記録

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晴れた日

久しぶりに晴れた日が続き、青空を見ることができている。あれだけ曇天模様が続いた後だと、晴れているただそのことが嬉しくてたまらない。じっとりとした暑さには、そのうちきっと嫌気がさすだろうけれど、今はその暑さにさえも、夏の到来を感じわくわくする。晴れた日に洗濯をする気持ち良さとか、窓の外に浮かぶ大きな雲が、早送りのように空を流れていくのを眺める瞬間は、今だけしか味わえないような、ぼんやりとした生きている心地を感じさせる。久しぶりに晴れた日は、カメラを持って散歩をした。空が、これでもかというほどに青く美しかった。

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加工をしたような青空で、偽物のようだ。あまりにも美しいものを見ると、偽物みたいだと思ってしまう。地元に帰ると、とても美しく日本アルプスの山々が見える。連なる山脈と雪化粧のその風景を見ると、いつも、ハリボテみたいだと思う。目の前に広がる山脈がバタンと向こう側に倒れそうな気がするのだ。どうして偽物みたいに思うのだろうと考えた時に、自分の中の想像の美しさと現実の美しさが合致した時に偽物だと思うことに気がついた。普通だったら、想像を下回ったときに偽物だと思うのだろうが、なぜか想像と現実が合致したときに偽物だと思ってしまう。ある種、想像の美しさはテンプレートのようなもので、だから現実と合致した時にその美しさは蔓延したもののように思えてしまうのかもしれない。唯一無二の美しさではないのだ。唯一無二の想像を裏切るような美しさに出会うことはなかなかないが、前職の仕事がとても辛かったとき、夕暮れ時のなんでもない路地がとても美しく泣きそうになったことがあった。あの日見た、路地が美しいという感覚は、きっとその時かぎりのもので、これまでもこれからも類型化されない。もちろん、青空は美しいし、誰もが美しいと思うものを美しいと思ってもいい。けれども、その瞬間にしか立ち上がらなかった自分だけの中にある美しさをずっと抱きしめていきたいし、また別のそんな瞬間に出会えることを信じている。たかが晴れた日のことで、長々とこんなことを書いてしまった。でもやっぱり、晴れるって嬉しいのだ。

最近は何があっただろうかと考えると、随分前になってしまうのだが、TABFことTOKYO ART BOOK FAIRに参加した。参加したというか、ナナロク社のブースに本を置いてもらい、手売りと店番をしていた。本を買ってくれる人やサインを求められたりすると、どうしようもないほどに恥ずかしくなってしまう。けれども、付箋をたくさん貼ってくれている人や、線を引いてくれている人、ここがよかったと伝えてくれる人に直接出会えることは、とても嬉しい。恐れ多いが自分のなんてことない生活が誰かの支えになることもあるのだと知ることができる。お昼を食べに会場の外へ出たとき、ふと見かけた風景がどこかで観た台湾映画のワンシーンのようだった。

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この少年の感じが、『ヤンヤン 夏の想い出』みたいだ。この日は、歌人の木下龍也さんとずっと一緒にいてとても楽しかった。

最近観に行ったものは、五反田団の『偉大なる生活の冒険』だ。とても素晴らしかった。一見意味のない、だらだらとした会話の積み重ねや、その会話のふとした瞬間に見える過去、じっとりとした今を生きている感覚。そのどれもがとても良かった。 前田さんと玉田さんが並んで座っている姿は、なぜだかたまらないものがあった。あとは、しばらく前だが松井周演出の『ビビを見た!』も観た。ひとつひとつのシーンが絵になるものばかりで、観ていて楽しかった。当たり前なのだが、サンプルっぽいなあと思った。最近読んだものは長嶋有の句集『春のお辞儀』で、とても良かった。短歌よりもさらに短い文字数の中で瞬間を捉えていて、感嘆した。映画は、『天気の子』をまだ観れていないので早く観たい今日この頃って感じです。

最後に、大阪にある「葉ね文庫」さんという本屋さんで自分の2冊の本の取り扱いが始まりました。今はもう通販の在庫はないので、大阪近辺にお住まいの方はぜひ。本屋さんに自分の本が並んでいるなんて、嘘みたいだ。嬉しい。