月曜日
京都・大阪旅行記 9月21日~9月23日
1日目
朝、電車で成田へ。9時半の便で関西国際空港に向かうためだ。
一週間ほど前、ふとどこかに行こうと思い立った。というのも、夏休みがあともう少しで終わってしまう名残惜しさが突然のように襲ってきたからだ。すぐさま、行先を考えた。LCCでチケットを探すと、大阪行きの便が比較的安かった。大阪へは何度か訪れたことはあるが、すべて某テーマパークと道頓堀周辺にしか時間を割いてこなかった。
11時頃に空港に着いた。この日はとりあえず京都へ向かった。阪急京都線で行われているくるりのスタンプラリーをやるためだ。その名も、くるり的阪急京都線沿線再発見スタンプラリー。
スタンプラリーのためだけに京都に行く日が来るとは。早速、周り始める。
スタンプには曲名、台紙にはその駅にまつわるエピソードが書かれている。乗っては降りて、乗っては降りてをせっせと繰り返した。京都はバスで移動することが多いので、電車に乗るのはなんだか新鮮だった。くるりの音楽を聴きながら京都の電車に乗る幸せ。2時間もかからずに全てのスタンプを集め終え、河原町で景品のステッカーをもらう。
本当は全てのスタンプを集めた人はクリアファイルをもらえるはずだったのだが、3000枚限定でもう終わってしまったらしい。
スタンプラリーのためだけに京都を訪れて大阪へ戻るつもりだったが、時間が余ったので京都を少し観光することに。ずっと行ってみたかった南禅寺の水路閣へ。
もっと時間があれば琵琶湖疎水巡りをしてみたいところだが今回は南禅寺の水路閣だけで我慢しておく。時間も遅かったことから人もほとんどいなく水路閣をひとり占めできた。本当にこの上に水が流れているのか疑問に思い少し上まで登ってみるとちゃんと流れていた。
水路閣を堪能した後、計画がなかったのでとりあえず祇園四条へ行った。日が暮れた後の京都っぽさ溢れる風景。
鴨川を見て、ふと思いたった。鴨川デルタに行こう。森見登美彦の作品や『たまこラブストーリー』で登場したあの場所だ。最近ではNHKのドキュメント72時間でも取り上げられていた。鴨川沿いなのだからここから歩いていけるだろうと軽い気持ちで目指したのが間違いだった。遠い。雨まで降ってきた。歩いているうちに暗くなったしまったがついに辿り着く。
今度は明るくて晴れている日に来たいというのが正直な感想。しかしここからあらゆる物語が生まれたのかと思うとプチ聖地巡礼をして良かった。帰りは電車に乗った。
すっかり夜になってしまったので大阪に戻る。大阪駅からホテルまで徒歩5分ということなので簡単にたどり着けると思っていたが梅田駅と大阪駅周辺は完全なるダンジョンであった。一体自分がどこにいるのかわからない、とりあえずあの建物を目指そうと歩いても地上からたどり着くことができない。30〜40分以上さまよってやっとの思いでホテルに着き、チェックインをした。少し休んでから夕飯を食べに外に出た。大阪に対する知識が乏しいので、安直にたこ焼きを食べる。ネギが馬鹿みたいに乗っているやつにした。
お店からホテルへ戻るのにまた迷子になり一苦労した。移動が多く疲れていたのでぐっすり眠った。
2日目
9時ごろホテルを出た。この日は大正区を散策することに決めていた。好きな小説家、柴崎友香の生まれ育った街を見るためである。作品にも登場する風景があるということなのである意味聖地巡礼だ。
汐見橋駅から歩き始めた。しばらく歩くと大正橋が見えてきた。大正区は川に囲まれているので橋を渡らなければ行くことができない。川には珍しい形の橋梁がかかっていた。長方形なのだ。普段見かける橋梁はアーチ型が多いのではないだろうか。
遠くからも撮ってみた。橋って本当に魅力的だと常々思う。映画とか小説に橋がモチーフとして登場するだけでその作品を好きになってしまうこともある。
またしばらく歩く。住宅の中にいきなり銭湯が現れた。電線に囲まれながらもスッと伸びた煙突は街に馴染んでいた。
三泉商店街に辿り着いた。祝日のせいなのかほとんどの店はシャッターを下ろしていたが、ほどよくさびれていていい雰囲気であった。
商店街から路地に入ると住宅が広がっているのだが、その中にひときわ目立つ家があった。木造の能登家だ。大正期の建物らしい。
路地からは遠くに京セラドームが見えた。こういう風景が好きだ。生活と現代的なものが混ざり合った風景。以前、贅沢貧乏のお芝居を観に西大島に行ったことを思い出した。西大島には大きな団地と昔ながらの商店街があって、駅から街へ向かう橋の上からはスカイツリー見えた。
三泉商店街を抜ける。こちらが入り口だったのだろうか。
しばらく歩くとまたもや銭湯を見つけた。
すぐ近くに泉尾商店街があり、そこを通り抜けぐんぐんと歩いていくと大きな団地に出会った。千島団地だ。
なんとも巨大な団地でこの広場は一階ではなく、地上一階に商業施設や郵便局が入っているのである。まさに生活のための建物だ。広場ではたくさんの親子が遊んでいて、パシャパシャと写真を撮りまくっていたら不審な目を向けられた。
千島団地のすぐ横には千島公園がある。この公園には昭和山という標高35メートルの人工的に作られた山がある。大阪万博に合わせて開通された大阪市営地下鉄の建設で出た土を盛って作られた山らしい。登ってみると意外に景色が良かった。海が近いだけあって山頂からは工場が見渡せた。
山を下りてまた歩く。ここまでで約2時間半ほど歩いている。30分ほど歩くと見えてきたのは、めがね橋こと千本松大橋だ。
遠くからでもわかる異様な形をした橋である。対岸にも同じように円をかいた橋があり、上空から見るとめがねに見えることからめがね橋と呼ばれているらしい。近づいてみると橋の下に入ることができた。
ぐるぐると円を描き交差し、最終的には対岸に向かってまっすぐと伸びていくのがたまらない。
ここからまた歩いて中山製鋼所へ向かった。工場地帯特有のどことない寂しさがあるがなんともわくわくするところだ。写真だけで伝わるだろう。
次なる目的地のなみはや大橋に向かおうとしたかここまで4時間ほど歩いてへとへとだったのでついにバスに乗ってしまう。適当なところで降りて千歳渡船場へ。大正区は川で囲まれているため、市営の渡し船が運行している。料金はかからない。船に乗るなんて小旅行気分だ。
自転車をおした主婦や野球少年たちが大勢乗っていた。日常に船がある生活なんてあこがれてしまう。
ここからなみはや大橋は30分ほど歩いた。ずっと曇っていた空からついに雨が降り出し、すぐに土砂降りとなった。なみはや大橋に登ってみるも雨のせいでほとんど堪能できなかった。
しかし、小説に出てくるIKEAを橋の上から見れたのは嬉しかった。
帰りは大正駅までバスに乗ってしまった。駅に着くと雨は止んでいた。
大正区の散策を終え、次は大阪の中心地を見て回ることにした。特徴的なドーム状の御堂筋線の心斎橋駅のホーム。朝の連ドラ『ごちそうさん』でもここの駅の建設のエピソードがあった。『あまちゃん』の後になんとなく見てたけど『ごちそうさん』も面白かったな。シャンデリア風の電灯も良い。
淀屋橋で降りて建物を巡る。まずは芝川ビル。
少し歩いた先の製薬会社が連ねたビルとビルの間に小さな神社があった。小彦名神社という名前で薬の神様が祀られている。
小さい境内の中には薬がずらりと並んでいた。
蔦が絡んでいるのは青山ビル。
武田薬品の旧本社の武田修道町ビル。
日本基督教団浪花教会。
淀屋橋駅まで戻ってくると駅を示すネオンが光っていた。
少し暗くなってきたがまだまだ散策を続ける。日本銀行大阪支店。
中も立派であった。
すぐ横にあるのが大阪中央公会堂。何か催し物があるらしく人がたくさんいた。
難波橋から見えた風景が綺麗だった。生活のすぐ側に水があるのは魅力的だ。
橋の近くにある大阪証券取引所。
これも難波橋からの風景。川の上を渡る高速道路と水に映る様子が美しい。
最後に大阪駅に戻ってきた。大阪駅の複雑な構造がこの位置からだとよくわかる。何階層にも分かれていて、各々の人々がそれぞれの意思を持って行動しているのが見てとれる。まさに生活と言った感じである。
すっかり暗くなってしまったので街の散策を終える。1日歩き疲れてしまったので、夕飯を食べすぐにホテルに戻り寝た。
3日目
最終日。昼過ぎの飛行機で帰る予定だったので朝早くから行動した。向かった先は、万博記念公園。阪急梅田駅のこの広さよ。
モノレールに乗って駅から降りるとすぐに見えてきた。太陽の塔だ。
入園券を買い、入場するとすぐ目の前に現れた。予想していたよりもすごい大きい。
写真だとその巨大さが伝わりにくいのだが左下にいる人々と比べるとその大きさが少しは伝わるだろうか。僕が見上げているこの塔を、かつて夢や期待に胸を膨らませた少年少女たちも見上げたのだろう。父親も大阪万博に小学生か中学生の時に行ったと行っていた。
公園は水と緑にあふれていた。パビリオン連ねていたかと思うとわくわくする。
やがて、目的地と言ってもいい国立民族学博物館に着いた。通称みんぱくである。
本当に面白い博物館だった。決してネタとして展示されているわけではない。しっかりとした理念のもとに各々の民族や文化について展示されている。
陽気な墓。死というものの不幸感がなくて良い。
たしかアフリカの理髪店の看板。東京ヘアカットもある。
これは涙壺というものらしく、かつては儀式的に涙を壺に落として利用されていたらしいがいつしかその意味が失われて花瓶として利用されるようになったらしい。なんてロマンチックな壺だろうか。
世界の楽器も多く展示されていた。音楽の展示の説明文にグッときた。
日本コーナーにあった藁人形たち。
2時間ほどいたがまだまだ見ていたかった。飛行機の都合により、泣く泣くみんぱくを後にした。ミュージアムショップで羊飼いのピンズとモンゴル相撲のハンコを買った。可愛いので家に保管する。
帰りに太陽の塔の後ろが見えた。
今ではほとんど誰もいないこの通りに、たくさんの人々がいたことを想像した。
万博記念公園から直接、関西国際空港へ向かった。飛行機が少し遅れていたが、無事に飛び、東京に帰ってきた。
今回の旅行では、一般的な観光の大阪とは違う側面を見れた気がした。いや、本来の姿と言っていいのかもしれない。建物を見ることによって、かつてそこにあったなにかとその連なりを思った。この旅行の全ては柴崎友香さんの小説と、大阪建築の本に支えられた。
バイトのことや三連休など 9月12日〜9月19日
月曜日
夕方からバイト。2ヶ月前ぐらいに入った新人の人と一緒だった。アイドルみたいな顔をしているのだが、時々髪の毛を輪ゴムで止めたり破れたストッキングを履いたりしていて見ているだけで不安になるような人。パートのおばさんがその子の勤務態度が悪いと悪態をついていた。最低限の仕事をこなしているのだからいいのではないかと思うがそうはいかないらしい。一方で37歳未婚のチャラい店長は、天然だから仕方ないと言う。天然という言葉でくくってしまうのも何か違う気がする。多くの人が考える「普通」から少し離れているだけで、まったくその人を理解しようとしない人たちはなんなのだろうか。僕の姉が、映画の『桐島、部活やめるってよ』を観た時に、「へーオタクも色々考えてるんだね」と言った時は衝撃だった。
火曜日
2回目の『君の名は。』を観に行く。平日の昼間だというのに相変わらず劇場は満席だった。傑作だと再確認した。
水曜日
初台のサンデーベイクショップに行った。このお店のカボチャのチーズケーキが本当に美味しい。毎日でも食べられる自信がある。帰りに新宿で『くるりの20回転』を買った。くるりだけはいつ聴いても飽きない。初回盤に付いてくるブックレットは、昔からのファンにはたまらないものがあるのだろう。
そのままバイトへ行く。例の新人の人が店長に呼び出されて30分も注意を受けていた。かわいそうで仕方がない。店長が帰った後、いい人ぶるために、真剣に受け止める必要はないなどと言って慰めた。これが原因で辞められたらたまったもんじゃない。ここ1ヶ月で2人もバイトをバックれている。1人は声優志望の専門学校生で、もう一人はクラッチバッグを小脇に抱えてくるような大学生だ。2人に共通していることはLINEのアイコンが自分1人の写真であるという点である。今後こういう人物は要注意だ。
木曜日
この日もバイト。特に面白いことはなかった。時々、ツイッターで自分のバイト先を検索してみる気持ち悪いことをするのだが、いかに嘘が溢れているかを実感する。某チェーンの喫茶店であるという理由から、マルチの勧誘を隣でやっているという内容のものが多く見られる。しかし、2年間働いていてそのような現場に遭遇したことがない。イメージから嘘のツイートをしているのだろう。これが創作実話というやつかと思った。ちなみにヤクザは本当に来る。
金曜日
1日中部屋の掃除をしていた。
土曜日
3連休初日。両親が東京に遊びにくる。阿佐ヶ谷まで歩いて行き、商店街をフラフラしてから電車で吉祥寺に行った。吉祥寺でお昼を食べ、井の頭公園を散策した。その後は西荻窪へ。越後鶴屋でいちご大福を買う。高円寺へ戻り、夕飯に焼き鳥屋に行く。中央線の1日だった。
日曜日
姉と合流して家族で神楽坂へ行く。通っている大学の一駅隣だが来たことがなかった。意外にも人があまりいなく、静かでいい雰囲気だった。
お昼は和食を食べた。栗ごはんや天ぷらなど。大きな通りにコボちゃんがいた。お祭りをやっていたので法被を着ていた。
神楽坂を後にして浅草へ。浅草演芸ホールで落語をみた。
落語ブームなんて言われているから若い人も来てるかと思ったらほとんど年配の人ばかりだった。3時間ほど見た。面白かった。365日やっているので今後暇な時は見に行こうと思った。夕飯を洋食屋のヨシカミで食べる。
昔から浅草にあるお店でいい雰囲気だった。ポークソテーを食べた。シンプルで美味しかった。
月曜日
三連休最終日。朝から川崎のコストコに行く。大量に食料などを買い、家族で分ける。お昼過ぎに両親は長野へ帰っていった。暇だったので新宿の紀伊国屋に行った。『うちのクラスの女子がヤバい』2巻を買った。早めに寝た。
- 作者: 衿沢世衣子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2016/09/16
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最近のこと 9月前半
もう9月だ。旅行をしてから無気力な日々を送っている。まだ夏休みなのでどこかに行きたいがお金がない。毎日バイトばかりしている。
旅行の移動中に読んだ佐藤哲也の『シンドローム』が面白かった。福音館書店から出されているボクラノSFシリーズという児童向けの作品なのだが青春をこじらせて大人になってしまった人が読むとガツンとくる。また、文章のいたるところに意識的に工夫がなされているので何度でも読み返したくなる。
9月1日に大学のゼミのつてで、贅沢貧乏の『ハワイユー』を観に行かせてもらった。面白い作品だった。主宰の山田由梨さんは今後注目されていく人物なんだろうなと思った。
9月3日に新海誠『君の名は。』を観に行った。傑作だった。これはもう何人の人も言及しているが、ロロの『あなたがいなかった頃の物語と、いなくなってからの物語』を思わずにはいられなかった。もう一度観に行きたい。
9月4日に葛河思潮社『浮標』を観に行く。チケットが高い上に上演時間が4時間という長さだったため、行くか悩んでいたのだが観に行って正解だった。戯曲の中の強い「生」に胸を震わせられた。舞台セットが床に砂を敷き詰めただけのシンプルなところも良かった。
舞台を観た後は、シャムキャッツのインストアライブに行った。生で聴く「マイガール」最高でした。CDにサインをもらって帰宅。
9月6日 ENJOY MUSIC CLUBのこの前のライブの様子がYouTubeに上がっていた。お盆で実家に帰っていたため行けなかったのが悔やまれる。良すぎて何回も再生してしまう。
9月9日 かもめんたるがキングオブコントの決勝に進出した。好きな芸人なので嬉しくてたまらない。この前の単独ライブの様子だと、「念」と「冗談どんぶり」のコントを決勝で披露すると思う。かもめんたるは有料メルマガの会員にもなっているほどだ。最近ではメルマガ内のラジオで毎回ネタが読まれるのでそれを生きがいにしている。ラブレターズも決勝に進出していた。前回の単独からネタをやるとしたら親子のラップのネタかもしれない。
『太郎は水になりたかった』2巻を読む。相変わらず面白かった。面白さの中にどこか切実な、胸にグッとくるようなものがある。
東北旅行記8月22日~8月27日 後編
4日目
この日は朝から弘前を観光した。弘前は明治や大正の古い建物が多いということなのでレンタサイクルを借りて街の中を見て回った。適当に自転車を走らせてみるとすぐに古い教会を見つけた。
教会のすぐ近くの商店街には可愛い赤い三角帽子の時計屋があった。決して最近のものではなく、明治30年に作られたらしい。
ここから少し足を伸ばした弘前城周辺にも目を引く多くの建物があった。これは明治39年に建築された旧弘前市立図書館。
赤レンガの酒造倉庫。
偶然見つけた和菓子屋さん。うんぺという名の謎のお菓子が売られていた。
他にも色々とあった。このように多くの建物が現在まで残っているのは、弘前が戦時中に空襲被害を受けなかったかららしい。
この消防署もパッと見は普通の建物だがよく見ると洋風の建築である。
いい感じの木造の建物。
弘前といえばリンゴなのでもちろんアップルパイを食べた。昔の洋館を改装した喫茶店に行った。
お店の雰囲気は良いのだけれど肝心のアップルパイは特別美味しいわけでもなく普通の味で残念だった。弘前でアップルパイを食べているという体験だけで満足しとく。電車の時間もあるので弘前駅に戻った。
弘前の観光を終え、次は秋田に向かう。秋田へは五能線のリゾートしらかみに乗って向かった。五能線に乗るのがこの旅行の楽しみの一つであった。リゾートしらかみはリゾート列車であるが快速扱いなので座席指定券を買えば青春18きっぷで乗ることができるのだ。今回乗ったのは新車両の橅であった。
リゾートしらかみは千畳敷という観光地に15分停車する。この15分の間は列車から降りることが可能なのでもちろん降りてみた。
千畳敷は地震で隆起してできた場所らしい。かつて津軽藩の殿様が千畳畳を敷いて宴会を行ったことからこの地名になったという。殿様専用の避暑地で庶民は近づけなかったこの場所に今では電車が止まり、庶民がぞろぞろと観光しているのはなんだか面白い。15分はあっという間なので電車に戻ろうとすると、海岸のお土産屋さんの店頭で電車の添乗員さんがなにかを買っていた。近づいてみると、イカ焼きであった。添乗員がわざわざ電車を降りて買うイカ焼きが美味しくないはずがない。迷う暇もなく買い、電車の中で食べてみることにした。
冗談抜きに今まで食べたイカ焼きの中で一番に美味しかった。噛めば噛むほどという文句はこのイカの為に存在していたのではないかと思うほどの美味しさだった。これは添乗員も買うわけです。車内販売で駅弁も買った。あわび弁当である。
正直なところあまり美味しくなかった。たしか1800円ぐらいしたはず。今度五能線に乗るときは千畳敷海岸でイカ焼きを買いまくるよ。
電車は秋田に近づくと海岸沿いを離れ、すっかり風景も田んぼや畑になってしまった。秋田に着いたのは19時ぐらい。秋田駅は予想の数倍栄えていた。勝手なイメージでもっとさびれた所を想像していたのだが駅前には大きな建物が並び綺麗に整備されていた。ホテルまでの道を歩きながら軽く散策をしたら洒落た店も多くあり昼間にじっくり街を見てみたくなった。残念ながら秋田には一晩しかいられない。泣く泣くホテルにチェックインし、この日は終わった。
5日目
朝5時過ぎにホテルをチェックアウトし出発した。朝の秋田の街並みはすっきりとしていて綺麗だった。マンホールには秋田犬がいた。
夜は気付かなかったのだが秋田市内には水が多いような印象をうけた。駅までの道には蓮がこんなにも咲いていた。
秋田駅で始発に乗り、向かうは山形の山寺。3時間ほど電車に乗り、新庄駅で乗り換え。新庄では新庄まつりというのをやっていて朝なのにも関わらずそこそこ賑わっていた。東北は面白いお祭りが多い。東北各地のお祭りを巡って旅行をしてみたいものだ。新庄から次の乗り換え場所である羽前千歳に向かうまでに電車の中にすごい数の中高生がいて、みんなどこに向かっているのだろうと不思議に思っていると天童駅でぞろぞろと降りていった。駅から見える距離にイオンモールが広がっていた。みんなここを目指していたのか。羽前千歳で乗り換え、山寺駅に到着した。ちょうど12時ぐらいだった。
目的の山寺は山の上にある。朝からろくなものを食べていなかったので参道のふもとのお蕎麦屋さんでお昼を食べることにした。だしそばというのを食べた。
観光地のそばの味なんて程度が知れていると思っていたがここのお蕎麦は美味しかった。山形だしを使っていて、上にはきゅうりやオクラなど夏らしいものが乗っていた。美味しいそばでお腹を満たし、いざ山寺へ。山寺の正式名称は立石寺と言い、松尾芭蕉が有名な「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだ場所である。松尾芭蕉が出迎えてくれた。
お寺までの道のりの1015段の階段は、日ごろまったく運動しない僕にはつらいものだった。馬鹿みたいに汗がしたたり落ちていた。しかし自然の濃い緑が本当に綺麗だった。
山の中を抜け、中腹までくるといよいよ目的の場所が見えてきた。
ついにたどり着く。
上からの景色は絶景で、よく登ってきたなあと自分でも関心する。下の方に駅と線路が見えた。
少しの間達成感を味わってから再び来た道を戻る。山道は下りのほうが疲れる。立ち止まると足がガクガクして情けなかった。なんとか下までたどり着き、喉がカラカラだったので売店で山形っぽい飲み物を買う。
疲れた後のこういうものってかなりの確率で美味しく感じるはずなのに、シンプルに美味しくなかった。結局お茶か水が一番だ。
山寺から山形駅へ向かう。20分ぐらいなので近い。山形駅からこの旅行最後の宿泊地、蔵王温泉へバスで向かった。蔵王温泉に着いたのが15時。
旅館にチェックインし温泉街を散策した。そこら中に硫黄の香りが漂い、流れる川からはもくもくと湯気が上がっていた。
山形名物の玉こんにゃくが売っていたので食べてみた。
普通に美味しかったです。だけど山形で食べてるから美味しいのかもしれない。自宅の食卓にこれがでてきても、味が染みたこんにゃく程度にしか思わない。
旅館に戻り、夕飯前に外湯の共同浴場に行くも地元のおじさんたちがワイワイしていたので恐れおののいておとなしく旅館の温泉に入る。山寺で体が疲れていたので最高に気持ち良かった。旅館の夕飯も美味しく旅行最後の夜はだらだらと過ごした。夜に温泉街をふらふらしてみると、飲食店の前にライトに照らされた猫がいた。ピンクのライトがいい雰囲気を醸し出している。
旅館に戻り、ぐっすり眠る。
6日目
最終日。朝、硫黄の香りで目が覚めた。雨が降っていた。旅館で朝食を食べ、東京に戻るべく10時頃に蔵王温泉を後にする。バスで山形駅へ行き、そこから電車。13時ごろ乗り換え駅の米沢駅に着く。ホームには米沢牛がいた。
お昼に全国駅弁ランキングの上位に毎回ランクインする有名な駅弁の牛肉どまん中を食べた。牛肉づくしで美味しかった。
米沢駅から福島、郡山、黒磯と順々に乗り換え、無事関東まで戻ってきた。18時過ぎぐらいに宇都宮に着く。せっかくだからと電車を降りて、夕飯に餃子を食べた。お腹を満たし、後は本当に帰るのみ。21時近くに高円寺に着く。この日、高円寺では阿波踊りだったので人が多く、駅はごった返していた。一気に日常に引き戻された。なんとか家に到着する。
5泊6日の東北旅行が終わった。買ってきたお土産はゼロ。美味しいものを食べるためだけにお金を使った。今回は2回目の東北旅行だったわけなんだけど、行けば行くほどまだまだ見たいところが増えていく。今度はどこに行こうか。
東北旅行記8月22日〜8月27日 前編
1日目
青春18きっぷを握りしめ、始発で高円寺から仙台を目指す。台風9号が来ていたので電車が動かないかと心配していたが朝方はまだ大丈夫だった。上野から東北本線に乗ると、いよいよ旅が始まるぞとわくわくする。ここからひたすら北上する。合計8回の乗り換えは2年前に東北を旅行した際と同じルートだ。乗り換え駅の黒磯駅で面白いものを見つけた。駅のホームにある木で出来た謎の扉である。
調べてみると、これは皇室が那須の御用邸を訪れる際に利用される扉らしい。どうりで立派なわけだ。もちろん一般人は入ることができない。
台風9号が徐々に影響を及ぼし始めていた。電車を乗り換える度にいままで乗ってきた区間の電車が運行休止になっていくのだ。後ろから台風に追われる恐怖。運がいいことに、台風に追いつかれずに仙台にたどり着くことができた。曇天模様の仙台。
仙台に着くとすぐにお昼を食べに向かった。食べたのは穴子である。本当は、松島が穴子で有名なのだが、松島にほど近い仙台にも穴子専門店がいくつかある。
うなぎよりもさっぱりとしていて食べやすく美味しかった。穴子を食べた後は、ずんだ餅を食べに行った。
次第に雨が降り始めた。有名な定禅寺通りも雨で暗い雰囲気。
夜には暴風雨に変わり、駅前は冠水していた。仙台に来たからには牛タンを食べなければと、雨と風の中、味太助という牛タンのお店に行った。
おそらく、いままで食べた牛タンの中でトップクラスに美味しかった。厚さはそんなにないのだが、弾力があり、噛めば噛むほど味が滲み出てくる。本当に美味しい牛タンに厚さなど必要なかったのだ。テールスープもいままで飲んだものの中で1番美味しかった。お店も昔ながらの古い雰囲気で、頑固そうなおじさんが目の前で焼いていた。その様子に少し緊張もした。だから牛タンの写真が変な感じになってしまっているのである。とにかくまたすぐにでも訪れたいほどだ。
牛タンを食べた帰り道に、日本で1番古いハンバーガー屋さんで有名な、ほそやのサンドに行こうしたのだが、もう閉まっていて残念だった。
ホテルに戻り、1日目が終わった。
2日目
台風が過ぎ去り、綺麗な青空となっていた。この日も朝から電車でひたすらに北上する。朝食は仙台駅で牛タン麦ごはんを買って食べた。ご飯に焦げ目がついていて予想よりも美味しかった。
なんの問題もなく、盛岡にたどり着く。盛岡で冷麺を食べる。
ここまでは2年前とまったく同じだ。前回はここから青森の八戸を経由して、三陸鉄道に乗るために岩手の久慈を目指したのだが、今回は秋田県を経由して青森へ向かった。盛岡駅から第3セクターである、IGRいわて銀河鉄道に乗った。
この鉄道の名前はもちろん宮沢賢治からきている。JRの花輪線に乗り換えるために、好摩駅で下車した。いわて銀河鉄道の駅名の標識は星が飛んでいて可愛い。
少し待ち時間があったので誰もいないホームで、盛岡で買った福田パンのサンドイッチ食べた。
台風一過の晴天で食べるサンドイッチは最高だった。こういう時に、旅行していて良かったなあと思う。
花輪線は車窓からの景色が本当に綺麗だった。後ろに見えるのは岩手山だ。高くない山というのもまた魅力的に見える。丸みをおびたフォルムがどこか優しげで見守ってくれているような趣きがある。
どの景色も見飽きることなくずっと眺めていられた。
花輪線にしばらく乗り、秋田の大館駅に着いた。大館は秋田犬発祥の地であるためこのような看板があった。秋田犬は大舘犬と呼ばれていたこともあったらしい。
大舘駅から奥羽本線に乗り換え、青森に向かった。青森に無事到着する。ちょうど19時ぐらいだった。
この日は10時間以上の移動だったのでさすがに疲れ、すぐさまホテルにチェックインし外に夕飯を食べに出た。事前に行きたいお店を調べておいたのだが、お店の前まで行くとまさかの休みで立ちすくむ。他に食べる場所を探すも、まったく見つからず時間だけが過ぎていきチェーン店以外は閉店していく。せっかくの旅行なのにコンビニで夕飯を買うことになる。青森っぽい食べ物をいくつか買い、ホテルで食べた。
すべてまあまあの味でした。ほぼ移動だけの2日目が終わる。
3日目
朝は朝食を食べるために青森魚菜センターに行く。ここでは、のっけ丼というのをやっている。こんな感じで魚屋さんが市場の中にあり、事前に購入したチケットと交換でお店に売っているお刺身をご飯にのっけてもらう夢のような体験ができるのだ。
種類によってチケットの枚数は異なり、ホタテやウニなんかはもちろん枚数が必要になってくる。そしてこれが僕が作ったのっけ丼である。
海老やイクラやウニなど高そうなものばかりを乗せた、彩りもなにもない欲望のままの丼である。朝からこんなものを食べて体が心配になるが食べたかったから仕方ない。どれも新鮮で本当に美味しかった。
朝食も食べ終えて次はバスで三内丸山遺跡を訪れた。行きのバスの床が木だったのに密かにグッときた。
三内丸山遺跡はとにかく広かった。
何千年前にかつてここで生活していた人たちの痕跡を見ていると不思議な気持ちになってくる。
この壺は子どもの墓。なぜか子どもの壺には必ず底に丸い穴があけられているらしい。理由は定かになっていない。いったいどんな風習や思いがその行為に込められていたのだろうか。
遺跡の水道やトイレの表示が少し工夫されていて可愛かった。
博物館の人形が面白かった。誰もがツッコミたくなる指差す方向。
これが有名な美術館である。
なんとなく後ろに回って写真を撮ってみたら、すごい落ち込んだ人みたいになっていて面白かった。
あとは、美術館あるあるなんだけれどトイレがすごい綺麗でした。
青森県立美術館を見終えて再び青森市内に戻ってきた。お昼を昨日の夜行こうとして閉店していた、おさないという定食屋で食べた。青森の名物であるという貝焼き味噌を注文。ホタテが本当に甘くて幸せに満たされた。
腹ごしらえをして次に向かったのは、ねぶたが展示されているねぶたの家ワ・ラッセだ。面白い見た目の建物をしている。
青森の有名なねぶた祭りのねぶたが広い館内に並べられている。
写真では伝わりにくいのだが、本当に大きくて、細かいところまで作りこまれている。これが街を練り歩くなんて夢のようだ。生きているうちに一度はねぶた祭りを生で見てみたい。
ねぶたに圧倒された後は海辺で青森産のアップルサイダーを飲んだ。海風が最高に気持ち良かった。
そういえば街中に土偶のオブジェがあって可愛いかった。
この日は青森を存分に観光して、夜に弘前に移動して3日目が終わった。
羽海野チカの世界展や帰省中のこと
中学生の時に、姉の本棚にあった『ハチミツとクローバー』をこっそり読んだ時の感情を今も忘れていない。こんなにもあらゆる人の喜びや悲しみを掬う漫画があるのかと心を震わせた。今になって読み返した方がさらにその凄さを実感することが多い。もちろん『3月のライオン』も1巻が発売された頃から追いかけ続けている。恋愛から将棋へテーマを変えたものの、そこでうごめく人々の感情にはなんら変わりない。両作ともに天才の苦悩、凡才の苦悩が描かれいる。そこに注がれる羽海野チカの視線の暖かさは異常といっても言い程だ。いったいどんな精神状態で描いているのだろうか。まさに自身の血をインクにして漫画を描いていると言っても過言ではない。羽海野チカも、はぐちゃんや零くん同様に苦悩の天才だ。傑作における真の共感とは、決して甘ったるいものではなく、悶え苦しむことであるのだ。展覧会では1ページが出来上がるまでの下書きが展示されていたのだが、その書き込みの量が凄まじかった。最終的に出来上がる原稿には、その半分以下のことしか描かれていない。ブラッシュアップの過程が素晴らしかった。
羽海野チカの作品の魅力は何と言っても、キャラクターの可愛さだ。全ての登場人物が愛おしい。原画は、淡い配色がなされながらも、キャラクターはしっかりとした線で描かれていた。力強い線は登場人物たちを反映しているようにも見える。今回の展覧会はグッズも豊富で全てが可愛かった。もし僕が女子だったら買いまくっていた。男だという引け目から何も買いませんでした。
帰省中に、山梨の信玄餅工場に行った。みんなが大好きな桔梗信玄餅のビニールの包みは全て手作業で結ばれていた。
これから桔梗信玄餅のビニールの包みをほどくときはどこかの知らない誰かが結んだことを思い出すのだろう。
諏訪大社の下社春宮にも行った。
両サイドには御柱が立てられている。
ここから歩いて数分のところには、岡本太郎が絶賛した万治の石仏がある。
横からのフォルムが想像より長くて面白い。
おわり。