記録

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ただ粛々と

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前にも書いたことがあると思うのだけれど、岸政彦さんが早稲田文学に寄せた快楽についての文章が狂おしいほどに好きだ。度々読み返し、心の拠り所としている。

まず、快楽は、たくさん得たもののほうが勝ちだ。そしてその快楽は、ヤバければヤバいほどよい。社会規範からの逸脱が遠くて深いほど、その快楽は尊いとされる。そして、そういう逸脱的な快楽を深く味わった者は、それだけ「人間らしい」とされる。そういう人間が「本当の人間」なのである。

私はそんなものは大嫌いだ。香港の地下の怪しい売春窟も要らないし、背徳的なセックスも非合法の薬も要らない。

私がいちばん好きなのは、近所を散歩すること、月イチぐらいで訪れる那覇でひとりで飲み歩くこと、家で飼っているおはぎときなこという名前の猫のお腹に顔を埋めて匂いをかぐこと、風呂に入ることだ。これ以上の快楽はいらない。(中略)どうして快楽は、社会規範から逸脱「していないといけない」のだろう。たしかに、例えば非合法の薬物の効果は絶大だろう。ケミカルなものの力をあなどってはいけない。しかしそんなもの、ある程度の覚悟さえあれば、カネを出せば誰でも買える。そんなものに興味はない。

私は断固として、日常を、この人生を生きようと決めたのだ。私のこのくだらない、意味のないこの人生の、かなり早い時期にはっきりと、私は自分の人生を生きると決めた。

「私はそんなものは大嫌いだ」この一文にどれだけ救われたか。僕は、ただただ粛々と毎日を生きていきたいと思っていて、そんな時にこの文章は支えになっている。ドラマチックなことも逸脱もいらない。

なんでこんなことを書いているかというと、どうしようもないほどに胸が苦しくなるような出来事があったからだ。久しぶりに夜も眠れないほどに。けれども、僕はこれまでのように自分の人生を粛々と生きていく。だってそうするしかないのだから。