記録

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ただ歩く

先週受けた面接に落ちた。まあそんなもんですよね。いや、まあそんなもんですよねと言って自分を慰めておかないとやっていられない。年内に仕事を見つけるなんて言っていたが、年明けは目の前に迫りつつある。先週の土日のことを書く。

土曜日。朝起きて、今日は本屋に行って美術館に行って充実した日にするぞと意気込むも、だらだらしていたらいつのまにか午後になってしまい、今日の予定は明日に持ち越すことにして、散歩をした。
家のある幡ヶ谷から中野方面へ住宅街や路地をうろうろしながら歩く。中野新橋駅付近で神田川にぶつかった。そこから神田川沿いを遡るようにして歩く。しばらく歩くと合流する川があり、それが善福寺川だった。合流点から眺める善福寺川。15時前だったが逆光でなんだか夕方みたいだ。

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ここが善福寺川の終わりであり、神田川に名前が変わっていた。きっとこれは常識なのだろうけれど、神田川の源流が井の頭公園であるとその時初めて知った。神田川はそのまま都心を通過し、隅田川に合流して海へ流れ出る。東京に住んでいると、神田川をいたるところで見かける。僕にとっての神田川は、学生時代を過ごした早稲田近辺の神田川だ。ちなみに、市ヶ谷駅の目の前も一見神田川に見えるが、あれはかつての江戸城の外濠である。この日調べるまでずっと川だと思っていた。善福寺川と神田川の合流地点で善福寺川沿いを歩くルートに変更し、進む。

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この周辺の地名が和田という場所だったのだが、全国各地の和田という地名は、海の古語「ワタ」が関係しているらしい。海から水に転じて、神田川と善福寺川の二つの川が流れているからここも和田なのだろうか。途中、川から離脱して住宅街を歩く。紅葉が綺麗だった。人がたくさん集まった、いわゆる名所なんかよりも、ふとした瞬間に目に留まった鮮やかな黄色の方がよっぽど美しい。

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道に落ちている枯れ葉を踏んだ時のあの感覚を楽しみながら住宅街をさまよった。一人でどれだけ良い音を出せるかゲーム感覚で楽しんだ。まさに秋晴れでとても気持ちよかった。

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いつのまにか夕方になっていて、そこから再び善福寺川に戻り、方南町から幡ヶ谷を目指して歩いた。すると、また神田川にぶつかり、いやどれだけ神田川あるんだよ、と一人で突っ込んだ。すぐに地図で確認すると、これは善福寺川と合流する前の神田川であることがわかった。つまり純神田川だ。そんなどうでもいいことを考えながらまったく知らない住宅街をひたすらに進む。家に着く頃にはすっかり暗くなっていた。今日の本来の予定であった美術館と本屋はどこかへ行ってしまい散歩だけで1日が終わったが、東京に流れる川の多さを再確認し、もっと周辺の地理について知ろうと思った。知れば知るほどこれまでとは違う景色が立ち上がってきて散歩の楽しみが増えそうだ。

 

日曜日

昨日持ち越した美術館に行く予定を実行しようとするも、いまいち気分が乗らず、とりあえず洗濯機を回し、コインランドリーの乾燥機に放り込み、その間に写真を撮りながら近所を散歩した。

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近所なので何度も歩いている場所だが、光の当たり方や、季節だけですべてが違う風景に見える。コインランドリーから洗濯物を回収し、家に帰るもだらだらしてしまい、結局は本屋へ行くことに。久しぶりに荻窪のTitleへ行った。タムくんの展示をやっていたのでじっくり見てから、本を何冊も買い込んだ。夜は、大学のゼミの人たちと会った。みんなが仕事の話をしている時は、ひたすらお皿の上のイクラを一粒一粒つまんで口に運んでいた。ライターの仕事はどうなの?と言われた。なれるものならなりたいです。仕事をください。家に帰ってから、M-1の決勝を追っかけで見る。全組面白かったけれど、ジャルジャルをどうしようもなく好きであることを再確認した。深夜、Titleで買った今井麗さんの最高の画集を眺めた。

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画集の最後に、「自分の絵が、誰かの生活を少しでも明るく照らせたらと思って、制作を続けている」と書かれていた。この画集が部屋にあるだけで、うだつの上がらない僕の生活が明るく照らされている。あとは、タバブックスから出ている「生活考察」も買った。

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この中の、柴崎友香さんと滝口悠生さんの散歩をしながらの対談がたまらなく素晴らしかった。お二方とも大好きな小説家であるわけだけれども、散歩への向き合い方が自分とほぼ同じで震えた。しかも、ちょうど最近のブログで書いた早稲田近辺の散歩ルートを今回の対談で歩いていた。

なにかのワンシーン - 記録

このブログの最後に載せたこの場所であのお二人が自分と同じ場所に立って同じ景色を見ていたと考えるだけで感慨深い。

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個人的には、滝口さんのこの部分が好きだった。

僕は歴史的な背景を考えるとかよりは、もっとぼーっとした観察しかしてない気がします。たまたまそこを通りかかっただけで、その時にどんな景色があるかを楽しむ感じです。だから偶然その時に出くわした変な人とかが気になる。同じ場所を歩いていても、見聞きするもののバリエーションはものすごく豊富なんですよね。その一回性も面白い。その日その時出くわす通行人は、当然毎回違って、あ、今日はこういう人が来たか、みたいなことが楽しい。そこを通るのが10分ズレていたら、自分はその人に逢えなかったわけだし。それは人だけでなく、建物や景色についても同様ですよね。その日の自分の状態や、天気のような外的な要素によっても、印象は異なります。だから、「すごい坂だな」とか「ここにこういう建物があるんだ」みたいな出会いに、その都度反応している感じですね。その延長で、その土地やそこに生きる人/生きた人たちのことを想像するというか。

もう本当に自分の散歩の考え方や楽しみ方の全てが詰まっている。滝口さんが散歩を終えてこう言っていた。

今日の散歩コースはとても懐かしかったです。僕は20歳をだいぶ過ぎてから早稲田に入ったんですけで、それでももう中退して10年くらい経つので。あの頃は人生で一番暇な時期だったから、毎日のように2時間とか歩いて、いろんなことを考えたりして、今振り返ってもすごくいい時間だったなと思います。その頃のことを「絶頂期」と呼んでいるんですよ。

僕の人生は今、もうギリギリの低空飛行で、こんな毎日散歩ばかりしていていいのかよと思っている。けれども、いつか振り返った時に、あの時は絶頂期だったと言えたらいいし、言いたい。

悪いことが起きそうな日

今日は、数ヶ月ぶりに起きようと思った時間に起きることができた。いつもは朝6時半に目覚ましをかけるのだけれど結局は7時20分ぐらいに起きてバタバタとシャワーをあびて8時過ぎに家を出るみたいな生活を送っている。本当は7時45分に家を出たいのにその夢が叶ったことは一度もなかった。それなのにもかかわらず、今日は予定通り起きれて予定通りに家を出ることができた。朝、自転車に乗りながら、数ヶ月出来なかったことが今日突然できてしまうなんておかしい。きっと悪いことが起きるに違いないと思っていた。けれども悪いことは起きなくって、アルバイト先に新しく入って来た人と楽しくお昼を食べることができたし、仕事もミスをすることがなかった。しかも、夕方だけ歩行者天国になる商店街の真ん中を郵便物を抱えながら足早に歩いていたら、街にはクリスマスの安っぽいネオンが光っているし、夕日が風景をオレンジに染めているし、どこかで聞いたことのある映画音楽がスピーカーからは流れているしで、一瞬だけ根拠のない、けれども確固たる、自分だけが自分の人生の主役だという感覚に襲われた。郵便局には、黒と白のもふもふした犬を二匹連れたご婦人が年賀状を買っていて、その後ろで僕は犬とずっと見つめあっていた。郵便局を出たら、そういえばコート着ないでここまで来ちゃったそりゃ寒いよ、と思いながら足早にアルバイト先に戻って、その時にはもう人生の主役だなんて思ったことは忘れていた。アルバイト帰りに、今日はお給料日だったので、本屋さんで本を買って、少し電車に乗ってから自転車で家に帰る。金曜日の夜の帰り道の、自転車に乗っている30分ぐらいの時間がとても好きだ。明日はなんにもないなー、なんでもできるなー、でもお金もないしきっとなんにもしないんだろうなー、と日頃のもやもやとした気持ちを忘れて自転車を漕ぐ。

11月は、ブログを10回以上も更新した。全てがもやもやとした気持ちを発端としたものばかりだ。3年前にブログを始めた時は、ポップカルチャーとかをカッコよく取り上げちゃうような記事を書きたくて憧れていたのに、今では精神的に危うくて、知り合いに読まれたら恥ずかしいような詩的な感情もむき出しにして文章を綴ってしまっている。でも不思議と読んでくれる人は増えていくし、ここで吐き出すことが心の安静にもなっている。なのでこれからもポエムと言われようが自分に酔っていると言われようが文章を書いていくぞ、と思った11月最後の日でした。

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特別でもなんでもない日のショートケーキ

面接が終わり、電車の中にいる。数日前から馬鹿みたいに緊張していたのに、面接時間は7分で終わった。きっと落ちているだろうし、早くスーツを脱ぎ捨てたい。面接でよく言われるのは、落ち着いてるね、という言葉だ。落ち着いているのではない。必死に落ち着こうとしているのだ。でもそんなこと向こうには関係なくて、落ち着いて見えているのならばこちらの勝利なのか。しかし、本当の落ち着きではないので、質問にはあたふたして冗長に話してしまうし、沈黙も生まれてしまう。いっそのこと、緊張丸出しで可愛げのようなものを見せた方が印象がいいのかもしれない。でもそんなことできないなあ、まともなフリを必死にしようとしてしまうなあと電車の中で内省する。

駅のホームで盲導犬を見かけた。駅を出たら、今度は首の周りが虹色に輝く柴犬がいた。昨晩、お風呂の電気が切れてしまったのを思い出してスーパーで電球を買って帰る。昨日は暗闇の中で髪を洗い体を洗った。なんの支障もなかった。ずっと行こう行こうと思っていたがなかなか入れずにいた近所に最近できたケーキ屋さんに行った。着慣れないスーツで500円のショートケーキを買った。帰宅してお風呂の電球を取り替えると、これでもかと明るくなって、お風呂場の汚さが目立った。夕飯に、牛肉と玉ねぎを甘辛く炒めたものと、春雨スープを作って、『ベター・コール・ソウル』シーズン4の第8話を見ながら食べた。『ベター・コール・ソウル』は全シーズンを通して、ワンシーンワンショットの演出が冴え渡っていて痺れっぱなしだ。あと数話で見終わってしまうことが惜しくて数日に1話のペースで見ている。食後に、ショートケーキを食べた。とびきり美味しいわけではなくて、ショートケーキ以上でも以下でもなかった。今日は、特別なことなどなにもないのにケーキを食べた日だ。なんでもない日こそ素晴らしいのさ、といった日常への尊さを感じているわけでもなくて、いや、本当はそんな心持ちで毎日を過ごせたらこの上ないのだけれども現状は難しくって、ただケーキを食べたくて食べただけだ。24歳の男が、面接ダメだったなあなんて思いながらショートケーキを頬張っている夜もあることをどうか忘れないでほしい。

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親が連日来ていて辛かったので、土曜は1日予定があると伝え、お昼に原宿VACANTで明日のアー『観光』を観た。今回で観るのは3度目で去年の『日本の表面』の方が時代を捉えている印象はあったけれど、パターンに陥らず毎回面白いポイントが違うので笑うことができる。個人的には、「これからの正義の話をしよう」の問題の早押しがツボだった。お芝居を観た後はそのまま青山ブックセンターまで歩き、本を2冊買った。特に値段も見ずに買ったら合計で5000円を超えていて焦った。ちょうど1週間前も青山ブックセンターへトークショーを聞きに行ったので毎週通っている。

日曜も親がいたが、この日も用事があると伝え、最寄駅ではなく少し遠い駅まで歩いてから、例の虚無の散歩をした場所を再び訪れた。虚無の散歩についてはこちら。

虚無の散歩 - 記録

今度こそ、フィルムで写真を撮りながら歩くことができた。

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初めてのフィルムカメラで正解がいまいちわからないのだけれど、想像の何倍も綺麗に写っていて嬉しかった。特に気に入っているのは、緑に囲まれた階段の写真で、奥からの光の入り方が希望とか未来みたいで美しくってなんだかときめいております。フィルムカメラを勧めてくれた方、ありがとうございます。これから歩くことがますます楽しくなりそうだ。最近はもう散歩が楽しくて仕方がない。どこまでも歩いていけそうな気がする。今週は、水曜に就職の面接がある。きっと今年最後の機会なので頑張りたい。今から緊張して震えているけれども。

 

ただの愚痴

父と母が東京に来ていたので姉も交えて1日行動を共にしていた。話題といえばもちろん僕の仕事のことで、その話が出るたびに胃が痛くなり吐きそうになった。父はとにかく世間体というものにこだわる人間なので、いつまでこんな状態続けるんだ、と苛立ち、姉はお前は学生時代になにもしてこなかったから就職の面接の時に話すことがないのだと責める。僕が少しでも言葉に詰まったりすると、まくし立てるように大声を出す。母は、みんな心配してくれてるから言ってくれてるのよと言う。特に厄介なのは姉で、今年になって人事部に移ってから、人を使える使えないで判断するのが加速しているように見える。飲食店で働く人を見ては、あいつはポンコツだとか、気が使えないとか、あんな人を雇うほうに問題があるとかばかり言うのだ。その言葉を聞くたびにドキリとして胸が痛くなる。それを見透かすように、お前も社会に出たらああいう風に見られるからなと説教をしてくる。僕はその度に、わかってるからと言うのだが、わかってるだけではだめだ、行動しなければ意味がないとまくし立てる。行動しなければ意味がないというのは、正論だ。しかし、行動を起こすためのハードルの高さは各々の人によって異なることを姉はわかっていない。姉は人前で明るく振る舞い饒舌で、ぐいぐいと自分の意見を押し通すのがうまい。それをみんな頑張ればできることだと思っている。その頑張りにたどり着くのさえ苦しい人もいるのだということを知らないのだ。きっと、社会でうまくやっていける人はみんなそうで、人を使えるか使えないかだけで判断するのだって、会社で働いていればまっとうな基準なのだろう。でもどうやったってその波に乗ることができない。はじかれてしまった人間がなんとか生きる術はないのだろうか。実はこんなことみんなとっくのとうに考えていて、乗り越えているのだとしたら、もう本当に息もできない。

未来

朝、すれ違う人たちや電車の中のいたるところで、寒いね、寒いねのキャッチボールが繰り広げられていて、冬だと気がついた。

先日、こんなツイートをしたら4つのいいねがついた。

なぜ、こんなツイートにいいねが複数ついたのか。文法的にややおかしいので、それを揶揄するための意思表示なのか。たしかに、「寒かったのでほうじ茶を飲んでハッピーになりました」の方が違和感がない。もしくは、日常の生活のなかのささやかな幸せ素敵だね、という好意か。しかしここでは、こういった結論を出す。それは、みんなほうじ茶が大好き、というものである。TLでほうじ茶という単語を見かけ、うおーほうじ茶だー!最高!と思わず反射でいいねを押してしまったのだ。そこには、揶揄もささやかな幸せへの好意もない。ほうじ茶最高の気持ちがあるだけだ。たしかにほうじ茶は最高である。自分の中では、温かい飲み物ランキング堂々の一位だ。ほうじ茶の有名どころといえば、一保堂である。一保堂のなにがすごいかと聞かれれば、ティーバッグでも美味しいのだ。これまでは茶葉で飲むことが多かったのだが、一度ティーバッグを試してみたら本物と変わらないほどで、すっかりティーバッグばかりになってしまった。もちろん、外で飲み物を買うときもほうじ茶が多い。もしくは、ジャスミンティーだ。とことん女々しい。コーヒーなんて飲んでいれば格好もつくが、積極的には飲まない。もし僕がコーヒーを飲んでいたら、それはカッコつけたいだけだと思ってほしい。コーヒーが好きな人は大人っぽいしカッコいい。いつか、コーヒーが好きな人になりたい。お酒も、少しは飲める体質がよかった。コップ一杯さえも無理だ。正直なところ、人と会うときは、美味しいコーヒーでもなくて、美味しいお酒でもなくて、ファミレスのドリンクバーさえあれば良い。デニーズのドリンクバーにはセブンのコーヒーがあるとか、最新のタッチパネルだとか、ロイヤルホストのドリンクバーのココアはめちゃめちゃ美味しいとかそういう話をしたい。

先日フィルムカメラで写真が撮れていなかったのはやはりショックで、今も引きずっている。なので、いつかの秋の日の写真を見て心を落ち着けている。

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ヨシタケシンスケさんの最近出た絵本、『それしかないわけないでしょう』を読んだ。未来は予想できない。だからこそどんな選択肢だって想像次第であり得るのだという明るい展望が描かれる。子どもの頃に、こんな絵本を読んでもらえたらどんなに幸せなのだろうか。

「すきか きらいか」とか、「よいか わるいか」とか、

「てきか みかたか」とか、よく きかれたりするけれど、

それだって どっちしかないわけ ないわよねー。

「すき」でも「きらい」でもない、「すらい」とかあってもいいわよねー。

どうしたって絵本は道徳的になりがちだけれども、この曖昧さたるや。絵本を読み終わってすぐに頭に浮かんだのは、爆笑問題太田さんの「未来はいつも面白い」という言葉と、恋するフォーチュンクッキーの「未来はそんな悪くないよ」のワンフレーズだった。もう一つは、EMC「100%未来feat.三浦直之」の「未来はいつも100パー楽しいから」だ。いつだってずっと未来を肯定して生きていきたいものです。ちなみに絵本といえば、僕が大好きなのは荒井良二『ぼくのキュートナ』だ。最後にそこから少しだけ引用して終わります。

はいけい ぼくの キュートナ

むかし むかし むかしというコがいました。

むかしは あしたからのことがだいすきで

みらいのことばかりかんがえていたのだそうです。

みらい みらい みらいっておまじないみたいにいってたら

みらいってコにであったんだって。よかったね。

おしまい。

今日はアメリカではサンクスギビングらしいので、Netflixで『マスター・オブ・ゼロ』シーズン2の素晴らしいエピソード、「サンクスギビング」を観て眠りにつきましょう。

虚無の散歩

散歩に出かけた。フィルムカメラを持って。以前までは写ルンですを常備していたのだが、ここはひとつカッコつけてみますかとフィルムに手を出してしまったのだ。街中でカメラを持っているそれっぽい人を見ると、うわーと思ってしまう自分がいたのだが、もうそういうのは辞めた。いや、辞めはしないけれどとりあえず息を潜めてもらうことにした。

電車で本郷三丁目まで行き、その周辺の散策をして御茶ノ水まで歩いた。本郷三丁目まで行く電車は平日の昼間ということもあって空いていた。赤ちゃんを抱えた人を電車を乗り換えるたびに見かけ、普段朝とか夜に電車に乗ることが多いので新鮮で、そりゃこの時間に行動するよなあと当たり前のことを思った。満員電車が本当に苦手なので、昼間に電車に乗るとあの状況がどんなにおかしいか実感する。お母さんに抱えられた赤ちゃんは終始キョロキョロしていて、母親はそんな赤ちゃんを微笑みながら見つめていた。最終的に赤ちゃんの視線は、となりに座る女子高生の単語帳に集中された。赤ちゃん特有のふわふわとした髪の毛が電車内の暖房の風に揺れ、母親の鼻先に触れていた。母親は目をつぶってその髪の揺れを感じていた。その隣では、老眼なのか眼鏡を額に上げてスマホをいじる初老のサラリーマンがいて、またその隣には、紫色のスカートを履いた海外の女性がいた。なにも特別なことがない車内。赤ちゃんを笑わそうとするお茶目な高校生もいなければ、怒鳴りだすおじさんもいない。海外の女性が正論を言って乗客拍手喝采みたいなこともない。ただ、赤ちゃんの髪の毛が風で揺れるだけの車内。

本郷三丁目周辺に行こうと思ったのは、辞めた会社に勤めていた際、辛すぎて職場の神保町からそこまで逃走したことがあったからだ。逃走と言っても、仕事で使った大量のバスタオルをコインランドリーに持っていくという理由があったわけだが。今思うと大量にバスタオル使う仕事ってなんだよ。とにかく、大量のバスタオルを抱えながら本郷三丁目にあるコインランドリーまで歩いたのだ。会社の同じ部署の先輩や上司は、いつも午後にならないと出勤しないので午前中にコインランドリーに行き、束の間の1人の時間を過ごしていると、そんな時に限って上司が早く出勤したらしく、お前はなんで会社にいないんだ、と電話で怒られた。そんな思い出があるその場所は、一目見て散歩しがいのある場所だと思い、今度来ようと決めていたのだ。それから半年経って、やっと訪れた。坂の多い本郷三丁目周辺は、やはり散歩しがいがあり、パシャパシャと写真を撮りまくった。そこから後楽園の横を通り、御茶ノ水まで行き、橋の上から夕方の駅などを撮った。どれも、肉眼で見た時に、綺麗だなあ美しいなあと思った光景だ。フィルムが終わったので、御茶ノ水から電車に乗り、新宿のカメラ屋さんで現像に出す。1時間の待ち時間を本屋などに行き、時間を潰した。初めてのフィルムカメラで、どんな写真が撮れているのかわくわくしながらカメラ屋さんに戻ると、全ての写真が未露出でした、と言われた。カメラへの装填ミスで1枚も写真が撮れていなかったのだ。現像代の700円だけ払い、なにも得ないまま寒空のなか肩を落としながらレンタサイクルで帰宅した。

今日1日は、なにも写っていない写真をひたすら撮り続けていたわけだ。しかも、カメラを持つことに恥ずかしさがあるため、キョロキョロと周りを見渡して一目がない時を見計らってシャッターを切っていた。あの行動は一体なんだったのか。しかしここで、あの時肉眼で見た景色の美しさは消えることはない、みたいなことを書いておけばそれっぽくはなるが、フィルムカメラデビューの自分としては、現物としての写真が手元に欲しかったのだ。それ以上でもそれ以下でもない。

そう言えば、ハイエナズクラブ自由研究2018でこのブログを紹介していただいています。コメントも貰えて嬉しい。

【結果発表!】ハイエナズクラブ自由研究2018 | ハイエナズクラブ