記録

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お祭りの音

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さっきまで窓の外からは、お祭りの音が聞こえていた。お祭りの音と自分で書きながら、お祭りの音ってなんだろうと思う。スピーカーから流れる出囃子のような音、子どもの声、出店に引きこもうとする大人のがなり、人と人の間を縫い走る子どもの足音。あらゆる音が混ざり合い、お祭りの音となる。うるさいと思ってしまう感情と、わずかな高揚感が同居する。今日一日を振り返る。

トイ・ストーリー4 』を観に行った。トイストーリーシリーズは、小さい頃から狂ったように観ていたので思い入れが深い。おそらく、1は劇場では観ていなくて、ビデオで何回も何回も観ていた。2と3は映画館で観た。3は高校生の時で、どこの映画館であったか、誰と観に行ったかも鮮明に覚えている。地元にできたシネコンで、部活の友達と観に行った。この時、初めて3Dメガネをかけた。とても泣いて、3Dメガネがあってよかったと心から思った。そして今回の4である。勝手に感動するつもりで観に行ったのだが、涙を流す感動なんていう分かりやすいものではなく、もっと深いところに落とし所を持ってきていた。トイ・ストーリーのこれまでの価値観として、子どもに所有されることが絶対的であり持ち主の元へ帰ることが物語の核となっていた。今回は、その構造自体が揺らぎ、誰にも所有されないという自由を獲得する話となっている。獲得というよりも、「知る」と表現したほうがいいのかもしれない。新たな価値観を知り、解放される。とても現代的であり、ピクサーもといディズニーアニメの時代を捉える力に毎度感心する。しかし、その新たな価値観の一辺倒にならず、あくまでも選択肢として描き、他の価値観も平等に肯定して描いていることが素晴らしい。そして、これまでの3作と比べ、どこかしっとりとした雰囲気が常にある。アンティークショップが主な舞台であることとか、移動遊園地の夜の明かりがそんな雰囲気を漂わせていた。ツイッターで感想などを見ていると、これまでのトイストーリーの価値観の否定だとかで批判している人を多く見かけるが、作中でウッディは悩み葛藤している。人は、生きていれば変わるし、これはフィクションであるわけだけれども、きっと彼の人生はこれからも続いていくのである。どうしたって、変わるということを否定したくはない。

映画を観た後は、髪を切りに行った。美容師と暑いですねとか、夏休みはいつですかとか、他愛をもない話をした。この前聞いた話を、あたかも初めて聞いたふりもした。それから、選挙に行って、家に帰ってきて、洗濯機を回して、コインランドリーへ行った。そして、窓の外からはお祭りの音が聞こえてきたわけだ。

これが今日の一日だ。映画を観て選挙に行って髪を切って洗濯をする。あまりにもなんてことない日だ。でも、これだけあれば他に必要なものはないと思えたりもする。