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雨の降る日々

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雨の降る毎日が続いている。パッとしない日々で、でも街角のふとした瞬間に眼前に現れる紫陽花なんかに綺麗だなと思ったりする。最近なにかあったかと問われれば何もない。仕事へ行き、働き、疲れて家に帰ってくる。仕事は今のところまったく辛くない。今思い返すと、新卒で入った会社なんだったんだ。しかし、この日記を書く時間がなかなか取れない。いや、取れないのではない。書くことがないのだ。あのなにもない日々は、ひたすら散歩をしていて散歩をする度になにかを思い付くし、なにかと出会うことができた。そろそろ散歩に行かねばならない。しかし、いかんせんこの天気だ。どうしたって部屋に引きこもりたくなってしまう。この怠惰さはどうにかならないものか。

数ヶ月ぶりに映画を観に行った。石井裕也監督『町田くんの世界』だ。主演2人がオーディションで選ばれた無名の新人で、脇を固める役者が豪華という情報だけを頼りに観に行ったのだが、これが予想を遥かに超える良い作品だった。演技経験がほとんどないという主演の細田佳央太、関水渚はスクリーンの中でしっかりと存在感があり、愛おしかった。登場人物を愛おしいと思わせた時点でもう映画として勝ちなのだ。高校生の話なのだが、この主演2人以外はまったく高校生に見えない。それが素晴らしい。前田敦子も太賀も高畑充希も誰も高校生に見えない。その感じがロロのいつ高を思い出させた。池松壮亮もとても良い役所だった。町田くんと池松壮亮の掛け合いのシーンがすこぶる良くて、そこだけもう一度見たい。池松壮亮の発話の上手さが存分に発揮されていた。『横道世之介』でも、お風呂のシーン素晴らしかったなあなんて思った。終盤、物語としてめちゃめちゃ飛躍する。文字通り、飛躍する。そこが賛否の分かれるところになっているらしいのだけど、僕としてはまったく問題なしだった。青春はなにが起こったっておかしくないのだし、好きという気持ちがあれば空だって飛ぶことができるのだ。

三鷹SCOOLで関田育子『浜梨』を観た。散々良い評判を聞いていたのだが、噂に違わぬ素晴らしさだった。過剰さのない、とても誠実な印象を受けた。でも、なかなか何が素晴らしかったのか言葉にしにくい。ああこれはたしかに演劇だなあと思った。

世田谷パブリックシアターKERA・MAP『キネマと恋人』も観た。これがもう本当に素晴らしかった。ロマンチックで切ない、誰でも楽しめるこんな演劇に敵うものはないのではないかとさえ思った。良い作品とはこのようなもののことを言うのだと思う。毎度ながらケラさんの作劇はどこまでも巧みだ。3時間半まったく飽きることがない。フィクションを信じながらも、現実もしっかりと見据えている。妻夫木聡はどこまでも愛おしかった。

ラジオは、毎週当たり前のように聴いていて、自分が何を聴いているのか整理したいのでここに列挙してみる。TBSラジオは、深夜の馬鹿力爆笑問題カーボーイ、メガネびいき、後はアルピー、ハライチ、神田松之丞。ニッポン放送クリーピーナッツ、佐久間さん、三四郎霜降り明星、オードリーという感じ。とてもベタなラインナップだ。中高生の時は、バナナムーンも不毛な議論も夢中になって聴いていたのだがいつのまにか聴かなくなってしまった。しかし、先週のビッグニュースである山ちゃんの結婚で久しぶりに不毛な議論を聴くと不覚にも最後の部分でウルウルときてしまった。ラジオを聴きながら泣きそうになるという経験は一度だけあって、実はそれも不毛な議論だった。たしか高校1年生ぐらいの時に、ももクロゲスト回で早見あかり卒業のラジオドラマがあり、それを聴いて深夜一人で泣いたのだった。今回の結婚に対する山ちゃんの葛藤と、それに対する今週の馬鹿力での伊集院さんのアンサーがとても良かった。

僕と山里くんを同類で心のねじ曲がった人間だと仮定すると、大丈夫だから。手を替え品を替え、黒いモノは湧き上がってくる。だから大丈夫。なんの問題もない。どんなに一瞬幸せのようなものをつかもうが、一切それはなくならないから。

普通の人にとっては、こんな感情は良いことでもなんでもないことなのだろうけど、この言葉は救いのように思えた。

他になにか最近はあっただろうか。ウィルキンソンの紅茶フレーバーに狂ったようにハマり、毎日飲んでいるくらいしか書くことがない。あとは、松屋の創業カレーもめちゃめちゃ美味しい。490円なのに1200円の味がする。

最後に、かが屋のこのネタの4分ぐらいからがめちゃめちゃナカゴーっぽくて好きだ。

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かが屋はもうすっかり大好きになってしまって、ずっと見ている。これから梅雨になって、どんよりとした日々が続くのだろうけど、好きなものを観たり聴いたりしてなんとか頑張っていこうと思います。

あの日の誕生日は

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5月最後の日、深夜2時55分からの映画を観る。深夜に観る映画は、しみったれた静かな映画が相応しいのかもしれないが、僕は『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』MX4Dを選んだ。初めての4Dに想像以上にわくわくした。傾いたり揺れたり、風が吹いたりでただただ楽しかった。5回ぐらい寝てはいるが。そりゃ深夜だから眠くなってしまう。怪獣たちが戦う場面以外は退屈なのである。人間はいいから怪獣たちよもっともっと入り乱れて戦ってくれー、と観ながら思っていた。4Dと聞いて思い出すのは、藤岡拓太郎さんの1ページ漫画、「あこがれの4DX」だ。あの漫画の家族がとても愛おしい。

 5月24日に、25歳の誕生日を迎えた。うひゃー大人じゃん、と我ながらに驚いてしまう。毎年こんなことを書いている気がする。幸いにも3年以上ブログを書き続けているので、過去の誕生日の日や前後に何が起きて、何を思っていたのか見てみようと思う。とは言ったが、せっかくなのでツイッターも遡ってみた。2014年にはこんなことを書いている。

これは20歳になった時だ。映画『アイデン&ティティ』の再上映イベントに参加していた。このトークには峯田和伸もシークレットゲストで登場し、興奮したのを憶えている。こんなイベントに参加しているなんて、あまりにもそれっぽ過ぎて今では到底むりだ。上京したてだったので許してほしい。21歳になった時の記録が見つからないので、次は22歳になったとき。こちらはブログに書いていた。

最近のことやくるりのライブなど - 記録

個人的な話だと5月24日で22歳になった。なんだかもう取り返しのつかない年齢まで来てしまった。ついこの前までテレビや新聞で(22)なんて表示を見ると大人だと思っていたけど自分がその年齢になる時が来るとは。大人に見える人だって案外子どもなのかもしれない。物事に妥協していくことが大人になることだと考えているので社会で働き始めればいやおうなしに大人にさせられてしまうのかもしれない。

なにが社会で働き始めれば大人にさせられてしまうだ。お前は、入社3ヶ月くらいで会社辞めるぞ。次は23歳になったとき。

ここ数週間のこと - 記録

そういえば先週の24日で23歳になった。年齢を重ねることに特になにも思わなくなってしまったのでいつの間にか30歳ぐらいになっていそう。だけどどんな年齢になっても、年下の人に「若いねー」とか死んでも言いたくない。同年代でそういう人を見かけると恥ずかしくなる。

いつのまにか30歳になってそうってのはたしかに今でも思っている。23歳の自分よ、さほど考えは変わってないぞ。次は24歳。まずはツイートから。

ブログではこんなことを書いていた。

犬を飼いたいと一瞬思った - 記録

明日で24歳になる。まさかこんなにも胸が押し潰されるような気持ちで誕生日を迎えることになるとは思いもしていなかった。また毎日終電、休日出勤の日々が始まる。さっき、近所のローソンでラブレターズの塚本さんを見かけた。アイスカフェオレを買っていた。1年後の25歳になる時、自分はなにをしているのだろうか。

さて、1年後の25歳になった時自分がなにをしていたかといえば、夜の公園でひとりファミチキを食べていた。

仕事の休憩中の出来事だった。24歳から25歳にかけての1年は、予想もしないことがたくさん起きた。新卒で入社した会社を数ヶ月で辞めて、フリーターをして、自分で本を作ってそこそこ売れて、なんとか再就職に漕ぎつけた。そして、仕事の休憩中にファミチキをかじっているわけである。

25歳になった日は夜勤だったため、朝6時に仕事が終わった。家に帰ってから仮眠をしてお昼の回の藤田貴大作・演出『CITY』を観に行った。さすがに夜勤明けなので、何度か眠気に襲われた。そのせいだと信じたいのだが、あまり面白いとは思えなかった。アクションシーンとかはあれでいいのだろうか。ダサくはないのだろうか。でも褒めてる人たくさんいるし、僕が2階席で眠かったせいだろう。夜は、NHKホールでのceroのライブ「別天」へ行った。もはや、カッコよくて美しかった。「ロープウェイ」「街の報せ」はどうしたって感動してしまうわけです。その後に同じライブに来ていたヒコさん(もはやヒコ兄さんと呼びたい)と合流して、デニーズへ行った。誕生日なのでステーキをご馳走になった。ヒコさんもステーキを食べていた。デニーズから出ようとお会計をしていると、不意に声をかけられた。マーライオンさんだった。マーライオンさんとは前にアルバイト先が同じだった。ヒコさんとも前々から知り合いだと話を聞いていたので世間は狭い。僕はそのまま自転車で帰宅した。帰り道、ネズミが足にぶつかって、ひえーとなった。

これが僕の25歳になった日の出来事だ。来年は、どんなことをしているのだろう。これからどんな1年を過ごすのだろう。自分でも分からない。でも、できるだけ明るい未来を。

ただ粛々と

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前にも書いたことがあると思うのだけれど、岸政彦さんが早稲田文学に寄せた快楽についての文章が狂おしいほどに好きだ。度々読み返し、心の拠り所としている。

まず、快楽は、たくさん得たもののほうが勝ちだ。そしてその快楽は、ヤバければヤバいほどよい。社会規範からの逸脱が遠くて深いほど、その快楽は尊いとされる。そして、そういう逸脱的な快楽を深く味わった者は、それだけ「人間らしい」とされる。そういう人間が「本当の人間」なのである。

私はそんなものは大嫌いだ。香港の地下の怪しい売春窟も要らないし、背徳的なセックスも非合法の薬も要らない。

私がいちばん好きなのは、近所を散歩すること、月イチぐらいで訪れる那覇でひとりで飲み歩くこと、家で飼っているおはぎときなこという名前の猫のお腹に顔を埋めて匂いをかぐこと、風呂に入ることだ。これ以上の快楽はいらない。(中略)どうして快楽は、社会規範から逸脱「していないといけない」のだろう。たしかに、例えば非合法の薬物の効果は絶大だろう。ケミカルなものの力をあなどってはいけない。しかしそんなもの、ある程度の覚悟さえあれば、カネを出せば誰でも買える。そんなものに興味はない。

私は断固として、日常を、この人生を生きようと決めたのだ。私のこのくだらない、意味のないこの人生の、かなり早い時期にはっきりと、私は自分の人生を生きると決めた。

「私はそんなものは大嫌いだ」この一文にどれだけ救われたか。僕は、ただただ粛々と毎日を生きていきたいと思っていて、そんな時にこの文章は支えになっている。ドラマチックなことも逸脱もいらない。

なんでこんなことを書いているかというと、どうしようもないほどに胸が苦しくなるような出来事があったからだ。久しぶりに夜も眠れないほどに。けれども、僕はこれまでのように自分の人生を粛々と生きていく。だってそうするしかないのだから。

終わらない1日

午前4時には空は明るくなって、朝6時の朝日はとても眩しいことを知った。2週間前から新しい仕事が始まった。夜勤が週に何度かある仕事で、夜の21時に出勤して翌朝6時までなんて日が度々ある。先週は、そんな日が3日連続であった。夜に家を出て朝に家に帰ってきて昼間に寝てまた夜に家を出る。夜に寝ることによって1日の終わりを体感していた身としては、終わらない1日が永遠に続いているかのようだった。ずっと1日が延長されているのだ。

新しい職場の休憩室には他に誰かがいることが多く、落ち着かない。ご飯もどこで食べていいか分からず、最初はコンビニのイートインにいた。けれどもなんとなく味気ないというか同じ職場の人にイートインにいる姿を見られたので恥ずかしくなり、最近は近くの公園で過ごしている。高台にある公園で、とても居心地が良い。昼間は散歩する犬を眺め、深夜は月を見上げ、遠くに見えるマンションのてっぺんで瞬く赤い明かりを眺めながらラジオを聴いたりしている。つい昨日なんかは、深夜の公園でコンビニで買ったカツ丼を食べた。深夜2時に公園でカツ丼を食べる未来なんてまったく予想していなかった。そんな夜勤の続く毎日にEMCの「東京で考え中」なんかを聴いてしまうとグッとくるのだ。深夜、いつもの公園から見える月。

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夜勤も多く、仕事のリズムがつかめていないので、映画も演劇もほとんど観れていない。唯一観に行けたのは、ローザス『A Love Supreme〜至上の愛』と小田尚稔の演劇『善悪のむこうがわ』の2つだ。ローザスは、ダンスについてまったく知識のない自分でさえその素晴らしさに打ちのめされた。ジョン・コルトレーンの「至上の愛」を音楽に踊るわけだが、冒頭の無音で踊る姿にすでに引き込まれた。いや、もはや踊ってすらいない、舞台の上にただ立つたたずまいそのものが美しかった。小田尚稔の演劇は、美術手帖VOLVOのコラボによる異色の公演で、会場もボルボスタジオ青山というショールームで上演された。場所が変わったからといって小田さんの作品にブレはなく、素晴らしい作品だった。僕は本当に小田さんの作品が好きで、いま一番面白い演劇はなに?と聞かれたら小田尚稔の演劇と言うだろう。

映画は観に行けていないが、国立西洋美術館へ展示「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ−ピュリスムの時代」を見に行った。 

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どうでもいいことだが、ずっとコルビジュだと思っていた。数年前までコルビジュって言ってませんでしたか?気のせいですか?いつからコルビュジエになったのだろう。展示は、キュビズムの影響を受けた後のコルビュジエの絵画がとても良かった。「多数のオブジェのある静物」のような、いくつもの物の重なりが透過されて描かれ、一つ一つの輪郭が曖昧でけれども綿密に計算された構図である作品に惹かれた。絵を見ながら、同じ場所にありながら重なりが曖昧になる表現が、演劇っぽいなーなんて思ったりした。

漫画は、田島列島『水は海に向かって流れる』が面白かった。もう、タイトルが抜群に素晴らしい。あとどのくらい続くのだろう。

仕事が始まって2週間が経ち、当たり前だがまだまだ慣れることはない。けれども、それほど辛いとか苦しいとかはなくて、この仕事なら続けていけそうな気もしている。見てわかる通り、日記の更新ペースは下がってしまっているのだけれどこれからも細々と書いていきます。来週も夜勤が何日かあるので、午前4時にぼんやりと外が明るくなっていくのを眺めるのだろう。

ずっと在り続ける

ゴールデンウィークが終わる。それと同時に、僕は約1年ぶりの社会復帰となる。1年ぶりの正社員。販売業なので、お店に立つこととなる。どうなるのだろうかという不安しかない。まあ、頑張るしかないのだけれど。

今週観た、ほりぶん『飛鳥山』がとんでもなく面白かった。ナカゴー、ほりぶんに関してはもう観てくれとしか言えない。終盤のぶん投げるような力技にどうしても印象を持っていかれてしまうのだが、物語を見ていくと、登場人物一人一人に心の動きがあり、ドラマのある話となっている。あんな演出や俳優の演技があり、さらにはドラマのある台本も書けてしまうなんて前々から言い続けているが、ほりぶん、ナカゴーは最高だ。それでいて、思いっきり笑えるのだから。

ストレンジシード静岡の初日へ行った。朝6時半にヒコさんの運転で東京を出発した。渋滞があり、最初に観る予定であったロロ『グッド・モーニング』の開演ぎりぎりに到着した。劇場ではなく、本物の駐輪場で上演される『グッド・モーニング』はたまらないものがあった。風で木が揺れ、蝶が宙を舞い、鳥のさえずりが聞こえる。その全てと虚構である演劇が調和し合っていた。数年前の、井の頭公園でのロロによる野外劇も良かったなーなんて思い出していた。その後は、ままごと×康本雅子を観た。うーん…となってしまった。次に観た範宙遊泳『フィッシャーマンとマーメイド』は、ポップでやわらかく素晴らしかった。演劇は、誰にでも開かれている作品であるべきだよなーと思った。早起きと立て続けの観劇に疲れてしまったのでストレンジシードは終わりにして、さわやかのハンバーグを食べに行った。1時間半ほど待ち、相変わらずの美味しさに幸せを感じた。何度食べても初めて食べたときの美味しさを味わうことができる。ハンバーグを堪能して、16時前に帰路に着くべくお店を出発した。ここからが地獄の始まりであったのだ。帰りは、僕が運転することとなっていた。高速に乗るとすぐに渋滞にハマってしまう。なんとそこから6時間、静岡から出ることができず永遠と運転席に座り続けることとなったのだ。こんな渋滞に巻き込まれたのは初めてだった。しかし、車内でアルピーのラジオをみんなで大笑いしながら聴いたのは幸福な時間だった。動くことのない車内で途切れることなく笑い続けていた。それでもさすがに睡魔に襲われ、都内へ入る前にヒコさんに運転を代わってもらい、後部座席で寝た。結局、家へ着いたのは深夜2時前だった。16時に出発して深夜2時に帰宅とは、静岡から東京への移動とは思えない。死んだように寝た。

最近読んだものは、ロバート・ウェストール『禁じられた約束』だ。とても素晴らしかった。しかし、序盤のボーイミーツガールの初々しさと終盤の辛さに、これは本当に児童文学なのか…となっていた。あまりにも辛すぎる。ちなみにこの作品の一節を宮崎駿は引退会見で引用している。

あと、日刊サイゾーの連載も更新されていた。光用千春『コスモス』と斉藤倫『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』についてです。

業田良家・石塚真一・浅野いにおが絶賛した気鋭の漫画家が描く「世界との出会い方」|日刊サイゾー (2019.05.02)

今日は、文学フリマ東京へ出展した。 

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とても緊張した1日になった。新刊、既刊ともに40部ずつ持っていったのだが、ありがたいことに完売した。たくさんの人が来てくれた。ブログ読んでます!であったり、前作買いました!などと言ってくださる度に、その人を抱きしめて感謝したくなった。まったく前情報を知らずに、その場で立ち読みをして買ってくれる方も何人もいた。もう僕はみんな大好きだ。ありがとうありがとうと買ってくださった方々がいるであろう方角すべてに手を合わせて感謝している。こだまさんや、『百年の孤独を代わりに読む』の友田とんさんも自分の本を買ってくださった。さらに、九龍ジョーさんにも僕の本の存在を知っていただいていた。こんな嬉しいことがあるのだろうか。サインを頼まれたのでサインをした。その時は、初サインです!と言ってしまったのだがよくよく考えてみると初サインは、歌人の木下龍也さんだった。

ずっとブースにいたので終わりがけに、駆け足で買いたい本を買いに走った。

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『Didion 02』『仕事文脈vol.14』『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する』『ODD ZINE』を買った。ブースに来てくださって、ご自身でも出展されている方々が何人もいらっしゃったのですが、足を運びます買いますとか言いながらまったく行けなくてごめんなさい。なにかしらの方法があったら買います。

そんな感じで無事80冊を完売させた。今回の文フリの売り上げで、『やがてぬるい季節は』は、300冊を超えた。本当にありがたい。新刊の『日々はすべて穏やかな一日に』も今回の先行販売と予約分を合わせて100冊に到達した。嬉しい限りだ。まだまだ予約は受け付けているので、ぜひ。

https://miwa261.stores.jp/items/5cbb4427d211bf5411537a1b

明日から、働き始める。どうなるかは誰にもわからない。正直なところ、一度仕事を辞めているのでとても不安だ。まあ頑張るしかないと最初に書いたが、自分で作ったものがたくさんの人の手に渡り読んでもらえている、そんなことが辛いことがあってもこれからの自分の支えになるような気もしている。この支えは、以前の自分にはなかったもので、これからの自分にずっと在り続けるものだ。そう信じている。 

いつも通りの日々

今日は平成最後の日で、でも正確にはいつから令和になるのかよく分からない。24時からなのだろうか。そうなのだとしたら、令和になる前にこれを書き終えたい。平成を振り返るほど平成を生きていないので、最近のことを振り返る。

先日、藤子・F・不二雄ミュージアムへ行ってきた。恥ずかしながら初めて行ったのだが、とても楽しく、テンションが上がった。テンションが上がり、クリアファイルやフィギュアなど、グッズをたくさん買ってしまった。いまや家の本棚には、チンプイ、ドラミちゃん、ポコニャンがいる。

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ふと視線を上げた先に可愛いたちが鎮座していて日常が明るくなった。

ヒコさんに誘われて、所沢の「エミール」へシュークリームを買いに行った日もあった。所沢の「エミール」とは、オードリー 春日家御用達のお店であり、日向坂46も食べているシュークリームのあるお店だ。所沢へは、練馬から西武池袋線沿いをひたすら自転車を漕いで向かった。約3時間の道のりは、行ったことのない場所ばかりで新鮮だった。石神井公園の大きさとその周辺の家々の豪邸ぶり。あだち充作品で描かれる富士見台、清瀬や秋津の緑の豊かさなどなど飽きない風景が続いた。なんとか所沢へたどり着き、「エミール」でシュークリームを買った。

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オードリー がネタ合わせもした所沢航空公園で食べた。めちゃめちゃ美味しくてぺろっと食べてしまった。当たり前だが、来たからには帰らなくてはならず、再び自転車で3時間をかけて都内へ戻った。さすがに帰りはへとへとで、家に帰ってきてから死んだように寝た。最近は毎週のようにヒコさんに遊んでもらって楽しい。あの憧れのヒコさんがこんな身近な人になるとは思いもしていなかった。

最近読んだものは、光用千春『コスモス』と斉藤倫『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』だ。どちらもとても素晴らしかった。この2つの感想は連載で書いたのでいつか更新されるでしょう。『ぼくがゆびを〜』は装丁も素晴らしくて、誰が作ったんだろうなあと奥付を見たら名久井直子さんで、やっぱりなあ凄いなあとなった。この数日後、なんとなく本棚から引っ張り出してきて柴崎友香、田雜芳一『いつか、僕らの途中で』を読んだ。この本はとても好きな作品で、往復書簡なのだけれど、手紙と手紙の間に描かれたイラストが時間や距離も描き出して素晴らしいのだ。今回再読して、カバー裏綺麗だなあとか思って装丁を見たらこの本も名久井さんで驚いた。世の中の良い本全てに名久井さんが関わっているのではないかとさえ思った。

平成最後の日の今日は、午前中に『シャザム!』を観た。想像の何倍も面白くて観た後の満足感が大きかった。疑似家族作品の新たなマスターピースだ。映画館を出たら思わず「シャザーム!」と叫びたくなった。夜は、『柴田聡子の神保町ひとりぼっち 2019 Apr.』へ行ってきた。こんな狭い空間で柴田聡子の歌を弾き語りで聴けるなんて、これほど幸せなことはない。聴きながらずっと、なんて良い時間を過ごしているのだろうかと思っていた。メロディーはもちろんのこと、やはり歌詞がとんでもなく素晴らしい。好きな歌の「涙」も「遊んで暮らして」も「ジョイフル コメリ ホーマック」も聴けて嬉しかった。帰りは、神保町のボンディでホタテカレーを食べて帰った。良い平成最後の夜になった。

最後に少し告知を書きます。5月6日の文学フリマ東京で、新刊の日記本『日々はすべて穏やかな一日に』と既刊の『やがてぬるい季節は』を販売します。ブースはア-49です。

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既刊の『やがてぬるい季節は』には、こだまさん、佐久間宣行さん、ヒコさんにコメントをいただきました。

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こんな素晴らしい方々の言葉が自分の本の帯になるなんて夢のようです。当日は緊張しますが、頑張ります。いや、でも、緊張するなあ。

平成最後の日記は、告知でなんだか味気ないけれど、なんとか令和になる前に書き終わりそうだ。令和にもうしっくりきている自分がいる。

好きなものを好き勝手に

暖かい日差しのさす午後、自転車に乗ろうとサドルに触れると、とても温かかった。その時、市民プールの駐輪場やどこかの公園を思い出し泣きそうになった。夏の暑い日、自転車に乗っていった市民プールや立ち漕ぎをして向かった公園は、本当に記憶の中にあるのかそれともイメージの中だけなのか自分でも定かではない。ただ、太陽の光で熱を帯びたサドルの手触りは心地の良いものだった。

2週間ほど前に、台湾へ行っていた。台南と台北に行っていたのだが、台南はとても暑く、日中は30度以上あった。台北4回目、台南2回目なのであらかた観光はし尽くしているが街並みを見ながら歩くのはそれでも楽しい。もはや台湾へ散歩しに行っているようなものだ。今度ゆっくり旅行記は書くつもりなので少しだけ写真を載せておく。

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あまり台湾感のない写真ばかりだ。色々美味しい物も食べたので早く旅行記を書きたい。

台湾から帰ってくる飛行機の中でイアン・マキューアン『贖罪』を読み終わったのだけれど、あまりに素晴らしくて旅行の思い出が全て吹き飛んでしまった。読み終わった後、「物語」ということそのものについてずっと考えてしまった。台湾から帰ってきた翌日は、渋谷のHMV&BOOKSでいがらしみきお先生と齋藤陽道さんの筆談トークへ行った。スクリーンに映し出されるお二人の文字をひたすらに目で追いかけた。お二人とも聴覚障害という共通点があり、聴こえないぶん、見ることへの意識が飛び抜けているように思った。いがらし先生にサインをもらって帰った。

今週の火曜は大学へ行って社会人なども参加できる自主ゼミへ行った。贅沢貧乏の『ハワイユー』を映像で観た。録画映像の客の中に自分がいてなんだか不思議な気分になった。この自主ゼミは僕の卒業したゼミの教授が開いているもので、来週は贅沢貧乏の山田さんがゲストに来て、今後はゆうめいの池田さん、いいへんじの中島さん、演劇ジャーナリストの徳永京子さんがいらっしゃる予定なので楽しみだ。

水曜は、バイト終わりにダッシュで新宿のタワレコへ行き、カネコアヤノのインストアライブを聴いた。めちゃめちゃ人がいて姿を見ることができず、音だけを聴いた。「セゾン」がとても好きだ。「愛のままを」も良い。


カネコアヤノ - 愛のままを

土曜は、ヒコさんとそのお友達と都内をサイクリングした。要町のかえる食堂で黒坦々カレーを食べたら汗が止まらなくなって恥ずかしかった。

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都内を色々と走り回り、母校を案内したり「古書ソオダ水」へ連れていったりした。夕方に青山へ移動してayU tokiORYUTistのツーマンへ行った。ayU tokiOは個人的に好きな曲である「米農家の娘だから」を聴けて嬉しかった。ストリング編成だったので音も重厚で聴きごたえがあった。RYUTistはayU tokiOが提供した「心配性」がやはりめちゃ良い。


RYUTist - 心配性【Official Video】

アイドルのファンに若干怯えていたのだが、控えめな好感のもてるファンだった。自転車で帰宅して、ロロ三浦さん脚本のNHKドラマ『腐女子、うっかりゲイに告る。』を見た。終盤はロロ節全開だった。夕方のバスの中でのセリフ、「好きなものを好き勝手に好きだって言える時間が一番好きだな」が良かった。

日曜は、自転車でアゴラへ行き、ホエイ『喫茶ティファニー』を観た。私たちの周りにある、見えているようで見えていない問題に真摯に向かっている、上演される意味のあるお芝居だった。様々なことを考えるきっかけになるし、この作品と時間をかけて向き合えば背景にある色々なことが見えるようになっていくような気がする。

面白かったラジオの話も書きたいが力尽きてしまったのでまた今度の機会に。霜降り明星のラジオと佐久間さんのラジオが面白いのは確かです。バラエティは、『相席食堂』が今週は面白さが復活していて安心した。時間が変わり、1回目2回目は途中で見るのをやめてしまうほどつまらなく、つまらなくて面白いみたいなことさえもなかったので辛くなっていたのだが3回目で息を吹き返した。

最後に、最近あまりブログを書けていなかったのは、新しい本を作っていたからだと言い訳させてください。前回の『やがてぬるい季節は』に続く日記本第2弾として『日々はすべて穏やかな一日に』という本を作りました。今回は、写真も載せたフルカラーです。先行発売を5月6日の文学フリマで行い、その後注文者の方にお送りします。もう予約販売は開始しておりますので手にとっていただけると嬉しいです。文学フリマについての詳細はまた後日お知らせします。以下が販売サイトのリンクです。

miwa261.stores.jp

宣伝ばかりで申し訳ないのですが、日刊サイゾーの連載も新たなものが更新されましたので読んでいただければ嬉しいです。かなり自由に書きました。

『ラジコフェス』『ソフィ・カル』『ハチクロ』~片想いと失恋をめぐる考察~|日刊サイゾー (2019.04.17)