望のようでありながらもきっとそうなり得ない未来への逆説的な予想で辛くなる。『ボージャック・ホースマン』では、人生の苦しさや辛さが容赦なく描かれる。しかし、それでも生きていかなければならないといったわずかな希望が見える瞬間があり、それもまた人生であるように思える。本当に凄いし面白いのでシーズン5もあるのかと思わず『ボージャック・ホースマン』はあらゆる人に見て欲しい。

今週の神田松之丞の『問わず語りの松之丞』のあまりの凄さに5回ほど繰り返して聴いている。今年聴いたラジオで一番面白かった。構成の上手さと、人生はクローズアップで見れば悲劇だがロングショットで見れば喜劇である、を体現したかのような語り口とエピソードだった。前半の高田文夫や寿司の話の後半での回収や、エレベーターのあるアパートを選ばなかったことへの後悔、そして今の話がほんの数時間前の出来事であるという種明かしのスリリングさ。もはや30分の作品だ。

先週は、小田尚稔の演劇『聖地巡礼』と東葛スポーツ『カニ工船』の2本を観た。どちらもまったく方向性の違う作品だが楽しめた。映画は『寝ても覚めても』を観た。傑作だった。特に、ラストショットには震えた。交わらない二人の視線でこうも物語を描くことができるのか。柴崎友香さんの原作とは同じでありながら別物であるように思った。しかし、車中に入り込む光の雰囲気は柴崎さんの小説っぽさがあった。ちなみに僕は柴崎友香作品が好きなので柴崎さんの出身地である大正区を巡ったことがある。その時のことがここに書いてある。久しぶりに読み返してあまりのなつかしさに泣きそうになった。

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週末のこと

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今日も今日とて、こんな時間にファミレスにいる。1日なにもせず自宅でごろごろしてしまった無為さに夜になって気づき、せめて外に出ねばと自転車にまたがって向かった先はいつものファミレスで、24時間営業という懐の深さに甘えている。僕はお酒が飲めないので、誰にでも開かれているファミレスが24時間営業し、看板を明るく灯していることは救いだ。少しだけ週末のことを振り返る。

金曜日の朝、三谷幸喜とすれ違った。黒い犬を2匹連れて散歩していた。そのことを誰かにすぐ伝えたかったが誰にも伝えられず、三谷幸喜とすれ違ったという事実の面白さは鮮度が命のような気がしたのでツイッターでつぶやく程度にした。夜は、アルバイトを早めに切り上げさせてもらい、新宿のBEAMSでさんぴんの公演を観た。BEAMSというお洒落空間にガタガタ震えながらも楽しく観れた。ロロの板橋さんが出演していることもあってか、ロロメンバーが観に来ていた。今回は、とある縁で観に行かせてもらったのだがその方の仕事ぶりに感動してしまった。帰りは新宿からレンタサイクル。信号待ちでスマホをいじっていたら大森靖子のみっくしゅじゅーちゅがスピーカーから流れてしまうハプニングに見舞われる。ときに、「幸せのイメージは捉えた瞬間過去になる」はほんとに素晴らしい歌詞だと思う。「買ったけど着たことないビキニがあるからお風呂はいろ」も好きだ。家に帰る前にスーパーで買い物をする。カゴの中に、トマトとかレタスとか豆腐を入れる瞬間は、なんだか生活をしている実感があり、生きているという感じがする。

土曜日は、午前中に起きてご飯をちゃんと作り食べてから、武蔵野館に『きみの鳥はうたえる』を観に行った。自分はまったくもって登場人物に感情移入ができず、あのダメな書店員に共感してしまうような人間なのだが、映画的魅力に満ち満ちていて素晴らしかった。『夜空はいつでも最高密度の青色だ』同様に石橋静河は魅力に溢れていたし、カラオケでの染谷将太のあの視線にもやられた。新宿の紀伊國屋に寄ったらとなりのビルがなくなっていて側面が丸見えで驚いた。帰宅し、本を読んだりして過ごした。夜に、ラジオを聴きながらささみを茹でて割いていたのだが、この時も生活している実感があった。

日曜日は本当になにもしていない。ベッドの上でごろごろしたままで夜になり今に至るわけだ。

最近は何故だかわからないが、小学校や中学校の時に、不登校になってしまった人のことを思う時がある。当時の彼らや彼女たちに想いを馳せることは、とても独善的で勝手なことだと思い、辛くなる。小学校3年生の時、友達がそこにいるからという理由で、学校内にある畳のひかれた6畳ほどの部屋によく通っていた。そこで、将棋やオセロをその友達とよくしていた。今思えば、そこは教室に通えなくなってしまった人が行くところで、彼がなぜそこにいるのかよくわかっていなかった。しかし、僕は遊び相手がそこにいるから休み時間のたびに通っていたのだと思う。今となっては彼の名前も顔も思い出せない。また別の話なのだが、小学4年生になる時に僕は転校した。転校した後も、前の学校で仲の良かった人と年賀状を通じて交流をしていた。中学になった時、その友達から久しぶりに会いたいと年賀状に書かれていた。中学に上がり、色々あって学校に行けなくなってしまったらしい。彼は小学校の時、サッカーチームに入っていて、かっこよくていわゆる元気なタイプだった。唯一家に泊まりに行ったことのある友達で、一緒にファミコンボンバーマンをやり、飼っていた小型犬に追いかけられたことを覚えている。そんな彼が学校に通えていないという事実に驚き、怖くなり、僕はなにも返事をすることができなかった。それ以来やりとりはなにもしていない。また、中学の時に同じクラスの人が学校に通えなくなった。彼女はたまたま自分の家の近くに住んでいたため、その母親が、なんで学校に行けなくなってしまったか分からない、いじめなどはなかったかと聞きに来た。僕は正直なところ、いじめのようなものを見ていたし、当時、クラス全体がその空気を察していた。僕はその母親に、具体的な名前を出すこともなく、なんとなくぼんやりとしたことしか伝えられなかったが、本当にありがとう絶対に名前は出さないから、と言われた。次の日、教室で担任の先生に呼ばれ、ありがとうと言われた。まず思ったことが、名前言ってんじゃん、だった。なんでこんなことを今になって思い出すのかわからない。とても自分はずるいなと思う。

もう夜の1時も過ぎたので帰ろうかなと思う。

夜の誰もいない道を自転車で蛇行しながら帰る。今日も夜の生ぬるい空気が気持ちいい。

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色々。

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最近はといえば、特に何も変わらない日々で、転職サイトを見るだけで就活をしている気になっている。仕事を辞めたときは、夏が終わるまでに次の働き先を見つけるぞと意気込んでいたが、すっかりなんの負荷もない今の生活に馴染み始め、夏も終わりの気配をみせ始めた。時折、僕と同い年のほとんどの人は当たり前に毎日会社へ出社し働いているのだという現実を思い、取り残されたような気分になり絶望する。しかし、僕だって毎日9時から18時までアルバイトしてるし労働してるぞと思いながら、毎朝、会社への近道である渋谷の円山町を自転車の立ち漕ぎで爆走している。息を切らしながら。

ここ数週間で観に行ったものは、ハイバイ 『て』『夫婦』、ヨーロッパ企画サマータイムマシン・ブルース』『サマータイムマシン・ワンスモア』、ウンゲツィーファ『自ら慰めて』、爆笑問題単独ライブ『O2-T1』だ。どれもとても面白かった。ハイバイ2作品は、再演であるためどちらも観たことがあるが、岩井さんの個人的な家族の話がある種の普遍性を持ち、観客が受け止め、それぞれの個人的な家族への想いに落とし込んでいる状況が凄いなと思う。ちなみに劇場で、橋本愛荒川良々、杉村蝉乃助を見かけた。橋本愛があまりにも橋本愛で、橋本愛!となった。岩井さんが来年にやるお芝居の出演者が瑛太松たか子で、坂元裕二作品かよと思った。楽しみで仕方がない。ヨーロッパ企画の2作品は、エンタメとして抜群に面白くて、サイコーだ!となった。特に、『サマータイムマシン・ワンスモア』は傑作で、あらゆる続編ものの中でこれに敵う作品はないのではとさえ思った。ウンゲツィーファは初見の劇団で、九龍ジョーさんのツイートきっかけで観に行った。会場には見かけたことがある人や知り合いばかりで、隣にはロロの三浦さんが座っていた。主催の本橋さんによる前説が誠実さに溢れていてとても良かった。作品も、現実と飛躍のバランスが面白く独特だった。爆笑問題のライブは、まさかの全編コントでシュールなものばかり。今思い返しても田中さんが10分間ぐらいひたすらボレロを踊って暗転って意味がわからない。個人的には、太田さんが舞台に1人で立ち、田中さんの定番エピソードをモノマネする場面になぜだかグッときた。例のキョンキョンの話や、太田さん家のトイレで漏らした話、猫の話などだ。最後のコントが爆チュー問題であったのも良かった。生で「でたらめな歌」も聴けた。爆チュー問題のコントの中で、ミッキーとウォルトディズニーのくだりがかなりしつこくあって、さくらももこコジコジ』の第1話を思い出した。さくらももこさんが亡くなったのは本当にショックだ。エッセイも漫画もかなり読んできた。先週の爆笑問題カーボーイで、太田さんがさくらももこさんの話をした後に「アララの呪文」が流れたときは泣きそうになった。爆チュー問題がアニメちびまる子ちゃんで「アララの呪文」を歌っていたというさくらももこ作品との接点と、今回のコントの中のディズニーネタは恐らく偶然だろうが、そんな瞬間があったことを忘れたくない。爆笑問題はもはや存在が尊いので、30周年記念ライブを目撃できて良かった。

先週のオールナイトニッポンは全てが芸人という週であった。もちろん僕の目当ては、くりぃむしちゅーのオールナイトニッポンだ。今回も奇跡的な面白さで、まさかの済々黌時代の新エピソードが聞けるとは思ってもいなかった。まるで先週まで放送されていたかのようだった。定番のくだりの連発なのに全くマンネリ感がなく、もはや様式美だ。これからも定期的に放送してほしい。それにしても千鳥の「相席食堂」が毎週必ず面白い。どう転んでも面白いので毎週声を出しながら笑っている。今一番面白いテレビ番組だ。オードリー若林の新刊『ナナメの夕暮れ』を読んだ。やはり素晴らしい。いわゆるタレントのエッセイ本の中で群を抜いているのではないだろうか。

今日は1年ぶりに就職の面接を受けた。相変わらず面接は苦手で、頭が真っ白になってしまう。しかも、緊張のせいか知らないが、お財布を持ってくるのを忘れてしまったため、帰りの運賃がわずかしかなく、この暑さの中行けるところまで電車に乗り、途中から徒歩で帰宅した。まさに行きはよいよい帰りは怖いだ。

ずっと疑問に思っていることがある。飼っていた犬が死んだ後、同じ犬種を飼うことについてだ。新しい犬は、昔の犬の代替なのだろうか。昔の犬の面影を新しい犬に見出しているのだろうか。それじゃあ今の犬はどこにいるのだろう。こんなことを時々思うが、実際にペットを飼って、亡くした経験をすると分かるものがあるのかもしれない。きっと、慣れているから飼いやすいみたいなのもあるのだろうな。検索してみたところ、ヤフー知恵袋でこういった質問を多く見かける。犬が亡くなった後にまた犬を飼うことへの葛藤だ。そこの回答欄には、多くのエピソードが並んでいて、「犬が死んだ後に同じ犬種を飼う人」みたいに普遍化しようとしていた自分が馬鹿らしくなった。回答者の中で個人的にベストだったのはこの可愛い写真を載せていた人だ。

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見えない水と蜘蛛食べ人

僕は、小さい頃の記憶がほとんど思い出せない。幼稚園は、マリア幼稚園というキリスト教系の学校に通っていたらしい。家族は無宗教なのだが、田舎であったため、その地域には幼稚園がそこしかなかったのだ。そんな話を親に聞かされると、ぼんやり当時の風景を思い出すことがある。それは、教室の前に大きなキリストの像がある風景だ。あの、十字架に張り付けにされている例の像だ。この記憶が事実なのか、それともマリア幼稚園という言葉から連想されたねつ造された記憶なのか定かではない。もう一つ思い出すことは、見えない水をいつも頭にかけられていた記憶だ。毎日一列にならんで、先生の前で頭を下にして見えない水をかけられていた。そしてその後、白いドロップをもらうのがお決まりだった。そのドロップはとても小さくいつも甘かった。なぜだか、そのドロップの味と見た目だけは詳細に思い出すことができる。もう一つだけ記憶にあるのは、蜘蛛を食べる少年がいたことだ。その少年は、いつもべランダの隅に座り、蜘蛛を食べていた。そして、蜘蛛の糸がのどに絡まると言っていた。見えない水を頭にかけられ、蜘蛛を食べる人がいた幼稚園で僕は育ったのだ。

夜にこんなどうでもいいことをふと思い出した。

どうでもいい話

アルバイト先の近くの商店街を歩いていたら、おばさんがおばさんに向かって、クソババア!と叫んでいた。なんだかわからないが僕は、ラッキーだと思った。おばさんが自虐的に自分をババア呼ばわりすることはあるかもしれないが、おばさんがおばさんに向かってクソババアと言葉を投げかけるのはこれまでに見たことがなかった。もし今度、おじさんがおじさんに向かって、クソジジイ!と言っている姿を見かけたら、スロットの数字が揃うかもしくは、神経衰弱で同じカードをめくった時のような快感を得られるかもしれない。

その日の帰り道、自宅の近くで信号待ちをしていたら、前にいたおじさんが突然キョロキョロした後、屈んでなにかを拾った。正確にはわからないが、10円か100円玉のように見えた。すると、もう一度すごい勢いで周りを見回し、スッとポケットにお金を入れた。その一部始終をそこで信号待ちをしていた人たちは見つめていた。いや、なんのためのキョロキョロだよ、とみんなが思ったであろう。こっそり拾ってこっそり盗ってくれたほうがこちらも、知らないふりができる。その人の行動はむしろ、今から俺は拾ったお金をポケットに入れますよーというアピールにさえ見えた。逆に大胆な犯行をすることによって盗んでいない風を装うやつか。落としていない小銭を、おっと落としちまったぜ、今から拾うぜ、拾ったぜ、という一連のパフォーマンスのようであった。彼はその小銭をなにに使ったのだろう。タバコとかではなくて、美味しい少し高いアイスとかに使っていてほしい。

突然深夜にどうでもいい話を思い出したのでした。以上。

お盆のこと、最近のこと

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お盆の間は、実家に帰省していた。特になにかしたわけではなく、ごろごろとしていた。よく、実家最高〜などと言う人がいるが、すっかり一人暮らしに慣れてしまった身としては、誰かがいるということにどうしても窮屈さを感じてしまう。たしかに、実家にいる間はご飯も洗濯物も親が全てやってくれる。しかし、一人の時はいつでも好きなものが食べられる。それ以上の幸福はない。アルバイトの帰り道に寄ったスーパーで、安くなったステーキ肉を買ってフライパンで焼いて食べたりなんかしちゃって、さらには、まるごとバナナを一人で頬張ることもできる。安い幸せだなあと思う。洗濯物だって、めんどくさいなあと思うこともあるが、あまりにも日中が暑すぎる日に干したバスタオルの、2時間しか経ってないのにもうこんなに乾いたの!すごい!という馬鹿みたいな驚きは我ながらに愛おしい。

帰省している間に、車の運転の練習も兼ねて、安曇野ちひろ美術館へ行った。いわさきちひろ作品で描かれる、帽子に焦点を当てた展示で、とても可愛かった。

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マスキングテープも可愛いかったので買ってしまった。いわさきちひろの淡い水彩柄。

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写真だと可愛さがいまいち伝わらないのだが、淡い透け感が最高なのだ。しかし、マスキングテープを使う機会はない。ちなみに、入場券も洒落ていた。

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帰省していた間の出来事はこのぐらいで、本当になにもしていない。自室のベッドでNetflixを見たり本読んだりしていた。よく親も文句言わないよなあと思う。だってろくに就活もしていないのだ。本当にありがたい。

東京へ戻ってきてからはいつも通り、アルバイト。先週の根本宗子と長井短オールナイトニッポン0がとても良かった。根本さんのエピソードトークいわき総合高校の演劇の話、長井さんは文芸誌の話だった。どう考えても、ターゲットの狭い話なのだがオールナイトニッポンでこんな話をしてくれるのはありがたい。この日の長井さんの、「文芸誌を好きになったきっかけの舞城王太郎さんの本を初めて読み終わって、駅のホームで聴いていた曲です。ナンバーガールで透明少女」という曲ふりも最高であった。おそらく深夜ラジオで、FUKAIPRODUCE羽衣や、東葛スポーツといったワードが出るのはこのラジオだけなんじゃないかと思う。

あとは、シソンヌの単独ライブ『sept』へ行った。どのコントも恐ろしいほどの完成度で、面白くない瞬間がない。シソンヌとかもめんたるの単独ライブが毎年観れる世界に早くなって欲しい。会場が赤坂だったので、バナナムーンでお馴染みの「かおたん」で中華を食べた。

先週のいつだったか忘れたが、とても涼しい日があった。あまりにも涼しくて気持ちがいいので、夜に自転車でさまよった。なんとなく隣駅まで行ってみると、夜の駐輪場は誰かに見つめられているようだった。青いのはオタマジャクシみたい。

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そういえば、今週は『ペンギン・ハイウェイ』を観た。原作がとても好きだったので、どうなるんだろうなあと思っていたがこれが傑作であった。空に投げられたコーラの缶が弧を描きながらペンギンに変わる瞬間なんかはアニメーションを見る喜びを感じられる。なんとなく、作品全体に円環のイメージがあって、小沢健二の「天使たちのシーン」を思い浮かべた。森見登美彦作品はアニメとの相性がいい。

昨日はアルバイトに向かう途中、可愛いウサギを見つけた。ロゴとかでありそう。

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個人的に好きなウサギは、中野と高円寺の間の囲桃園跨線橋にいるウサギだ。怖さと可愛いさを兼ね備えている。

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これからも街にいるウサギを集めていきたい。

朝の満員電車が嫌なので、アルバイト先へ行くときは、混まない駅まで自転車で行く。その途中で、いつもこの長い建物を見かける。

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この建物が、無印で売っているカラーペンに見えて仕方がない。五角形っぽいやつ。この近くを通るたびに、頭の中で、無印…と無意識に思ってしまう。

デニーズデイズ

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最近はかなりの頻度でデニーズへ行っている。そこでデニーズ日記をつけている。少しかっこつけているのは気にしないでほしい。

8月7日幡ヶ谷デニーズにて
連日の猛暑が嘘だったかのように肌寒い。台風が来ているからだろうか。気候に合わせた服装をすることがいつもできない。昨日までを引きずったような冷房の効きすぎた店内で、ドリンクバーのカフェオレを飲む。両手でカップを包んだりなんかしちゃってまるで寒いですよアピールだ。デニーズ幡ヶ谷店は、駅から離れた住宅街にあるせいか、いつもあまり人がいない。さらに、平日の16時だ。こんな時間にファミレスで過ごせる余裕のある人は早々いない。お客さんは自分の他に、飲みかけのメロンソーダを机に残しながら突っ伏して寝るジャージのおじさんだけだ。クリームあんみつに黒蜜をかける。速いのか遅いのか分からないスピードで黒蜜が落ちていく。雨が降り始めたのが窓に当たる雨粒の音で分かる。本当は季節限定の桃のパフェが食べたかった。しかしそんな勇気はない。クリームあんみつを頼んだ時に、アイスはバニラでよろしいですか?と聞かれたが、さも知っている風を装って、はい、と答えた。他のアイスも選べたのだろうか。抹茶とかにしてみたかった。近くの席に男性が来た。座るとすぐに、キャラメルハニーパンケーキ3段重ねで、と注文していた。その勇気をくれ。次に女性が来た。この人も座るとすぐに、グラスワインください、と注文していた。みんな決断が早い。

 

 8月10日15時40分幡ヶ谷デニーズにて
キャラメルハニーパンケーキを注文。クリームあんみつからの成長!しかし、本当に食べたい桃のパフェはピンク色なので難易度が高い。
アイスコーヒーが美味しい。飲むときにストローを持ちながら吸うと、コーヒーの冷たさでストローが一瞬ひんやりして気持ちいい。幡ヶ谷のデニーズには無いのだが、時々、アメリカの映画やドラマで見るダイナーのカウンター席のような場所を持つデニーズがある。見かけると得した気分になる。うわー海外っぽい〜、と思うだけなのだが。エイドリアン・トミネ『キリング・アンド・ダイング 』の表紙にデニーズが描かれていたことを思い出す。
17時になる。夕陽が窓から差してきた。パンケーキの上に乗っていたアイスクリームが溶けて、はちみつと混ざり合い、キラキラと反射した。甘美だと思った。途端に、甘美だと一瞬でも思ったことが恥ずかしくなった。
向かいの席に座っていた女性がお子様パンケーキを頼んだ。マニュアルにあるのだろう。店員はカゴに入ったおもちゃを持ってきた。その女性は始めは戸惑っていたが、店員が去ると1人でニコニコして、カゴとおもちゃの写真を撮っていた。さっきまでその人は、友達らしき人と一緒に居た。きっとその友達にLINEでも送ったのだろう。いつでも誰かと面白いことを共有できる世界は幸せだと思う。
それと同時に、SNSなどで流れてくるペットや赤ちゃんの可愛い動画を見たとき、もし、その瞬間を捉える方法が世の中になかったら、当たり前だがその瞬間はそれを目撃した人だけのものになっていたのだろうと思う。それはそれで良い。多くの人にとってつい最近までそうだったわけで、今でも捉えられていないそんな瞬間は世界に溢れているはずだ。
デニーズでの後ろの子どもと母親の会話

どれ食べる?

いちごミルクかき氷!ミニ!

ご挨拶もそんなにしっかりとできたらいいのにねー

 

8月15日12時20分幡ヶ谷デニー
群馬の太田市美術館に展示を見に行くつもりが早起きできなかったので、だらだらといつものデニーズへ行く。お昼ど真ん中で喫煙席しか空いておらず、喫煙席へ。たばこは吸わないが喫煙席への拒否感はそれほどない。なんせ3年間もの間ルノアールでアルバイトをしていたからだ。アルバイトをしていた頃は、びっくりするほど全身がたばこ臭かった。アルバイトを終えて帰る頃には下着にまで臭いが染み付いていた。友達の喫煙者に、臭い気にならないの?と聞くと、まったく気にならないと言っていた。気にならないというかもはやその匂いに気づいてもいないらしい。
オムライスを注文。食べたらすぐに眠くなってきてしまった。早く家に帰りたくなる。隣の人の会話。

さっきハチ公バスであの人に会った。

だれ?

あの太ってる人。名前忘れたけど。なんかやることないからバスに乗ってぐるぐる回ってるんだって。