記録

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週末のこと

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今日も今日とて、こんな時間にファミレスにいる。1日なにもせず自宅でごろごろしてしまった無為さに夜になって気づき、せめて外に出ねばと自転車にまたがって向かった先はいつものファミレスで、24時間営業という懐の深さに甘えている。僕はお酒が飲めないので、誰にでも開かれているファミレスが24時間営業し、看板を明るく灯していることは救いだ。少しだけ週末のことを振り返る。

金曜日の朝、三谷幸喜とすれ違った。黒い犬を2匹連れて散歩していた。そのことを誰かにすぐ伝えたかったが誰にも伝えられず、三谷幸喜とすれ違ったという事実の面白さは鮮度が命のような気がしたのでツイッターでつぶやく程度にした。夜は、アルバイトを早めに切り上げさせてもらい、新宿のBEAMSでさんぴんの公演を観た。BEAMSというお洒落空間にガタガタ震えながらも楽しく観れた。ロロの板橋さんが出演していることもあってか、ロロメンバーが観に来ていた。今回は、とある縁で観に行かせてもらったのだがその方の仕事ぶりに感動してしまった。帰りは新宿からレンタサイクル。信号待ちでスマホをいじっていたら大森靖子のみっくしゅじゅーちゅがスピーカーから流れてしまうハプニングに見舞われる。ときに、「幸せのイメージは捉えた瞬間過去になる」はほんとに素晴らしい歌詞だと思う。「買ったけど着たことないビキニがあるからお風呂はいろ」も好きだ。家に帰る前にスーパーで買い物をする。カゴの中に、トマトとかレタスとか豆腐を入れる瞬間は、なんだか生活をしている実感があり、生きているという感じがする。

土曜日は、午前中に起きてご飯をちゃんと作り食べてから、武蔵野館に『きみの鳥はうたえる』を観に行った。自分はまったくもって登場人物に感情移入ができず、あのダメな書店員に共感してしまうような人間なのだが、映画的魅力に満ち満ちていて素晴らしかった。『夜空はいつでも最高密度の青色だ』同様に石橋静河は魅力に溢れていたし、カラオケでの染谷将太のあの視線にもやられた。新宿の紀伊國屋に寄ったらとなりのビルがなくなっていて側面が丸見えで驚いた。帰宅し、本を読んだりして過ごした。夜に、ラジオを聴きながらささみを茹でて割いていたのだが、この時も生活している実感があった。

日曜日は本当になにもしていない。ベッドの上でごろごろしたままで夜になり今に至るわけだ。

最近は何故だかわからないが、小学校や中学校の時に、不登校になってしまった人のことを思う時がある。当時の彼らや彼女たちに想いを馳せることは、とても独善的で勝手なことだと思い、辛くなる。小学校3年生の時、友達がそこにいるからという理由で、学校内にある畳のひかれた6畳ほどの部屋によく通っていた。そこで、将棋やオセロをその友達とよくしていた。今思えば、そこは教室に通えなくなってしまった人が行くところで、彼がなぜそこにいるのかよくわかっていなかった。しかし、僕は遊び相手がそこにいるから休み時間のたびに通っていたのだと思う。今となっては彼の名前も顔も思い出せない。また別の話なのだが、小学4年生になる時に僕は転校した。転校した後も、前の学校で仲の良かった人と年賀状を通じて交流をしていた。中学になった時、その友達から久しぶりに会いたいと年賀状に書かれていた。中学に上がり、色々あって学校に行けなくなってしまったらしい。彼は小学校の時、サッカーチームに入っていて、かっこよくていわゆる元気なタイプだった。唯一家に泊まりに行ったことのある友達で、一緒にファミコンボンバーマンをやり、飼っていた小型犬に追いかけられたことを覚えている。そんな彼が学校に通えていないという事実に驚き、怖くなり、僕はなにも返事をすることができなかった。それ以来やりとりはなにもしていない。また、中学の時に同じクラスの人が学校に通えなくなった。彼女はたまたま自分の家の近くに住んでいたため、その母親が、なんで学校に行けなくなってしまったか分からない、いじめなどはなかったかと聞きに来た。僕は正直なところ、いじめのようなものを見ていたし、当時、クラス全体がその空気を察していた。僕はその母親に、具体的な名前を出すこともなく、なんとなくぼんやりとしたことしか伝えられなかったが、本当にありがとう絶対に名前は出さないから、と言われた。次の日、教室で担任の先生に呼ばれ、ありがとうと言われた。まず思ったことが、名前言ってんじゃん、だった。なんでこんなことを今になって思い出すのかわからない。とても自分はずるいなと思う。

もう夜の1時も過ぎたので帰ろうかなと思う。

夜の誰もいない道を自転車で蛇行しながら帰る。今日も夜の生ぬるい空気が気持ちいい。

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