記録

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草餅の香り

もう一ヶ月前ぐらい前の話なのだけれど、夕方電車に乗っていたらぞろぞろと泥まみれの野球少年たちが乗ってきた。中学生くらいで、騒がれたら嫌だなあと思っていると思い思いに手に下げたビニール袋から食べ物と飲み物を取り出し食べ始めた。右からピザポテト、ようかん、からあげ棒、クーリッシュ。飲み物は濃いめカルピス、ファンタメロン、ドデカミン、Qooだった。部活終わりに中学生が選ぶにはあまりもベストなセレクトで感嘆した。黙々と食べては飲みを繰り返し、よそ見している友達のピザポテトにこっそりと手を伸ばしたりもしていた。ちょうど電車は川を渡るところで、夕陽が車内に差し込んでいた。彼ら自身は気づきようのない、永遠のようなものを目撃してしまったような気持ちになった。

最近はずっと気分が低空飛行を続けていて、この気分が自分の当たり前のようになっている。これはコロナのせいだったり暑さのせいだったり色んなことが要因なのだろう。映画もドラマもバラエティ番組も観たいし、本も漫画も読みたいがこの1年くらいは気分がそれらに追いついていかない。好きなことへ向き合う気力がなくなっていることが悲しい。けれども、『愛の不時着』(駅のアナウンスで韓国語が聞こえてくるとリ・ヒョンジョクの顔が浮かんできたり、今でもあの第5中隊のみんなや村の奥様方の愛おしさを思い出す!)も『Nizi Project』も夢中になって観たし、『半沢直樹』も毎週楽しみで仕方がない。もはや流行っているものを執念と楽しみの半々で追いかけている。本は相変わらず児童書を読んでいて、最近はケストナーの『点子ちゃんとアントン』を読んだ。

 

点子ちゃんとアントン (岩波少年文庫)

点子ちゃんとアントン (岩波少年文庫)

 

 

まずもって点子ちゃんというキャラクターの最高に魅力的なこと。最初の1ページ目から社長の娘である点子ちゃんが壁に向かってマッチ売りの練習をしている場面から物語が始まるのだ。このシーンだけでがっしりと読者の心をつかむ。なによりケストナーの作品には嘘がない。人生にはどうしようもないほどにつらいことがあるんだと正直に語る。でもそんな中でも、賢さや勇気、優しさがあれば生きていくことができるとあらゆる物語で伝えてくれる。その「正しさ」が今の自分にはとても響く。ダイアナ・ウィン・ジョーンズの『アーヤと魔女』も読んだ。

アーヤと魔女

アーヤと魔女

 

本当に短いお話なのだがこれもまた賢さをもって行動できる子どもの話だ。

『たいようのおなら』という子どもが書いた詩集をツイッターにのせたところ13万いいね2万リツートといういわゆるバズるという事態になった。こんなこと予想もしていなかったので怖くなってしまった。バズるのは可愛い猫だけだと思っていた。しかしながら『たいようのおなら』は本当に良い詩集だ。とりわけこの「なかなおり」は素晴らしい。

わたしが五さいのとき

おとうさんと

おかあさんが

ふうふげんかをしました

でもいまは

わすれています

きょうは 土よう日

あしたは 日よう日

あさっては 月よう日です

 最後の飛躍の美しさ。

絵本は『ゆうびんやのくまさん』『せきたんやのくまさん』『ぱんやのくまさん』などの働くくまさんシリーズを読んでその淡々と働く姿に美しさをみた。ドラマチックなことはなにも起こらず、ただくまさんが働いてお金をもらい、1日の終わりにお茶を飲み本を読む姿が描かれている。そのなんでもない営みの尊さよ。ちなみに『せきたんやのくまさん』だけ石井桃子が翻訳している。 

 本当に久しぶりにブログを書いた。まったくもって書くことがないと思っていたが、いざ書き始めるとあれもこれもとなって意外に書けてしまうものだ。普段生活していて起こった出来事や気づいたことをブログに書こうとスマホにメモをしたりすることがあるのだが、大抵は見返すとどうでもいいことのように思えて消してしまう。その中でもかろうじて消していなかったことを書いて終わりにする。メモには「草と草餅」と書いてある。これは、仕事帰りに夜道を歩いていたら原っぱから良い香りがしてきて、その時に「あっ草餅の香りだ」と思ったのだが、すぐにいやいや草餅は草からできているから草の香りがするのであって、原っぱから漂ってきたのは草餅の香りではなく草そのものなのだと気づきハッとしたという出来事だ。ただそれだけの出来事だ。