記録

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古いハム

すみません!そのパニーニ、古いハムでした!

帰省する前の年末、家までの坂を登りながらパンをかじっていたら、パン屋さんのお兄さんが走りながらそう伝えてきた。僕の手にはもう3口ほどかじられたパニーニがあり、お兄さんもそのかじった跡を見つめていた。「古いハムなんですけど、食べれるハムで、」と焦っていた。新しいの作り直すのでと言われたが、全然大丈夫ですよ、と断った。自分でもなにが全然大丈夫なのかわからないが、坂を走って追いかけてきたのに驚くとともに、謝らせて申し訳ないという謎の遠慮を発揮した。そもそも、人に怒るとかそういうことができないし、失敗をしょっちゅうしてしまう人間なので、あらゆる相手の粗相を許してしまう。失敗しようとして失敗する人なんているはずがないのだから、怒っている人を見ると引いてしまう。優しさで怒ってるとか、成長させるために怒ってるとか言う人がいるが、そういう人は基本信用しない。とにかく古いハムのパニーニは、美味しかったし、それが古いハムだとわかるような舌を持ち合わせていなかった。今年初めてのブログが去年の古いハムの話で始まってしまったわけだが、年始のことを書く。

 

ふる雨は

あとなく晴れて

のどかにも

ひかげさしそう

山ざくらばな

今年初めて引いたおみくじは大吉であった。これはそこに書かれていた和歌だ。なんとなく良いことが詠まれているような気がする。

2019年1月1日新年の幕開けは、父と姉による説教によって始まった。朝、席に着くとこれから就職はどうするのかという話になり、散々大きな声でまくし立てられた。もちろん、なにも仕事を見つけられず決断することもできない自分が悪い。うだうだとフリーターを続けているのは心が苦しいし、今後どうすればいいのかと日々悩み続けている。けれどもどうしたって普通の人ができることができない。うつむいておせちに箸をのばすパッとしない新年の幕開けだった。

お正月で特にやることもないのでここで書いた日記っぽくない文章をnoteにまとめてみた。

みわ|note

実家に帰ってきて発掘された僕が中学の卒業文集に書いた作文がなかなか尖っていたので一部有料で載せた。けれども、有料とかなに調子乗ってるんだよと今更になって恥ずかしくなり、普通に公開することにした。ここにもその中学三年生の時に書いた文を載せる。

「青春は、まだ遠く」

この中学三年間は、僕の青春の一部なのだろうか。青春は、もう訪れたのだろうか。そもそも、青春とはなんなのだろうか。こんな疑問が卒業をむかえた僕の頭の中にはある。
ある時、先生に青春はあったのかと質問をした。先生は、軽く返事をし、なつかしそうにどこかを見つめていた。青春とは語りたくないものなのかとその時思った。
中学校生活を通して、授業が面倒だと思ったことは度々あったが、学校へ行くのが嫌と思ったことは一度もなかった。それは、仲間に会えたからだ。朝、部活動に参加し部員みんなで一つの目標に向かって練習をする。その後、教室に行きクラスの人と顔を合わせる。一日中授業を受けたら、放課後は生徒会室で役員のみんなと仕事をする。そんな毎日の繰り返しだった。繰り返しから生まれる習慣。習慣から生まれる信頼は、仲間との関係をより強くしていった。数ある仲間との思い出の中で特に印象に残っているのが二、三年の時の文化祭だ。
まさか僕がやることになるなんて思ってもいなかった。もっと音楽に近い人がやることじゃないのか、もっと適している人がいるんじゃないのか。僕に指揮者なんてできっこない。決まった時は、そんな気持ちだった。いや、今でも僕がやるべきではなかったと思っている。結果的に優秀賞を手に入れることができたわけだが僕のおかげではない。指揮台に登った時は、クラスとの一体感なんて感じることもできず、逆にクラスから仲間はずれにされたような感覚だった。
それは、覚悟していたことだった。しかし、いざやるとなるとどこから手をつけていいか分からなかった。文化祭を実行するという大きな壁を前に立ち止まってしまった。手さぐりの状態で生徒会企画の案を相談し、シナリオを協力して作り上げていった。大変だったがなぜか楽しかった。どうにか開催までこぎつけ、何事なく二日間が終わった。
二年の時の指揮にしろ、三年の時の文化祭実行委員長にしろ、仲間の励ましと協力があったからやり遂げられたようなものだ。二、三年の時の文化祭があっさりみえるのは、一人でやり遂げたわけではないからだ。
僕は、中学校生活を語ってしまった。つまり、先生の例をとってみればこれは青春ではないのだ。僕の青春はまだ遠くにあるのだ。いつ訪れるか分からない青春のことを考えるのは無意味なのかもしれない。しかし、待つということはとてもわくわくすることなのだ。この、待ち遠しい気持ちの先に僕の求めている青春はあるのだろうか。それは誰かではなく自分で決めることなのだ。

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いやはやとても恥ずかしい。この犯罪予告に使われそうな字の汚さもさることながら、なに青春とか言っているんだ。しかも、仲間とかいう言葉を出して良い子ぶっている。当たり前だけれど文体が今と似ているのも嫌だ。ということは、この三年間書いてきたブログもあと10年経ったら恥ずかしくて仕方のないものになるのだろうか。きっとそうなる。恥ずかしいということを自覚していることによって中学生の頃よりはワンランク違うのだと自分に言い聞かせて正気を保とう。

1月2日は、朝起きると外に雪が積もっていた。そしてまたもや朝から家族に説教をされる。雰囲気が暗いだの、髪型が中学生みたいでダサいだの散々の言われようだ。そして最終的に行き着くのは、見た目の印象が悪いから就職の面接で受からないのだという一点だ。父と姉は、各々の会社で人事にいるのでぐうの音も出ない。たしかに髪型も体型も過去最悪である。前までは普通の美容院で切っていたのに今では2000円とかのところだし、ただでさえお腹が出ているのに体重はぶっちぎりで最高体重を更新し続けている。なので、直近の2019年の目標は、髪型をちゃんとすることと、体重を減らすことに決めた。

自己を処理出来ない者は
人の上に立つことができない(ジョンソン)

これは、初詣に行った神社の片隅に置かれていた無人のとても怪しいおみくじに書かれていた言葉だ。まるで自己啓発書から引用したかのようだ。そもそもジョンソンって誰だ。面白がってこんなものに200円払ってしまった。おみくじは1年に1回とかではなく、ガンガン引いていくスタイルを採用している。そして、良いことが書かれているものだけをありがたる。 

 今年もどうでも良いことを書いていきます。どうぞよろしくお願いします。

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