3月31日(月)
肌寒い朝。『霜降りANN』を聴きながら仕事へ。
4月1日(火)
朝から雪。冬のコートを引っ張り出した。『空気階段の踊り場』を聴いた。かたまりが髭を生やし始めたらしいが大不評。夜は先日の『オールスター後夜祭』を観た。もぐら大活躍。
4月1日なんだからなんとなく月曜日であれよと思って誰かに言いたかったけど言えなかった。
4月2日(水)
朝から冷たい雨。『三四郎のANN0』を聴きながら仕事へ。『ガンニバル』5話を観た。しばらくは毎週水曜に配信される『ガンニバル』が日々の楽しみなってくれている。
4月3日(木)
昨日の『三四郎のANN0』の続きを聴いた。radikoの視聴期限は切れているがエリアフリーに登録しているので別エリアに変更して続きを聴くことがよくあるが、時間を遡ってジャンプしている感覚がタイムリープしているようでいつもちょっと特別な能力を得た気がして嬉しい。帰りは『爆笑問題カーボーイ』を聴きながら帰宅。
4月4日(金)
『マヂラブANN0』を聴きながら仕事へ。
4月5日(土)
職場の新年度の総会と懇親会。懇親会ではまともに誰とも会話できず、ひたすら手元のお品書きを眺めていた。お品書きがあってよかった。帰宅して佐藤正午『熟柿』を読み終えた。物語の力に圧倒されるような小説だった。妊娠中に轢き逃げを起こして刑務所で出産し、そのまま子どもと離ればなれになっていつか再会したいと願う女性の17年に渡る物語。確実に映像化されると思う。この一文だけで並大抵の小説ではないことが伝わる。
息子の顔見たさに何かひとつ事を起こせばそのたびにパトカーがやってくる。わたしはこれまで三回パトカーに乗った。そのことが繰り返される。それがわたしの人生になる。わたしはパトカーに乗り慣れた老人などなりたくないし、そんな母親の姿を息子に見せたくもなかった。そんな母親が自分の産みの母親だと知られるべきではなかった。
4月6日(日)
朝起きて昨日の懇親会のお品書きを空で言えるようになっていた。社交性の無さの効果がお品書きの暗記という悲しさ。先週東京で撮った写真の現像をした。



ドラマ版の『ラストオブアス』を観始めた。原作ゲームが好きすぎるあまりドラマを敬遠していたが、原作の改変と撮影が本当に素晴らしい。シーズン2が再来週から始まるのでなんとか追いつきたい。
4月7日(月)
『真空ジェシカのラジ父』を聴きながら仕事へ。定時退勤。帰宅して『ラストオブアス』の続きを観た。
4月8日(火)
『三四郎のANN0』を聴きながら仕事へ。4月から11年目に突入らしい。始まった当初、『ゴッドタン』で散々つまらないと酷評されていたのが懐かしい。
4月9日(水)
とても明るくて暖かい朝だった。天気も雲ひとつなくまだ雪の残る山が綺麗に見えた。通勤時にいつも見かける散歩する犬もどことなくこの天気に喜んでいるようで弾むように歩いていた。小学校低学年くらいの男の子が石を蹴りながらゆっくり歩いていたので早足で追い抜かすと急に歩くペースを上げて抜かれまいと併走してきた。登校と通勤のデッドヒート。あまりにも小学生の男の子の行動として正しいような気がした。
駅のホームで電車の隙間にスマホを落としたまだ高校生になりたてのような女の子がいて、駅員が長いマジックハンドで拾っていた。駅のホームの柱に貼られているあのイラストそのものの光景だった。その様子を車内から10人くらいの坊主の高校生が椅子に座りながら体をひねって窓に張り付くように凝視していた。坊主10人に見つめられたら恥ずかしくて自分だったら泣いてしまう。女の子は不安げな表情をしていた。
職場の最寄駅でいつもすれ違う人がいて、その人のコートが冬から春仕様に変わっていた。シワもなく形も綺麗だったのできっと新品のコートで、この人は今朝、今日が春だと思ったから新しいコートを着ていこうと決めたのだと思ったら勝手に嬉しくなった。
仕事が終わってちょうど良い時間の電車がなかったので駅前から出ているバスに乗った。発車するのを待っていると家族らしき親子が乗ってきた。幼稚園児くらいの男の子と女の子がいて、2人は色違いのお揃いの帽子をかぶっていた。電車から降りてきたようで切符を大事そうに握っていた。男の子が切符を「俺のちっぷ!」と言っていて、妹が真似して「おれのちっぷ!ちっぷ!」とはしゃいでいた。父親が男の子には「切符ね」、女の子には「俺じゃなくてわたしね」と正していた。住宅街でその親子は降りてゆき、バスには自分ひとりだけになった。窓の外の馴染みのない景色をぼーっと眺めていると、住宅街に点在する桜の木が時折り目に入った。なんだか春めいている日だった。
4月10日(木)
『空気階段の踊り場』を聴きながら仕事へ。『バトルロワイヤル』が再上映され、初日に観に行ったもぐらの大興奮が最初から最後まで続いた。好きなものへの熱狂的な語りは面白い。
4月11日(金)
『爆笑問題カーボーイ』を聴きながら仕事へ。太田さんが『赤毛のアン』にいかにして感銘を受けたかを熱く語っていた。太田さんが自身の影響を受けたものを話す時は本当に良い。たとえそこで描かれていることが正しくなくてもその正しくなさに救われたと話すことがよくある。何度も書いているが亡くなったら1番悲しい芸能人は爆笑問題だ。仕事は3時間の残業。21時前に帰宅。『ラストオブアス』を観終わった。前半の原作を改変した上手さから後半はゲームとほぼ同じであまり面白さを感じなかった。
4月12日(土)
朝8時の電車で東京へ。駅前のパン屋でパンを買い、おつりを貰う時に100円を落としてしまった。遠くまで転がっていったので「後で拾いに行きます」と言うと、店員さんが走って拾いに行ってくれた。パンを受け取り、ぺこぺこと頭を下げながらお礼を伝え、焦りのせいでレジの出口ではなく入口に並んでいる人たちに逆行しながらお店を出た。電車では読みかけになっていた阿部和重『ブラックチェンバーミュージック』下巻を読んだ。
新宿へ着き、高円寺に移動した。muda(id:muda-muda)さんとお昼を食べる約束をしていたので時間まで駅の周辺をうろうろした。高円寺に住んでいたのは2014年から2018年で、その頃から色々と様変わりしたが高架下の変化には驚いた。かつてのバイト先のルノアールは健在だった。(わたしはここで池松壮亮にコーヒーを提供していた!)mudaさんと合流してエリックサウス高円寺ビリヤニセンターへ行った。並んでいたので名前を書いてしばらく待った。最近の面白ニュースとして、山梨にオープンしたコストコが開店前に行列ができ過ぎて朝4時に開店したというニュースを提供した。ラッキーオールドサンを聴きたくなるタイミングの話もした。mudaさんは飛行機が離陸する時で、自分は散歩している時と自転車に乗っている時。そんなおしゃべりをしていたら呼ばれたので、席に着いてチキンとキーマの2種が乗ったツインビリヤニを注文した。どちらのビリヤニもとても美味しかった。

食事を終えて、散歩をした。高円寺の西友のエスカレーターの遅さと地下の食品売り場の寒さを現地に行って伝えたり、自分が以前住んでいたアパートの前に行くなどした。あまりの懐かしさに震えた。よく利用していたコインランドリーも健在で、乾燥機の中では誰かの洗濯物が回っていた。

あの店は前もあってこの店は前はなかったなどと話しながら歩いて蟹ブックスへも立ち寄り、公園でmudaさんが買ってきてくれた桜餅と大福を食べた。春の心地の中で食べる和菓子は美味しい。東京の桜はもう散って葉桜になっていた。ときに葉桜って桜餅みたいな色合いで好きだ。

mudaさんが代々木公園でお花見の予定があるとのことで途中まで着いていった。代々木公園で別れてしばらく公園を散策した後にSPBSに寄るなどして歩いて渋谷まで向かった。久しぶりにSPBSへ行ったが新刊だけではない選書がとても良かった。
夕方から日比谷野外音楽堂での「kanekoayano 野音ワンマンショー 2025」へ行った。


相変わらずカネコアヤノは力強くてカッコいい。バンドとしてのkanekoayanoもグルーヴ感があり最高だった。今日は「爛漫」の歌詞と「さびしくない」と何度も連呼する姿に涙ぐんだ。
お前は知るのか
季節の終わりに散る椿の美しさを
今回もライブ時間は1時間45分とタイトかつMCもアンコールも無しでかっこよかった。公演終わり、偶然観に来ていた『誕生日の日記』でご一緒した柴沼千晴さんと少しだけご挨拶をした。初めて会う人との会話に極度に緊張してしまうのでまともな話もできず、「帰りのバスの時間があるので…」などとごにょごにょ言って別れてしまった。新宿に向かう電車で自分が情けなくなった。松本には21時45分のバスで帰る予定でまだ1時間以上あったので「ル・モンド」でステーキを食べた。1800円でできる最高の贅沢だ。

お腹を満たしてバスに乗った。長距離の夜行バス以外でこんな時間に乗るのは初めてで、てっきり車内の電気は消えるものだと思っていたが点いたままだった。ラジオを聴いたりカネコアヤノを聴いたりうとうとしたりした。家に着いたのは深夜1時半頃だった。
4月13日(日)
朝から雨だった。日帰りで東京へ行くことがほとんどないので体が疲れていて午前中はずっとだらだらしていた。ふと思い立って沖田修一『0.5の男』を観始めたらあまりに面白く一気に全5話観てしまった。松田龍平の唯一無二の発声と佇まいよ。沖田修一監督作品のまなざしはいつも温かい。
午後から『片思い世界』を観に行った。前評判がいまいちだったので身構えていたが、個人的には信じられないくらい良かったしずっと涙ぐんでいた。たしかに変な映画だ。けれども、坂元裕二の描く「気持ち」や「想い」の部分の純度が非常に高く、坂元裕二作品のその部分に強く惹かれているため見事に打ちのめされた。近年もてはやされてきたいわゆる名言のようなセリフもほとんどない。『カルテット』などの最近の作品よりも『それでも、生きてゆく』や『往復書簡 初恋と不倫』と同じフィーリングを持った作品だった。なにより「私たちはかわいそうじゃない」が描かれた作品にめっぽう弱い。脚本が破綻しているとか設定に穴があるなんてもちろん承知の上で作られているのは明白で、どんなにいびつでも祈りや願いが込められている作品のことは愛してしまう。きっと彼女たちは今もどこかで生活をしている。そう思わずにはいられない。少しだけハイバイの『霊感少女ヒドミ』を思い出した。

映画を観た後に昨日東京で撮った写真の現像をした。花ばかりを撮っていた。



