記録

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お祭りの音

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さっきまで窓の外からは、お祭りの音が聞こえていた。お祭りの音と自分で書きながら、お祭りの音ってなんだろうと思う。スピーカーから流れる出囃子のような音、子どもの声、出店に引きこもうとする大人のがなり、人と人の間を縫い走る子どもの足音。あらゆる音が混ざり合い、お祭りの音となる。うるさいと思ってしまう感情と、わずかな高揚感が同居する。今日一日を振り返る。

トイ・ストーリー4 』を観に行った。トイストーリーシリーズは、小さい頃から狂ったように観ていたので思い入れが深い。おそらく、1は劇場では観ていなくて、ビデオで何回も何回も観ていた。2と3は映画館で観た。3は高校生の時で、どこの映画館であったか、誰と観に行ったかも鮮明に覚えている。地元にできたシネコンで、部活の友達と観に行った。この時、初めて3Dメガネをかけた。とても泣いて、3Dメガネがあってよかったと心から思った。そして今回の4である。勝手に感動するつもりで観に行ったのだが、涙を流す感動なんていう分かりやすいものではなく、もっと深いところに落とし所を持ってきていた。トイ・ストーリーのこれまでの価値観として、子どもに所有されることが絶対的であり持ち主の元へ帰ることが物語の核となっていた。今回は、その構造自体が揺らぎ、誰にも所有されないという自由を獲得する話となっている。獲得というよりも、「知る」と表現したほうがいいのかもしれない。新たな価値観を知り、解放される。とても現代的であり、ピクサーもといディズニーアニメの時代を捉える力に毎度感心する。しかし、その新たな価値観の一辺倒にならず、あくまでも選択肢として描き、他の価値観も平等に肯定して描いていることが素晴らしい。そして、これまでの3作と比べ、どこかしっとりとした雰囲気が常にある。アンティークショップが主な舞台であることとか、移動遊園地の夜の明かりがそんな雰囲気を漂わせていた。ツイッターで感想などを見ていると、これまでのトイストーリーの価値観の否定だとかで批判している人を多く見かけるが、作中でウッディは悩み葛藤している。人は、生きていれば変わるし、これはフィクションであるわけだけれども、きっと彼の人生はこれからも続いていくのである。どうしたって、変わるということを否定したくはない。

映画を観た後は、髪を切りに行った。美容師と暑いですねとか、夏休みはいつですかとか、他愛をもない話をした。この前聞いた話を、あたかも初めて聞いたふりもした。それから、選挙に行って、家に帰ってきて、洗濯機を回して、コインランドリーへ行った。そして、窓の外からはお祭りの音が聞こえてきたわけだ。

これが今日の一日だ。映画を観て選挙に行って髪を切って洗濯をする。あまりにもなんてことない日だ。でも、これだけあれば他に必要なものはないと思えたりもする。

ずっと平行して

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日々、もう少し頑張ろうと思える出来事と辛くて行き場のない出来事が平行している。辛くてどうしようもない出来事は一点で、もう少し頑張ろうと思える出来事はまばらにある。しかし、そのただ一点の辛いことがあまりにも大きく、いくつかあったはずの頑張ろうと思える出来事がどこかへ追いやられてしまいそうだ。

辛い出来事になんとか拮抗するために、日々の中の大きな嬉しかったことと小さな嬉しかったことを書いていく。

7月6日に高円寺で開催されていた『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』展のトークゲストとして歌人の木下龍也さんと岡野大嗣さんとお話をした。この日に配布する用に、来場者特典として一週間半ほど毎日日記を書いていた。久しぶりに日ごとに区切った日記を書いて、またこれからあんな感じの日記に戻そうかなあなんて思った。トークは、案の定ぼくはほとんど話すことができなかった。でも、自分が書いた日記を目の前で多くの人が読んでいる光景は忘れられない。

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とても恥ずかしかったし、でも嬉しかった。誰のなんのためにもならない日記だけど、これからも書いていこうと思えた。本も、とてもたくさん売れた。サインも何回も書いた。ずっとずっと、自分なんかがという気持ちで一杯だったが、静岡から来ましたとか、握手を求められたりだとかすると、やっぱり嬉しくなってしまう。打ち上げも、とても楽しかった。混み合った居酒屋で岡野さんが、三輪くんに聞いて欲しい曲があるんだと、ヘッドフォンを貸しくれたこととか、木下さんがうなぎの肝を美味しくないと言っていたこととか、ナナロク社の村井さんがみんなを引き合わせられて嬉しいと喜んでいたこととか全部全部忘れない。

これが大きな嬉しかった出来事で、小さな嬉しかった出来事を細々書いていく。この前、道を歩いていたら、たくさんのどこでもドアを見つけた。もしくは、モンスターズインクの扉だ。全ての扉が別々のどこかに繋がっていたらいいのに。

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あとは、深夜に職場から見えた東京タワーがロードオブザリングサウロンの目みたいだった。ぼんやりと空にうつる感じが不気味だった。

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これらが僕の小さな嬉しかったというか胸が高鳴った瞬間だ。馬鹿みたいだけど、ふいに見かけた自分だけのこういう瞬間の高鳴りを忘れたくない。カメラロールにあるこんな小さな瞬間の積み重ねが辛いことをほんのわずかに忘れさせてくれる。

嬉しいことをもうひとつ。今月の12日から15日まで東京都現代美術館で開催される東京アートブックフェアのナナロク社ブースにて僕の『やがてぬるい季節は』と『日々はすべて穏やかな一日に』が販売されます。手元にあるわずかな在庫を全て預けました。『玄関』展で配布した特別日記もこの日はお付けする予定です。あのお洒落で居心地の悪くなってしまうTABFに自分の本が置かれる日がくるとは。ナナロク社には学生時代と前職の仕事を辞めてから、さらに今に至るまで本当にお世話になりっぱなしだ。感謝しかない。14日の日曜は、ブースでお手伝いをしながら本の手売りをしているのでもしよかったらお越しください。村井さんが、サイン会をしよう!と言っていたので本をお持ちの方にはサインをします。こんな誰でもない人のサインなんていらないと思いますが。とにかく、ナナロク社の本は良い本しかないので、ナナロク社の本を買いにきてください。

こうやって嬉しかった出来事を書いていたらなんとかまだやっていけそうな気になってきた。どうにかこうにか毎日頑張ろう。

 

辿り着く

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今は、朝の6過ぎで、夜勤帰りの電車の中にいる。片手には、コンビニで買った炭酸水。無性に喉が渇く。深夜1時に、公園のベンチでカツ丼を食べたからだろうか。その時は、雨がぽつぽつと降っていたが、今は止んでいて、外の空気は、生ぬるく湿っている。

突然だが、「好き」という気持ちは巡り巡ってたどり着くことがある。昨日、ロロの三浦さんがこんなツイートをしてくれた。

 尊敬する三浦さんが自分の書いたものを読んでくれたこと、そして感想も書いてくれたこと、そのことが本当に嬉しくどうにかなってしまいそうだった。三浦さんが読んでくださっている『やがてぬるい季節は』には、ロロのことをたくさん書いている。とにかく僕はロロが好きなのだ。2015年からの記録なので、あのブログを書いている当時の自分は、まさか尊敬している人のもとに言葉が届くとは思っていない。ロロを知ったのは、ヒコさんのブログからだった。あの当時は、ヒコさんは憧れで遠い存在で、いや、今もその気持ちは変わらないのだけれど、でも今ではよく遊んでもらっていて、数年前の自分が聞いたらきっと嘘だと言う。三浦さんが、「記録の積み重ねが記憶を作っていく」と書いてくれていて、『父母姉僕弟君』を思い出した。

今は、もうなくなっちゃったかもしれないけど、かつてほんとにあって、そのかつてが、今とこれからに繋がりますようにって祈りながら、俺はこうやって、しゃべり続けてて、俺がいつか忘れてしまっても、どこかにそのかつてが生き残りますようにって、俺の知らないところでもたくさんのかつてが生き残りますようにって、祈って祈って、描写して描写して描写して描写して……

僕が日記を書いているのは、単純に、忘れたくないからだ。このブログを開設した日につけたブログ名が「忘れないように」だった。しかし、なんだか恥ずかしくなり、すぐに「記録」に変えた。日記を書き始めて、毎日同じような日もあるし、同じようで少し違う日もある。日常こそ素晴らしいのだとか、そこに美しさを見出したいとかではなくて、単純にただ日々のことを記録しているだけだ。けれども、場所や名前などの固有名詞を多く書いているのは、そこに個人の記憶が張り付いていると日記を書くにつれて思うようになったからだ。ヒコさんが、『父母姉僕弟君』について、こう書いている。

どんな方法だっていい。文章にしたためるでもいいし、誰かに語るでもいいし、歌に、絵に、写真に、映画に、三浦直之のように演劇に託す人もいるだろう。とにかく何かしらの方法で、想いや感情を保存する。もしかしたら、それは大袈裟に美化され、事実とはかけ離れたものになるのかもしれない。しかし、それらはいつしか”物語”と呼ばれ、遠い見知らぬ誰かに届くかもしれない。

 三浦さんがツイートで、「物語の登場人物になれた気がして嬉しいです」と書いてくださっていた。僕のなんてことない好きなものについて書いた記録が、本という形になったことによって、いつしか物語になっていた。いや、物語なんて大層なものではないけれど、好きという想いが巡り巡ってたしかに遠い誰かに届いたのだ。

先日、そんなロロの『はなればなれたち』を観た。お芝居を観ながら、終始、ああロロだなあと思っていた。向井川淋しいが描いた戯曲は、淋しいを想い続けるすい中に語られることによって「らしい」が隠蔽され、物語となり、私たちに届く。それは、事実とはかけ離れたものかもしれないが、物語を作り上げることによって、はなればなれは、「はなればなれたち」になる。希望だと思った。『わが星』の大胆な引用にもいたく感動した。

 好きという気持ちは巡り巡ってどこかへ辿り着くと書いたが、よく考えてみれば一方的に渡しているだけだ。三浦さんも、ヒコさんも、佐久間宣行さんも、坂元裕二さんも。けれども、どこの誰かも分からない自分の好きなものについて書いた記録に対して、お渡ししたみなさん全員が反応をくださった。数年前に書いた好きという気持ちは、どんなに時間がかかっても形を変えてたどり着いた。ただ今は、そのことが嬉しい。

 

それでも、美しい

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生きていると、思わぬ出来事が起こる。6月25日から7月7日まで高円寺で『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』展が開催されるのだが、7月6日のトークゲストに呼ばれたのだ。歌人の岡野大嗣さんと木下龍也さんによる歌集『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』は、以前にもここで書いたことがあるが、とても好きな歌集だ。そんなお2人と人前に出て話すなど緊張して今から吐いてしまいそうだ。僕にはきっとトークなどできなくて、うなずくとか相槌を打っている自分しか想像できない。それでもなんとか話せるように、準備をしていくつもりです。展示の詳細はこちらです。そうそうたる名前が並ぶ中に、誰だお前みたいな僕がいます。

『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』展 6/25~7/7(※月曜定休)|ナナロク社|note

 

ここ最近は、朝8時に出勤して17時に上がるみたいな日々で、また来週からは夜勤が続くのだけれど、とりあえず今週は色々と面白いものを観れた。ナカゴー×神保町花月『予言者たち』は、よしもととのコラボでどうなるかと思っていたが安定のナカゴーでたくさん笑った。どうしたって、いつものしつこさみたいなものはないので、物足りなさを感じなくはないが、個人的には東葛スポーツの金山さんを見れたので満足した。金山さんは、ただ普通に話すだけでおかしみと哀愁がある。『ていで』の時に、メダルゲームの説明を延々とするのが本当に好きだった。この日は、会場が神保町だったので丸香でうどんを食べた。久しぶりに来たのだけれど相変わらず美味しかった。この値段でこの美味しさなんて不安になってくる。

ナカゴーを観た次の日は、『柴田聡子の神保町ひとりぼっち』へ。先月も聴きにいったばかりだが、あの狭い空間で柴田さんの歌を聴ける贅沢さよ。やはり、「涙」は飛び抜けて好きだ。会場で2人も知り合いに遭遇した。この日も神保町だったので、再び丸香でうどんを食べた。本当に美味しい。

今週のどこかに、横浪修写真展『PRIMAL』を見に行った。

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子どもたちの、一体自分はなにをされているのだろうかという困惑と怒りのような表情は永遠に見ていることができた。繕うことのない、生の感情としての顔をそのまま捉えていた。

今日は、モダンスイマーズ『ビューティフルワールド』を観に行った。もう本当に素晴らしかった。傑作だ。引きこもりの中年と、夫からモラハラを受ける主婦が出会って…という物語なのだが、終盤の展開に完全にやられてしまった。社会は、世の中は、世界は、想像以上に汚れているし美しくないかもしれない。日々、辛いことや嫌なこともある。それでも、だからこそ、世界は美しいと信じて生きていこうと思うことができた。

先日、ポストに手紙が届いていた。僕の本を買ってくれた方からだった。便箋3枚に、ぎっしりと文字が埋め尽くされていた。その中に、「救われた」という言葉があった。時々、ブログのコメントやツイッターのDMで、同じようなことを言ってくれる人がいる。僕が誰かを救うなんて滅相もないと思うのと同時に、自分の個人的な生活を書いたものが、誰かのためになったのだと思うと不思議な気持ちで、嬉しくもある。けれども、誰かのためになるとか関係なく、これからも粛々と日々のことを書いていこうと思います。散らかった部屋で一人コーラを飲みながら、ポテトチップスを食べながら。

雨の降る日々

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雨の降る毎日が続いている。パッとしない日々で、でも街角のふとした瞬間に眼前に現れる紫陽花なんかに綺麗だなと思ったりする。最近なにかあったかと問われれば何もない。仕事へ行き、働き、疲れて家に帰ってくる。仕事は今のところまったく辛くない。今思い返すと、新卒で入った会社なんだったんだ。しかし、この日記を書く時間がなかなか取れない。いや、取れないのではない。書くことがないのだ。あのなにもない日々は、ひたすら散歩をしていて散歩をする度になにかを思い付くし、なにかと出会うことができた。そろそろ散歩に行かねばならない。しかし、いかんせんこの天気だ。どうしたって部屋に引きこもりたくなってしまう。この怠惰さはどうにかならないものか。

数ヶ月ぶりに映画を観に行った。石井裕也監督『町田くんの世界』だ。主演2人がオーディションで選ばれた無名の新人で、脇を固める役者が豪華という情報だけを頼りに観に行ったのだが、これが予想を遥かに超える良い作品だった。演技経験がほとんどないという主演の細田佳央太、関水渚はスクリーンの中でしっかりと存在感があり、愛おしかった。登場人物を愛おしいと思わせた時点でもう映画として勝ちなのだ。高校生の話なのだが、この主演2人以外はまったく高校生に見えない。それが素晴らしい。前田敦子も太賀も高畑充希も誰も高校生に見えない。その感じがロロのいつ高を思い出させた。池松壮亮もとても良い役所だった。町田くんと池松壮亮の掛け合いのシーンがすこぶる良くて、そこだけもう一度見たい。池松壮亮の発話の上手さが存分に発揮されていた。『横道世之介』でも、お風呂のシーン素晴らしかったなあなんて思った。終盤、物語としてめちゃめちゃ飛躍する。文字通り、飛躍する。そこが賛否の分かれるところになっているらしいのだけど、僕としてはまったく問題なしだった。青春はなにが起こったっておかしくないのだし、好きという気持ちがあれば空だって飛ぶことができるのだ。

三鷹SCOOLで関田育子『浜梨』を観た。散々良い評判を聞いていたのだが、噂に違わぬ素晴らしさだった。過剰さのない、とても誠実な印象を受けた。でも、なかなか何が素晴らしかったのか言葉にしにくい。ああこれはたしかに演劇だなあと思った。

世田谷パブリックシアターKERA・MAP『キネマと恋人』も観た。これがもう本当に素晴らしかった。ロマンチックで切ない、誰でも楽しめるこんな演劇に敵うものはないのではないかとさえ思った。良い作品とはこのようなもののことを言うのだと思う。毎度ながらケラさんの作劇はどこまでも巧みだ。3時間半まったく飽きることがない。フィクションを信じながらも、現実もしっかりと見据えている。妻夫木聡はどこまでも愛おしかった。

ラジオは、毎週当たり前のように聴いていて、自分が何を聴いているのか整理したいのでここに列挙してみる。TBSラジオは、深夜の馬鹿力爆笑問題カーボーイ、メガネびいき、後はアルピー、ハライチ、神田松之丞。ニッポン放送クリーピーナッツ、佐久間さん、三四郎霜降り明星、オードリーという感じ。とてもベタなラインナップだ。中高生の時は、バナナムーンも不毛な議論も夢中になって聴いていたのだがいつのまにか聴かなくなってしまった。しかし、先週のビッグニュースである山ちゃんの結婚で久しぶりに不毛な議論を聴くと不覚にも最後の部分でウルウルときてしまった。ラジオを聴きながら泣きそうになるという経験は一度だけあって、実はそれも不毛な議論だった。たしか高校1年生ぐらいの時に、ももクロゲスト回で早見あかり卒業のラジオドラマがあり、それを聴いて深夜一人で泣いたのだった。今回の結婚に対する山ちゃんの葛藤と、それに対する今週の馬鹿力での伊集院さんのアンサーがとても良かった。

僕と山里くんを同類で心のねじ曲がった人間だと仮定すると、大丈夫だから。手を替え品を替え、黒いモノは湧き上がってくる。だから大丈夫。なんの問題もない。どんなに一瞬幸せのようなものをつかもうが、一切それはなくならないから。

普通の人にとっては、こんな感情は良いことでもなんでもないことなのだろうけど、この言葉は救いのように思えた。

他になにか最近はあっただろうか。ウィルキンソンの紅茶フレーバーに狂ったようにハマり、毎日飲んでいるくらいしか書くことがない。あとは、松屋の創業カレーもめちゃめちゃ美味しい。490円なのに1200円の味がする。

最後に、かが屋のこのネタの4分ぐらいからがめちゃめちゃナカゴーっぽくて好きだ。

www.youtube.com

かが屋はもうすっかり大好きになってしまって、ずっと見ている。これから梅雨になって、どんよりとした日々が続くのだろうけど、好きなものを観たり聴いたりしてなんとか頑張っていこうと思います。

あの日の誕生日は

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5月最後の日、深夜2時55分からの映画を観る。深夜に観る映画は、しみったれた静かな映画が相応しいのかもしれないが、僕は『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』MX4Dを選んだ。初めての4Dに想像以上にわくわくした。傾いたり揺れたり、風が吹いたりでただただ楽しかった。5回ぐらい寝てはいるが。そりゃ深夜だから眠くなってしまう。怪獣たちが戦う場面以外は退屈なのである。人間はいいから怪獣たちよもっともっと入り乱れて戦ってくれー、と観ながら思っていた。4Dと聞いて思い出すのは、藤岡拓太郎さんの1ページ漫画、「あこがれの4DX」だ。あの漫画の家族がとても愛おしい。

 5月24日に、25歳の誕生日を迎えた。うひゃー大人じゃん、と我ながらに驚いてしまう。毎年こんなことを書いている気がする。幸いにも3年以上ブログを書き続けているので、過去の誕生日の日や前後に何が起きて、何を思っていたのか見てみようと思う。とは言ったが、せっかくなのでツイッターも遡ってみた。2014年にはこんなことを書いている。

これは20歳になった時だ。映画『アイデン&ティティ』の再上映イベントに参加していた。このトークには峯田和伸もシークレットゲストで登場し、興奮したのを憶えている。こんなイベントに参加しているなんて、あまりにもそれっぽ過ぎて今では到底むりだ。上京したてだったので許してほしい。21歳になった時の記録が見つからないので、次は22歳になったとき。こちらはブログに書いていた。

最近のことやくるりのライブなど - 記録

個人的な話だと5月24日で22歳になった。なんだかもう取り返しのつかない年齢まで来てしまった。ついこの前までテレビや新聞で(22)なんて表示を見ると大人だと思っていたけど自分がその年齢になる時が来るとは。大人に見える人だって案外子どもなのかもしれない。物事に妥協していくことが大人になることだと考えているので社会で働き始めればいやおうなしに大人にさせられてしまうのかもしれない。

なにが社会で働き始めれば大人にさせられてしまうだ。お前は、入社3ヶ月くらいで会社辞めるぞ。次は23歳になったとき。

ここ数週間のこと - 記録

そういえば先週の24日で23歳になった。年齢を重ねることに特になにも思わなくなってしまったのでいつの間にか30歳ぐらいになっていそう。だけどどんな年齢になっても、年下の人に「若いねー」とか死んでも言いたくない。同年代でそういう人を見かけると恥ずかしくなる。

いつのまにか30歳になってそうってのはたしかに今でも思っている。23歳の自分よ、さほど考えは変わってないぞ。次は24歳。まずはツイートから。

ブログではこんなことを書いていた。

犬を飼いたいと一瞬思った - 記録

明日で24歳になる。まさかこんなにも胸が押し潰されるような気持ちで誕生日を迎えることになるとは思いもしていなかった。また毎日終電、休日出勤の日々が始まる。さっき、近所のローソンでラブレターズの塚本さんを見かけた。アイスカフェオレを買っていた。1年後の25歳になる時、自分はなにをしているのだろうか。

さて、1年後の25歳になった時自分がなにをしていたかといえば、夜の公園でひとりファミチキを食べていた。

仕事の休憩中の出来事だった。24歳から25歳にかけての1年は、予想もしないことがたくさん起きた。新卒で入社した会社を数ヶ月で辞めて、フリーターをして、自分で本を作ってそこそこ売れて、なんとか再就職に漕ぎつけた。そして、仕事の休憩中にファミチキをかじっているわけである。

25歳になった日は夜勤だったため、朝6時に仕事が終わった。家に帰ってから仮眠をしてお昼の回の藤田貴大作・演出『CITY』を観に行った。さすがに夜勤明けなので、何度か眠気に襲われた。そのせいだと信じたいのだが、あまり面白いとは思えなかった。アクションシーンとかはあれでいいのだろうか。ダサくはないのだろうか。でも褒めてる人たくさんいるし、僕が2階席で眠かったせいだろう。夜は、NHKホールでのceroのライブ「別天」へ行った。もはや、カッコよくて美しかった。「ロープウェイ」「街の報せ」はどうしたって感動してしまうわけです。その後に同じライブに来ていたヒコさん(もはやヒコ兄さんと呼びたい)と合流して、デニーズへ行った。誕生日なのでステーキをご馳走になった。ヒコさんもステーキを食べていた。デニーズから出ようとお会計をしていると、不意に声をかけられた。マーライオンさんだった。マーライオンさんとは前にアルバイト先が同じだった。ヒコさんとも前々から知り合いだと話を聞いていたので世間は狭い。僕はそのまま自転車で帰宅した。帰り道、ネズミが足にぶつかって、ひえーとなった。

これが僕の25歳になった日の出来事だ。来年は、どんなことをしているのだろう。これからどんな1年を過ごすのだろう。自分でも分からない。でも、できるだけ明るい未来を。

ただ粛々と

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前にも書いたことがあると思うのだけれど、岸政彦さんが早稲田文学に寄せた快楽についての文章が狂おしいほどに好きだ。度々読み返し、心の拠り所としている。

まず、快楽は、たくさん得たもののほうが勝ちだ。そしてその快楽は、ヤバければヤバいほどよい。社会規範からの逸脱が遠くて深いほど、その快楽は尊いとされる。そして、そういう逸脱的な快楽を深く味わった者は、それだけ「人間らしい」とされる。そういう人間が「本当の人間」なのである。

私はそんなものは大嫌いだ。香港の地下の怪しい売春窟も要らないし、背徳的なセックスも非合法の薬も要らない。

私がいちばん好きなのは、近所を散歩すること、月イチぐらいで訪れる那覇でひとりで飲み歩くこと、家で飼っているおはぎときなこという名前の猫のお腹に顔を埋めて匂いをかぐこと、風呂に入ることだ。これ以上の快楽はいらない。(中略)どうして快楽は、社会規範から逸脱「していないといけない」のだろう。たしかに、例えば非合法の薬物の効果は絶大だろう。ケミカルなものの力をあなどってはいけない。しかしそんなもの、ある程度の覚悟さえあれば、カネを出せば誰でも買える。そんなものに興味はない。

私は断固として、日常を、この人生を生きようと決めたのだ。私のこのくだらない、意味のないこの人生の、かなり早い時期にはっきりと、私は自分の人生を生きると決めた。

「私はそんなものは大嫌いだ」この一文にどれだけ救われたか。僕は、ただただ粛々と毎日を生きていきたいと思っていて、そんな時にこの文章は支えになっている。ドラマチックなことも逸脱もいらない。

なんでこんなことを書いているかというと、どうしようもないほどに胸が苦しくなるような出来事があったからだ。久しぶりに夜も眠れないほどに。けれども、僕はこれまでのように自分の人生を粛々と生きていく。だってそうするしかないのだから。