記録

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束の間の

 

今夜ダンスには間に合う

散々な日でも ひどい気分でも

分かり合えなくても 離れ離れでも

今夜ダンスには間に合う

なにも持ってなくても 失くしてばかりでも

あまりにも手遅れなことがうんざりするほどたくさんあるけどまだ音楽は鳴ってる僕のところでも君の街でも

ここ最近はよく、思い出野郎Aチームの「ダンスに間に合う」を聴いている。辛さが常にあり、気持ちの浮き沈みが激しいのだか、こういった音楽に救われている。

youtu.be

いつだって苦しいよ

だけど今日はたのしい

カネコアヤノの「とがる」もよく聴いている。

youtu.be

ひどい気分だし、いつだって苦しい。それはかわらない。けれど、どこかで音楽が鳴っていることや、一瞬の楽しいことに束の間の救いがある。そんな束の間のことについて書いていく。

ここ数日は、漫画をいくつか読んだ。阿部共実『潮が舞い子が舞い』、ゴトウユキコ『夫のちんぽが入らない』3巻、和山やま『夢中さ、君に。』すべてが素晴らしかった。『潮が舞い子が舞い』は、永遠に続けばいいと思ったし、『夫のちんぽが入らない』は毎回表紙が美しく、ゴトウユキコさんの絵でこんなにもこだまさんの原作の持つ魅力を拡大することができるのかと圧倒されるし、『夢中さ、君に。』はもはや感嘆してしまった。

土曜は久しぶりにヒコさんと会い、カレーを食べに行った。霜降り明星粗品のフライデーの写真を見て笑ったり、今月発売される阿部和重神町トリロジーの新作のあらすじを読んで、絶対に面白いに決まってるなどと話した。山階基『風にあたる』をおすすめした。この歌集は、読み終わってからもふとした瞬間に部屋でぱらぱらとめくり読んでしまう。

ほっといた鍋を洗って拭くときのわけのわからん明るさのこと

この歌集に載っている、一つ目の短歌で、個人的にとても好きな短歌だ。

土曜の夜は、さきほどの漫画を読んだりしていたが、ふとした瞬間に気持ちがしんどくなり朝4時まで眠れなかった。日曜になって12時前に起きてバタバタと三鷹へ向かい、犬飼勝哉『ノーマル』を観た。「普通」についてのとても面白い作品で、素晴らしかった。そしてとても巧みだった。買い物をしたりして家に帰ってきて、カレーを作ったが気持ちが落ち着かずベッドに横になりそのまま眠ってしまった。20時頃起きて、カレーを食べた。

夜は、ユーチューブでキャンパスナイトフジを見ていた。放送されていたのはもう10年も前になるのか。高1の学校に行きたくなくてしんどい時に深夜見ていて救われていた番組だ。なんとなく検索したらたくさんあがっていた。とても下らなくてひどい内容だが、ハライチだってオードリーだってレギュラーで出ていたのだ。女子大生相手に10年前のオードリーはMCをしていた。今では日向坂だ。

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澤部さんはもはや少年だ。こちらは欅坂のMCをやっているわけで。後ろには岩井さんもいる。

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そして、テレビで曽我部恵一峯田和伸を見たのもキャンパスナイトフジが初めてだった。辛い時には無意識にキャンパスナイトフジを求めてしまうのかもしれない。

先々週のむつみ荘からのオードリーのANNが心底良かった。セックスの揺れで倒れたクリスマスケーキの上のサンタクロースを見て、ファーゴだと思った話の素晴らしさよ。高円寺に住んでいた時、むつみ荘が近かったので散歩がてら何度も見に行っていたことを聴きながら思い出していた。窓から顔出してないかななんて期待をしていた。

台風が来ているようだ。外からは風の音が聞こえ、雨粒が窓に当たっている。台風が去る頃には、辛い気持ちもどこかへ行ってしまえばいいと思うがきっとそうはいかないだろう。漫画を読んだり、ラジオを聞いたり、下らない番組を見たりして、そんなことに束の間の救いを求めている。

今日よりも

 

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今日は、今年初めて梨を食べた。近所のスーパーの出入り口付近に梨は置かれていて、1つ98円。そこはかつて桃が置かれていた場所だった。梨相場がまったく分からないのだが、きっと安いに違いない。梨はそれほど高いイメージがあるわけではないが、一目見てあの瑞々しさが口の中に広がり、すぐに手を伸ばした。今日スーパーで梨に手を伸ばした時は午前中で、箱の中にはぎっしりと梨が詰まっており、選び放題だった。まあ100円だし、なんて気持ちもあったが、最高の1つを持ち帰ろうと吟味した。とっておきの梨を見つけ、家に帰り、冷やす。そして仕事へ行き、夜帰ってきて冷えた梨を食べたのである。一口食べて、その瑞々しさと甘さにおいおいおいこんなのもう美味しすぎてどうかしてるよと、気持ちが満たされた。これはもうあれだ、美味しい甘い水だ。

なぜこんな梨のことばかりを書いているかと言うと、もちろん美味しかったからであるわけだが、実は今日、あまりうまく梨を剥けなかったのだ。仕事に対しての意欲もそれほどなく、成長したいなどの上昇志向もない、いつも定時で帰る僕は、やはりあまり慣れない梨を剥くことに関しても、まだ半人前なのだ。しかし、僕には桃の前例がある。桃は、常に昨日よりも今日の方が上手く剥けていた。きっと梨もそうなるだろう。僕にはまだ成長の余地が残されているのだ。部屋は相変わらず汚いし、服も脱ぎっぱなしだったりするけれど、生活の中の梨を剥くということに関してはこれから成長していく可能性があるのだ。それにしても、梨は美味しい。現時点で、98円を払って得られる幸せのなかで、梨を超えるものはないしきっとこれからもそんなものは現れないだろう。あんなに愛した桃は、梨から離れた場所にあって、180円になっていた。

皮と実のあいだにナイフを滑らせる同じ動きで浮気は容易に

 

miwa0524.hatenablog.com

 

昨日よりも

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最近は、桃ばかりを食べている。近所のスーパーの出入り口付近に桃は置かれていて、1つ100円。桃相場がまったく分からないのだが、きっと安いに違いない。桃は高いイメージがあるので、初めて見かけた時はすぐに手を伸ばした。そのスーパーで初めて桃に手を伸ばした時はもう23時近くで、箱の中には色の変わった桃が数個残っているだけだった。その時は、まあ100円だしこんなもんだよなという気持ちであったが、昼間にスーパーへ赴いたときに綺麗な桃たちも100円であることに、おいおいおいこんな綺麗な桃が100円でいいのかいと驚きと嬉しさで満たされた。ご親切にもポップには糖度も記されている。しかし、桃相場と同様、糖度の相場も分からない。とりあえず、甘いことはたしかだ。

なぜこんな桃のことばかりを書いているかと言うと、今日、桃がうまく剥けたからである。仕事に対しての意欲もそれほどなく、成長したいなどの上昇志向もない、いつも定時で帰る僕が、家に帰ったあとの夕食後、桃を剥くことに関しては日々成長しているのだ。常に、昨日よりも今日の方が上手く剥ける。部屋は相変わらず汚いし、服も脱ぎっぱなしだったりするけれど、生活の中の桃を剥くということに関しては成長していることが嬉しい。ここで言う上手く剥けるとは、より皮を薄く剥けるという意味である。より皮を薄く剥けるとは即ち、食べる部分が多くなるということだ。少しでも多く桃を食べたいというある種の意地汚さが僕を成長させている。それにしても、桃は美味しい。現時点で、100円を払って得られる幸せのなかで、桃を超えるものはないしきっとこれからもそんなものは現れないだろう。

昨日より上手に桃が剥けたから汚い部屋でゆっくり頬張る

ささやかな夏休み

先日、ささやかな夏休みがあったので大阪と京都へ行ってきた。行こうと思ったきっかけは、大阪の本屋「葉ね文庫」さんに自分の本が置かれていることと、もう一つはちょうど大阪で『わたしの星』が上演されていたからだ。

小旅行の当日は、朝7時の夜勤明けにそのまま東京駅へ向かい、新幹線に乗った。夜勤明けで寝ていないため電車の中で眠れるかと思ったがほとんど眠れず大阪へ着いてしまった。まず、西田辺にあるかき氷屋さんへ行った。「カリン」というお店で、前日に慌てて買った雑誌SAVYに載っていて美味しそうだったので向かったのだ。桃のかき氷を食べた。パフェのように桃がたくさん乗っていて美味しかった。このお店にいた、つむぎちゃんという2歳の女の子がとても可愛かった。店主の娘さんらしい。すぐ近くにあった、ホホホ座西田辺店へも行った。古本を何冊か買い、周辺をぶらぶらした。生活感のある古い建物が多かった。

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偶然、また古本屋を見かけ、入ってみると店主らしき人からビール飲みますか?と聞かれ、てっきり買わされるのかと思い断ったら、お中元でたくさんもらっちゃってさ、持ってってよと手渡された。そもそも自分はお酒をまったく飲めないのだが、なんだかその気のよさにすんなりと受けとってしまった。その後、中崎町にある「葉ね文庫」へ行った。店内は、決して広いとは言えないがとても多くの人で賑わっていて、それぞれの人がそれぞれの本を手に取り読んでいてとてもよい雰囲気だった。詩歌が多くを占める書店がこれだけ賑わっていることは、なにかの希望のようであった。そして、ついに、本屋に並ぶ自分の本とご対面である。

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もう素直にとても嬉しかった。店内を見て回り、欲しかった本を手に取って店主の池上さんに話しかけた。こういう時、本当に緊張してしまうのだけれど、とても柔らかい雰囲気の方で、すんなりとお話しすることができた。店内には短冊が飾られていて、お客さんが自由に短歌を書いているようだった。よかったら書いていってくださいと言われたが、とっさに何かをする能力が著しく欠けているので、凡庸な宣伝文句を書いた。偶然にも、岡野大嗣さんの隣に飾られることになった。岡野さんが僕の本を推薦してくださったおかげで、葉ね文庫での取り扱いが始まったのでなんだか嬉しかった。

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それにしても、本当に良い雰囲気の本屋さんで、この空間に置いてもらえていることが光栄でしかたなかった。ここで買った歌集、山階基『風にあたる』がもう本当に素晴らしかった。過剰さのないところが好きだ。

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葉ね文庫を後にして、今回の目的の2つ目である柴幸男『わたしの星』を観に読売テレビ10hallへ行った。その道中、御堂筋線の大好きなホームに出会えた。電灯がシャンデリアみたいになっている。

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肝心の『わたしの星』は、柴さんがそれぞれの土地の高校生たちと作り上げる作品で、2年前に三鷹で上演された際に観に行っている。今回は、大筋は同じだが内容が変わっていた。なにより、関西の高校生たちなので、言葉が関西弁なのがとても良かった。おそらく標準語で書かれていたであろうテキストが関西弁で発されることにより、彼女たちがそこで今生きていることを揺るぎないものにしていた。前説と後説も高校生スタッフが行っていたのだが、その子が自分のブログを読んでくれていて本も買ってくれている子だった。ツイッターでなんとなくその子がスタッフをやっていることは知っていたのだが、前説と後説で姿を見ることになるとは。とてもしっかりしていて、ああ頑張っているなあとそのことに感動してしまった。とにかく、色々なことを含めて大阪まで『わたしの星』を観に行って本当に良かった。

夜は、駅に入っているヤム邸でカレーを食べた。ヤム邸はやっぱり美味しい。駅中にこんな美味しいカレー屋さんがあるなんて最高だ。東京では下北まで行かないとヤム邸のカレーを口にすることはできない。京都にホテルをとっていたので、京都まで移動して倒れるようにして眠った。

翌日は、イノダコーヒー本店へ行きレモンパイを食べた。もはやこのパターンが京都でのお決まりになっている。京都芸術センターで展示を見た後に、再び大阪へ向かった。まずは、話題の「toi books」へ。簡単にぐるっと見回せるほどの店内ながら、まるで自分の本棚を見ているのではないかと思うほどの好きな本ばかりが揃っていた。こだまさんや、木下さん岡野さん、友田とんさんなどお会いしたことのある方の本が並び、居心地が良かった。本を買い、お店を後にして「餅匠しずく」で見た目が美しい上にとびっきり美味しい和菓子を食べた。和菓子に付いてきた冷たいほうじ茶もとても美味しかった。その後は、black birdbooksへ行った。そこでは、小西彩水さんの展示「それじゃ顔がわからないように」が開催されていた。小西さんの漫画は、最高に面白くて大好きだ。作品集の『Ayami Konishi』は、端正な装丁とは裏腹の内容に、初めて読んだときはやられてしまった。

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そして、今回の展示でのグッズのTシャツも手に入れた。

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仕事へ行く時に着ていくなど、もうすでに愛用している。blackbird booksはずっと行きたかった書店だったので、やっと訪れることができた。お店のある場所がとにかく良かった。周辺の写真を撮ったりもした。

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大阪の市内から少し離れた緑の多い場所に本屋があるのが素敵だ。

blackbird booksを後にして向かったのは、万博記念公園だ。ずっと念願だった、太陽の塔の内部の見学をした。1階のみ撮影可だったのであまり写真はないのだけれど、こんな感じだった。

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中心を貫くこの作品も凄いのだけれど、太陽の塔の腕の部分に感動というか圧倒されてしまった。あの未来感は、ぜひ本物を見てほしい。しかも、腕が通路になっていたなんて知らなかった。宇宙空間のどこかであるかのようだった。太陽の塔を出るともう夕方で、大好きな国立民族学博物館は閉まっていたので写真を撮ったりして帰ることにした。

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旅行の最終日は、京都の書店を巡るなどした。誠光社、恵文社、アローントコ、メリーゴーランド京都など、色々な場所へ行った。どこの本屋へ行っても欲しい本がそれぞれにあり、帰りは荷物が大変なことになった。美味しいものもたくさん食べたり、お寺に行くなどもしたが今回は割愛。帰りの新幹線は、高い駅弁を買ってお腹を満たし、幸福のまま家に帰ってきた。

自分の本が置かれているのを見に行くということと、演劇を観に行くことを発端に小さな夏休みを過ごしたが、思わず様々な場所を訪れることができた。関西は、良い書店が本当に多い。今回書店を巡った中では、葉ね文庫の印象がとても強い。もちろん、本を置いてくださっているというひいき目もあるかもしれないが、あの空間にはその場所やそこにある本が好きな人が集まっているという雰囲気があった。広くはない店内の、思い思いの場所に座り、お客さんが本を読んでいる姿が忘れられない。

どうでもいい生活の断片たち

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蒸し暑くなるひとつ手前の朝5時に白い毛の猫を見た。白い毛は、朝日を浴びてまるで自ら発光しているようだった。猫は、自分が発光していることなど露知らず、まだ熱くならないコンクリートの上にでっぷりと座り込んで眠っていた。

最近は、更新が滞っている。書くことがない。いや、日々日常は変わり続けているが、それでも書くことがないのだ。ひねり出して書こうとすると、見上げた空に浮かんでいた雲が犬みたいな形で思わず写真を撮ったみたいなことしかない。もういいか。そんなことばかりを書いていく。この前、道を歩いていたら、もう何度も歩いている道なのに、見たことのない看板が目に入った。その看板はもう錆びついていて、要するに、かなり前からそこにあったわけだがまったく目に入ったことがなかった。これは、なにかの例え話のようでなんの例え話でもない、ただ実際にあったことだ。

他には、仕事の休憩中にこの暑さのなかセミの鳴き声がうるさい公園のベンチに座っていたら、リードに繋がれていない犬が飼い主の後ろをとぼとぼと歩いて前を通り過ぎようとしていた。すると、ふと犬は立ち止まり、木を見上げた。セミの鳴き声を聞いているようだった。僕も一緒に見上げた。しばらく犬は上を向いたままだったが、我に返ったように飼い主のほうへ小走りで駆けて行った。

最近になってようやくハンカチを持ち歩くようになった。25年の人生にして新たな習慣を作る努力をしている。信号待ちをしている時にポケットからハンカチを取り出して汗を拭く瞬間なんかは、ひとつ人としての位が上がったような気さえしている。手のひらで汗を拭っていた過去の自分とはおさらばだ。

毎日本当に暑いので、ぐったりと家でバラエティ番組を見ている。やっぱり『相席食堂』はずっと面白くって、サンコンが「イッコンニコンタンコン」と言っているのにゲラゲラ笑ったりしている。定番ギャグの本人による言い間違えが面白いというのは発見で、いくつか前の回でスギちゃんの「ワイルドだろう」が「ワールドウォー」に聞こえたのも本当に笑った。ラジオも相変わらずたくさん聞いていて、最近面白かったなあと思ったのは、おぎやはぎのメガネびいきで脱毛ワックスを気持ち悪がる矢作とそれに触れず自分の話を進める小木のくだりがたまらなかった。やっぱり、ズレというか同時多発的に何かが起きている現象がたまらなく好きだし面白いと思うのだ。

最近は、お昼に王将ばかり行っている。定食を頼むんじゃなくて、一品料理プラスご飯という組み合わせでメニューの端から注文している。これに関しては特に書くことはなくって毎回ああ美味しいなあと思いながら食べてている。

こんな感じでもう生活にあったことを断片的に書くことしかできない。ちなみに、犬に見えた雲の写真はこれだ。もはや今見返すと、どれが犬に見えたのか自分でもわからない。

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晴れた日

久しぶりに晴れた日が続き、青空を見ることができている。あれだけ曇天模様が続いた後だと、晴れているただそのことが嬉しくてたまらない。じっとりとした暑さには、そのうちきっと嫌気がさすだろうけれど、今はその暑さにさえも、夏の到来を感じわくわくする。晴れた日に洗濯をする気持ち良さとか、窓の外に浮かぶ大きな雲が、早送りのように空を流れていくのを眺める瞬間は、今だけしか味わえないような、ぼんやりとした生きている心地を感じさせる。久しぶりに晴れた日は、カメラを持って散歩をした。空が、これでもかというほどに青く美しかった。

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加工をしたような青空で、偽物のようだ。あまりにも美しいものを見ると、偽物みたいだと思ってしまう。地元に帰ると、とても美しく日本アルプスの山々が見える。連なる山脈と雪化粧のその風景を見ると、いつも、ハリボテみたいだと思う。目の前に広がる山脈がバタンと向こう側に倒れそうな気がするのだ。どうして偽物みたいに思うのだろうと考えた時に、自分の中の想像の美しさと現実の美しさが合致した時に偽物だと思うことに気がついた。普通だったら、想像を下回ったときに偽物だと思うのだろうが、なぜか想像と現実が合致したときに偽物だと思ってしまう。ある種、想像の美しさはテンプレートのようなもので、だから現実と合致した時にその美しさは蔓延したもののように思えてしまうのかもしれない。唯一無二の美しさではないのだ。唯一無二の想像を裏切るような美しさに出会うことはなかなかないが、前職の仕事がとても辛かったとき、夕暮れ時のなんでもない路地がとても美しく泣きそうになったことがあった。あの日見た、路地が美しいという感覚は、きっとその時かぎりのもので、これまでもこれからも類型化されない。もちろん、青空は美しいし、誰もが美しいと思うものを美しいと思ってもいい。けれども、その瞬間にしか立ち上がらなかった自分だけの中にある美しさをずっと抱きしめていきたいし、また別のそんな瞬間に出会えることを信じている。たかが晴れた日のことで、長々とこんなことを書いてしまった。でもやっぱり、晴れるって嬉しいのだ。

最近は何があっただろうかと考えると、随分前になってしまうのだが、TABFことTOKYO ART BOOK FAIRに参加した。参加したというか、ナナロク社のブースに本を置いてもらい、手売りと店番をしていた。本を買ってくれる人やサインを求められたりすると、どうしようもないほどに恥ずかしくなってしまう。けれども、付箋をたくさん貼ってくれている人や、線を引いてくれている人、ここがよかったと伝えてくれる人に直接出会えることは、とても嬉しい。恐れ多いが自分のなんてことない生活が誰かの支えになることもあるのだと知ることができる。お昼を食べに会場の外へ出たとき、ふと見かけた風景がどこかで観た台湾映画のワンシーンのようだった。

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この少年の感じが、『ヤンヤン 夏の想い出』みたいだ。この日は、歌人の木下龍也さんとずっと一緒にいてとても楽しかった。

最近観に行ったものは、五反田団の『偉大なる生活の冒険』だ。とても素晴らしかった。一見意味のない、だらだらとした会話の積み重ねや、その会話のふとした瞬間に見える過去、じっとりとした今を生きている感覚。そのどれもがとても良かった。 前田さんと玉田さんが並んで座っている姿は、なぜだかたまらないものがあった。あとは、しばらく前だが松井周演出の『ビビを見た!』も観た。ひとつひとつのシーンが絵になるものばかりで、観ていて楽しかった。当たり前なのだが、サンプルっぽいなあと思った。最近読んだものは長嶋有の句集『春のお辞儀』で、とても良かった。短歌よりもさらに短い文字数の中で瞬間を捉えていて、感嘆した。映画は、『天気の子』をまだ観れていないので早く観たい今日この頃って感じです。

最後に、大阪にある「葉ね文庫」さんという本屋さんで自分の2冊の本の取り扱いが始まりました。今はもう通販の在庫はないので、大阪近辺にお住まいの方はぜひ。本屋さんに自分の本が並んでいるなんて、嘘みたいだ。嬉しい。

 

お祭りの音

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さっきまで窓の外からは、お祭りの音が聞こえていた。お祭りの音と自分で書きながら、お祭りの音ってなんだろうと思う。スピーカーから流れる出囃子のような音、子どもの声、出店に引きこもうとする大人のがなり、人と人の間を縫い走る子どもの足音。あらゆる音が混ざり合い、お祭りの音となる。うるさいと思ってしまう感情と、わずかな高揚感が同居する。今日一日を振り返る。

トイ・ストーリー4 』を観に行った。トイストーリーシリーズは、小さい頃から狂ったように観ていたので思い入れが深い。おそらく、1は劇場では観ていなくて、ビデオで何回も何回も観ていた。2と3は映画館で観た。3は高校生の時で、どこの映画館であったか、誰と観に行ったかも鮮明に覚えている。地元にできたシネコンで、部活の友達と観に行った。この時、初めて3Dメガネをかけた。とても泣いて、3Dメガネがあってよかったと心から思った。そして今回の4である。勝手に感動するつもりで観に行ったのだが、涙を流す感動なんていう分かりやすいものではなく、もっと深いところに落とし所を持ってきていた。トイ・ストーリーのこれまでの価値観として、子どもに所有されることが絶対的であり持ち主の元へ帰ることが物語の核となっていた。今回は、その構造自体が揺らぎ、誰にも所有されないという自由を獲得する話となっている。獲得というよりも、「知る」と表現したほうがいいのかもしれない。新たな価値観を知り、解放される。とても現代的であり、ピクサーもといディズニーアニメの時代を捉える力に毎度感心する。しかし、その新たな価値観の一辺倒にならず、あくまでも選択肢として描き、他の価値観も平等に肯定して描いていることが素晴らしい。そして、これまでの3作と比べ、どこかしっとりとした雰囲気が常にある。アンティークショップが主な舞台であることとか、移動遊園地の夜の明かりがそんな雰囲気を漂わせていた。ツイッターで感想などを見ていると、これまでのトイストーリーの価値観の否定だとかで批判している人を多く見かけるが、作中でウッディは悩み葛藤している。人は、生きていれば変わるし、これはフィクションであるわけだけれども、きっと彼の人生はこれからも続いていくのである。どうしたって、変わるということを否定したくはない。

映画を観た後は、髪を切りに行った。美容師と暑いですねとか、夏休みはいつですかとか、他愛をもない話をした。この前聞いた話を、あたかも初めて聞いたふりもした。それから、選挙に行って、家に帰ってきて、洗濯機を回して、コインランドリーへ行った。そして、窓の外からはお祭りの音が聞こえてきたわけだ。

これが今日の一日だ。映画を観て選挙に行って髪を切って洗濯をする。あまりにもなんてことない日だ。でも、これだけあれば他に必要なものはないと思えたりもする。