記録

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生産性

生産性という言葉を聞いて思い出したことがある。大学に入学してすぐ、映画サークルに入った。そのサークルでは、1年生はみんな1本映画を撮ることになっていて、例に漏れず僕も脚本を書いて監督をすることになった。今思い出すと、とても恥ずかしい内容なのだが、その中にうだつの上がらない大学生という登場人物がいた。僕は台本で、その登場人物に、「だらだらとしてる日々」を長々と語らせた。いざ撮影日になり、サークルの人に俳優をやってもらった。その時、僕が書いたそのセリフを彼は、ここの部分長いから「生産性のない毎日」でよくない?と言った。自分の意見を押し通す勇気はあいにく持ち合わせていなかったので、じゃあそうしよっかなあ、なんて返答をした記憶がある。しかし、その時、「生産性のない」と省略されてしまうことに強烈な違和感を覚えた。確かに生産性のない毎日かもしれないが、だらだらとした日々を詳細に語らせることが「生産性」という言葉から逃れる唯一の方法だったのではないか。結局、その撮影は僕の頓挫で完成することは無かった。そのままサークルも参加しなくなり、友達も片手で数えるほどしかできず、まさに生産性のない日々を卒業まで4年間送った。