記録

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生活の途中で

 

なにか新しいものを手に入れると、そればかりを使ってしまう。最近は、新しいカバンを手に入れて、どこへ行く時も常に持ち歩いている。

11月24日の文学フリマ東京に出ます。ブースは【トー06】です。今回は、『生活の途中で』という合同誌を作りました。執筆者は、こだまさん(『夫のちんぽが入らない』『ここは、おしまいの地』)、詩人の斉藤倫さん(『どろぼうのどろぼん』『ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集』など)、三浦直之さん(ロロ主宰)、ヒコさん(ブログ『青春ゾンビ』)、久保泉さん、GAME BOYZさん、Nookさん、自分です。そして、表紙のイラストは西村ツチカさんに描いていただきました。

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自分で声をかけておきながら、とても豪華な執筆陣で恐れ慄いている。皆さんには、憧れと尊敬と、なにより大好きという純粋な気持ちがあって、そんな方々が快く執筆の依頼を受けてくださったことが本当に嬉しかった。執筆陣の方々には、生活をテーマに文章を書いていただいた。自分の中で生活とは、泥臭くて情けなくてブルージーなものだと思っていて、そんな中で時々わずかな喜びを見出していくことが生活するということだと思っている。例えば、朝起きてゆっくりコーヒーを淹れるみたいな、そういう丁寧な生活のようなものはもっと憂いを帯びた日常の中でこそ輝いて意味を持つだろうし、そういった丁寧さが生活の前面に出ているものは引いてしまう。だから、生活をテーマにしてもなるべくそこからは距離を取りたかった。どこか情けなくてさびしくて、それでもずっと続く日常の中に喜びを見出して生きている人たちに文章を書いてもらいたいと思った結果が今回の執筆者の方々だった。

ここ数年、ツイッターやnoteで見かける、なんとなく良い文章のようなものにはどうしたって反発したくなる。もちろん、それによって感動したり救われたりしている人がいるのはわかっているし、否定はできない。でも、なんでもなさや日常の尊さを声高に叫ぶようなことはしたくない。ただ、誰かの生活が、日常が、そこにある。小さなことで喜んだり悲しんだりしている。そんなことをほんの一瞬でも想像できればそれだけで十分だと思う。 

今回文フリでこの本を販売しますとツイートしたら、何人もの方から通販はしますかと問い合わせがきた。きっと、文フリが終わった後もそんな問い合わせが来るような気がするので、文フリに来られない方のためにひっそり予約販売をしてしまおうかと思います。発送は12月中になります。今回も赤字覚悟です。

miwa261.stores.jp

文学フリマ東京に来られる方は、11月24日東京流通センター、ブース【ト−06】でお待ちしています。

となり駅まで

ここ数週間の大きな出来事といえば、松屋のごろごろ煮込みチキンカレーが食べたすぎて、短い仕事の休憩中に隣駅まで電車に乗っていったことだ。わずか1週間限定の復活で、あと何回食べることができるだろうかと思っていたが、結局1度食べるだけで終わってしまった。お昼時でもない、15時ごろの店内は人はまばらで、みんなチキンカレーを食べていた。券売機の前には、小学生の男の子とその母親らしき人がいた。中国語を話していた。子どもがなかなかメニューを決められず、5分以上あれこれ母親と話している。あーはやく決めてくれないと休憩終わっちゃうよ、焦りながら美味しいカレーを食べたくないよと思っていると、母親が振り返り、僕の存在に気がついた。その途端、子どもを罵倒の寸前くらいの勢いで急かし始めた。なぜか日本語で。はやく、はやくと。私たちは急いでいますよと伝えたかったのだろうか。結局、子どもはなにも決められず席に着き、母親の牛すき鍋膳をつついていた。急かしてごめんなさい。

松屋のチキンカレーといえば、佐久間さんのANN0で、チキンカレー復活ポスターに祭と書かれていて、勝手に祭にするな、俺たちが祭にするからと言っていて面白かった。人気であると自覚していても、それを自らおおっぴらにするのは引いてしまうのでよくわかる。そんなことより、創業カレーを復活してくれ。あれは本当に美味しかった。

アゴラで、今泉力哉と玉田企画『街の下で』を観た。終始、本当にこれでいいのだろうかと思いながら観ていた。瞬間としての面白さはあるのだけれど、玉田企画のこれまでの作品のような場面の積み重ねがなく、もったいなさを感じた。構造は、数年前に玉田企画がテアトロコントで上演したものと同じであったが、あの時は30分だからこそ面白かったのだ。今泉力哉的作品部分をフリにするのではなく、そこをベースに玉田さんのいつもの展開が観たかった。あくまでも、こちらが観たかったものに過ぎないのだけれど。終盤の不条理劇的展開も、城山羊の会やケラさんの作品を観てしまっている以上、もっともっとずれていってしまってもよかった。観終わって、ナカゴーが観たくなった。

先日、久しぶりに荻窪のTitleへ行ったら、辻山さんに日記本良かったですと言われて本当に嬉しかった。数ヶ月前に渡したのだけれど、その時は勇気が出ずに一度普通にお会計をしてお店を出て、駅までの帰り道に、いや、やっぱり渡そうと道を引き返したのだった。あの時、勇気を出してよかった。男性でこのような日記を書く人はあまりいないので、きっと好きな人がたくさんいると思いますと言われた。

昨日は高校の友達と、タイ料理屋でカレーを食べてからオールナイトニッポンの脱出ゲームをやりにいった。タイ料理屋で大きなプーパッポンカリーを頼んで時々うまいうまいと言いながら、ほとんどの時間を黙ってあの棒を使ってカニをほじくる作業に没頭していた。黙っているので隣の席の女性たちの会話が聞こえてくる。その内容が不倫だの恋愛依存症だのの話で、疲れてしまった。誰も傷つけない方法で恋をしてくれ。

オールナイトニッポンの脱出ゲームは、4人1組の参加らしく、こちらは友達と2人きりだったので知らない男性2人と一緒に組むこととなった。謎解きは成功して、無事脱出できた。その2人はいかにもラジオリスナー風の人たちで、どんなラジオを聴いているのか少しだけ話した。帰りに佐久間さんのハガキをもらった。

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その後、友達と椿屋珈琲でお茶をした。友達の中では、椿屋珈琲はメイド喫茶と同じ枠組みらしい。思えば僕が仕事が辛かった時にすぐに彼が連れていったのも渋谷のメイド喫茶のような場所で、仕事を辞めた後に連れて行ってくれたのも巫女barであった。いや、椿屋珈琲はしっかりとした喫茶店だ。

しばらく話しをした後に、僕はカネコアヤノのライブへ行った。日芸の学祭の企画だ。カネコアヤノは相変わらずかっこよくてその佇まいが美しかった。ひとつひとつの言葉と音を逃さないよう正座して聴きたいと思った。「アーケード」と「燦々」に泣いた。そもそも、学祭というものに初めていった。大学時代は、自分の大学の学祭に一度も行ったことがなかった。あまりにも規模が大きすぎて怖かったのだ。大学時代、なぜか僕は親に、学祭毎年行ってるよと嘘をついていた。初めて行った学祭は、日芸になった。

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金木犀の香りに敏感でいたい

道行く人たちがいつのまにかコートや上着を羽織っている。どうして暖かい日から寒い日へ移り変わるばっちりのタイミングで適切な服装をすることができるのだろうか。駅のホームでふと周りを見回すと、自分だけ上着を着ていないみたいなことが起きる。実は、国が管理してる超巨大なライングループみたいなのがあって、そこで全国民で口裏を合わせてたりするのではないか。

最近はというと、相変わらず仕事の休憩は深夜の公園にいたりする。さすがに寒くなってきたが、コンビニのおでんが美味しくて幸せだ。日勤の日に、いつも通り公園に行くと、ベンチの上にある木が金木犀だった。深夜の暗闇のなかではまったく気がつかなかった。この季節になると、金木犀の香りだ!みたいなことを言う人がいるが、あまり金木犀の香りが分からない。分かるんだけど、分からない。金木犀の香りに敏感でいたい。

この1ヶ月で観た映画は『HELLO WORLD』のみだ。演劇は、ゆうめい『姿』と、藤田貴大作『蜷の綿』『まなざし』だ。『HELLO WORLD』は、ロロの三浦さんがツイッターで絶賛していたので観に行った。がっつりSFであった。観ている最中は頭の整理が追いつかず、全体がぼんやりとしか見えていなかったのだが、観終わってこの作品のことをふと考える度に、ああそういうことかと輪郭がはっきりしてきて、素晴らしい作品だったと気がついた。誰かのことを想う気持ちで人が生き返るのは、ハイバイの『霊感少女ヒドミ』っぽいし、せめてデータの中だけでも幸せでいて欲しいというのは、身勝手ではあるけれど、世の中に溢れる物語の救いの部分であり、マキューアンの『贖罪』を思った。ゆうめいの『姿』は、これまでの作品の集大成といった感じで、セットや舞台を大きく使っていてとても良かった。しかしそこには変わらない切実さがあった。とても素晴らしかった。いや、素晴らしかったという言葉で片付けていいのかわからない。過去と現在が同時に舞台上に現れるのは演劇でしかなし得ないことだと思っているので、そういう表現が好きだ。あと、僕はダンスに弱い。舞台上でそれほど上手ではないダンスを踊られると泣いてしまう。この前、犬飼勝哉『ノーマル』を観た時にも思ったのだが、改めて三鷹芸術文化センターの星のホールはいい劇場だ。

『蜷の綿』と『まなざし』は、ああマームだなという感想を抱いた。5年以上前に初めてマームを観た時は、こんな表現があるのかと衝撃を受け感動したのだが、今では観に行く度にもういいかなと思ってしまう。それでも毎回観に行っているわけだが。

坂元裕二さんから、「行った旅行も思い出になるけど行かなかった旅行も思い出になるじゃないですか」Tシャツが届いた。朝ポストを開けたら届いていて、嬉しくて仕事に向かう途中で開封してしまった。

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最近は、シャムキャッツの「我来了」をよく聴いている。


シャムキャッツ - 我来了 / Siamese Cats - 我来了 (Official Music Video)

ジャケットもMVも可愛くて大好きだ。来月、姉とその夫と僕の3人でシャムキャッツ のライブに行くことになっている。どういうふるまいをすればいいのか分からず今から頭を悩ませている。シャムキャッツに夫婦でハマっているらしいが、何年も前にシャムキャッツを教えたのは僕だ。それにしても、「おしえない」のMVは本当に良い。あらゆる風景の断片がある。


シャムキャッツ - おしえない! / Siamese Cats - Reflux

今は、深夜の2時半でいつもの公園にいる。どこからか、虫の鳴き声が聞こえる。これほどブログを書かなかったのは、いつ以来だろうか。就活がまったくうまくいかなくて気分が落ち込んでいた以来かもしれない。あれから2年以上も経つのか。同い年の人は社会人3年目とかで、自分はまだ1年目のようなものだ。相変わらず、あらゆることから遅れをとっているが、まあいいか。

11月24日の文学フリマ東京に出る。その準備で忙しくて、最近書けていなかったと言い訳したい。文フリは、僕の大好きで尊敬する皆さんに文章を書いていただいてそれをまとめた冊子にする予定です。来ていただけたら嬉しいです。

最後に、かなり前になるがとても美しい夕焼けを見た。Y字路と左右の坂のズレがなんだか不思議だった。こういう瞬間を、なるべく忘れないで生きていきたいと思った。

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しっかりとした気持ちでいたい

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深夜の公園のベンチで、残り少ない缶ジュースを飲み切ろうと顔をぐっと上にあげた時に不意に見えた月がとても美しかった。最近は夜勤が多く、生活リズムが狂っていたので体がずっとしんどかった。夜勤夜勤日勤夜勤の怒涛の連勤で自律神経がどうかしてしまっていた。朝5時まで働いたその日の16時に出勤したりしてるわけでそりゃ疲れがとれないわけだ。久しぶりに今日はしっかり休みだと思っていたが、姉の結婚式がある。姉の結婚よりも、睡眠がほしい。

最近観たものでよかったのは、KAATで観た快快『ルイ・ルイ』だ。ラジオから流れるのは、幾人もの物語とも言えない、断片たちだ。一貫性のない、ばらばらでつながりのない彼ら彼女たちは、それぞれのダンスを踊る。そのひとつひとつが、楽しくて面白くて、でも淋しくて孤独で、まるで生きていくことのすべてがそこにあるようだった。

カネコアヤノの新しいアルバム『燦々』をよく聴いている。いや、むしろそれしか聴いていない。だからもちろん、タワレコのインストアライブにも行った。なんて力強いのだろうといつも思う。「光の方へ」の歌詞にある、

隙間からこぼれ落ちないようにするのは苦しいね

の部分にどうしたって泣きそうになってしまうし、その後に続く

だから光の方へ 光の方へ

は祈りのようで救われる。LPも詩集も手にすることができて、詩集は生活に馴染むようなサイズ感が愛おしい。印刷も藤原印刷でこだわりを感じた。

昨日は、仕事が20時に終わり、帰りにスーパーで鶏肉を買って、家でチキン南蛮を作った。油で揚げたり、タルタルソースを作ったりで自分は今、料理をしているなと俯瞰的に思ったりした。とても美味しく作れて、一緒に買ってきた辛口のジンジャーエールを飲んだりなんかしちゃって、そんなことをしていたらキングオブコントを見逃した。そして、ハーゲンダッツのずんだ味を食べて洗濯機を回してコインランドリーへ行った。コインランドリーの行き帰りに洗濯物の重さの違いを感じた。

これから式場へ着く5分前にこれを書いている。結婚式より、昨日のチキン南蛮のことや、コインランドリーの行きと帰りで異なる洗濯物の重さについて考えている。

束の間の

 

今夜ダンスには間に合う

散々な日でも ひどい気分でも

分かり合えなくても 離れ離れでも

今夜ダンスには間に合う

なにも持ってなくても 失くしてばかりでも

あまりにも手遅れなことがうんざりするほどたくさんあるけどまだ音楽は鳴ってる僕のところでも君の街でも

ここ最近はよく、思い出野郎Aチームの「ダンスに間に合う」を聴いている。辛さが常にあり、気持ちの浮き沈みが激しいのだか、こういった音楽に救われている。

youtu.be

いつだって苦しいよ

だけど今日はたのしい

カネコアヤノの「とがる」もよく聴いている。

youtu.be

ひどい気分だし、いつだって苦しい。それはかわらない。けれど、どこかで音楽が鳴っていることや、一瞬の楽しいことに束の間の救いがある。そんな束の間のことについて書いていく。

ここ数日は、漫画をいくつか読んだ。阿部共実『潮が舞い子が舞い』、ゴトウユキコ『夫のちんぽが入らない』3巻、和山やま『夢中さ、君に。』すべてが素晴らしかった。『潮が舞い子が舞い』は、永遠に続けばいいと思ったし、『夫のちんぽが入らない』は毎回表紙が美しく、ゴトウユキコさんの絵でこんなにもこだまさんの原作の持つ魅力を拡大することができるのかと圧倒されるし、『夢中さ、君に。』はもはや感嘆してしまった。

土曜は久しぶりにヒコさんと会い、カレーを食べに行った。霜降り明星粗品のフライデーの写真を見て笑ったり、今月発売される阿部和重神町トリロジーの新作のあらすじを読んで、絶対に面白いに決まってるなどと話した。山階基『風にあたる』をおすすめした。この歌集は、読み終わってからもふとした瞬間に部屋でぱらぱらとめくり読んでしまう。

ほっといた鍋を洗って拭くときのわけのわからん明るさのこと

この歌集に載っている、一つ目の短歌で、個人的にとても好きな短歌だ。

土曜の夜は、さきほどの漫画を読んだりしていたが、ふとした瞬間に気持ちがしんどくなり朝4時まで眠れなかった。日曜になって12時前に起きてバタバタと三鷹へ向かい、犬飼勝哉『ノーマル』を観た。「普通」についてのとても面白い作品で、素晴らしかった。そしてとても巧みだった。買い物をしたりして家に帰ってきて、カレーを作ったが気持ちが落ち着かずベッドに横になりそのまま眠ってしまった。20時頃起きて、カレーを食べた。

夜は、ユーチューブでキャンパスナイトフジを見ていた。放送されていたのはもう10年も前になるのか。高1の学校に行きたくなくてしんどい時に深夜見ていて救われていた番組だ。なんとなく検索したらたくさんあがっていた。とても下らなくてひどい内容だが、ハライチだってオードリーだってレギュラーで出ていたのだ。女子大生相手に10年前のオードリーはMCをしていた。今では日向坂だ。

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澤部さんはもはや少年だ。こちらは欅坂のMCをやっているわけで。後ろには岩井さんもいる。

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そして、テレビで曽我部恵一峯田和伸を見たのもキャンパスナイトフジが初めてだった。辛い時には無意識にキャンパスナイトフジを求めてしまうのかもしれない。

先々週のむつみ荘からのオードリーのANNが心底良かった。セックスの揺れで倒れたクリスマスケーキの上のサンタクロースを見て、ファーゴだと思った話の素晴らしさよ。高円寺に住んでいた時、むつみ荘が近かったので散歩がてら何度も見に行っていたことを聴きながら思い出していた。窓から顔出してないかななんて期待をしていた。

台風が来ているようだ。外からは風の音が聞こえ、雨粒が窓に当たっている。台風が去る頃には、辛い気持ちもどこかへ行ってしまえばいいと思うがきっとそうはいかないだろう。漫画を読んだり、ラジオを聞いたり、下らない番組を見たりして、そんなことに束の間の救いを求めている。

今日よりも

 

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今日は、今年初めて梨を食べた。近所のスーパーの出入り口付近に梨は置かれていて、1つ98円。そこはかつて桃が置かれていた場所だった。梨相場がまったく分からないのだが、きっと安いに違いない。梨はそれほど高いイメージがあるわけではないが、一目見てあの瑞々しさが口の中に広がり、すぐに手を伸ばした。今日スーパーで梨に手を伸ばした時は午前中で、箱の中にはぎっしりと梨が詰まっており、選び放題だった。まあ100円だし、なんて気持ちもあったが、最高の1つを持ち帰ろうと吟味した。とっておきの梨を見つけ、家に帰り、冷やす。そして仕事へ行き、夜帰ってきて冷えた梨を食べたのである。一口食べて、その瑞々しさと甘さにおいおいおいこんなのもう美味しすぎてどうかしてるよと、気持ちが満たされた。これはもうあれだ、美味しい甘い水だ。

なぜこんな梨のことばかりを書いているかと言うと、もちろん美味しかったからであるわけだが、実は今日、あまりうまく梨を剥けなかったのだ。仕事に対しての意欲もそれほどなく、成長したいなどの上昇志向もない、いつも定時で帰る僕は、やはりあまり慣れない梨を剥くことに関しても、まだ半人前なのだ。しかし、僕には桃の前例がある。桃は、常に昨日よりも今日の方が上手く剥けていた。きっと梨もそうなるだろう。僕にはまだ成長の余地が残されているのだ。部屋は相変わらず汚いし、服も脱ぎっぱなしだったりするけれど、生活の中の梨を剥くということに関してはこれから成長していく可能性があるのだ。それにしても、梨は美味しい。現時点で、98円を払って得られる幸せのなかで、梨を超えるものはないしきっとこれからもそんなものは現れないだろう。あんなに愛した桃は、梨から離れた場所にあって、180円になっていた。

皮と実のあいだにナイフを滑らせる同じ動きで浮気は容易に

 

miwa0524.hatenablog.com

 

昨日よりも

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最近は、桃ばかりを食べている。近所のスーパーの出入り口付近に桃は置かれていて、1つ100円。桃相場がまったく分からないのだが、きっと安いに違いない。桃は高いイメージがあるので、初めて見かけた時はすぐに手を伸ばした。そのスーパーで初めて桃に手を伸ばした時はもう23時近くで、箱の中には色の変わった桃が数個残っているだけだった。その時は、まあ100円だしこんなもんだよなという気持ちであったが、昼間にスーパーへ赴いたときに綺麗な桃たちも100円であることに、おいおいおいこんな綺麗な桃が100円でいいのかいと驚きと嬉しさで満たされた。ご親切にもポップには糖度も記されている。しかし、桃相場と同様、糖度の相場も分からない。とりあえず、甘いことはたしかだ。

なぜこんな桃のことばかりを書いているかと言うと、今日、桃がうまく剥けたからである。仕事に対しての意欲もそれほどなく、成長したいなどの上昇志向もない、いつも定時で帰る僕が、家に帰ったあとの夕食後、桃を剥くことに関しては日々成長しているのだ。常に、昨日よりも今日の方が上手く剥ける。部屋は相変わらず汚いし、服も脱ぎっぱなしだったりするけれど、生活の中の桃を剥くということに関しては成長していることが嬉しい。ここで言う上手く剥けるとは、より皮を薄く剥けるという意味である。より皮を薄く剥けるとは即ち、食べる部分が多くなるということだ。少しでも多く桃を食べたいというある種の意地汚さが僕を成長させている。それにしても、桃は美味しい。現時点で、100円を払って得られる幸せのなかで、桃を超えるものはないしきっとこれからもそんなものは現れないだろう。

昨日より上手に桃が剥けたから汚い部屋でゆっくり頬張る