記録

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ゆるい坂の上から

苦しくても書いて、苦しいから書いて、楽しかったこともうれしいことも、
ゆるい坂の上から町全体を公平に見下ろすような視線で書いていってほしいです。

先日、このような言葉をいただいた。ここにその言葉を載せることは、その言葉をくれた人を自分のために消費することになるのではないか、載せるべきではないのではないかととても悩んだ。結局のところ、載せてしまったわけで、さらには悩むそぶりを見せる嫌な自意識の露出の仕方をしてしまっている。しかし、これほど背中を推してくれた言葉はなく、これからも書いていこうと思えたことはなかった。本当に嬉しかった。

先週実家に帰るまでの6時間以上の電車旅で、唯一途中下車した小淵沢駅で撮った写真が現像された。

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この前も書いたけれど、なんにもない街だ。けれども、正月飾りだとか、駅に子どもを迎えに来たのであろう親子など、そこかしこから香る生活の断片はいたるところにあった。そんなことにいちいち感傷的になっていられるのは、一人で知らない街を歩いているからだ。知らない街ほど他人に興味がわくのは何故だろう。自分を知っている人がいないからだろうか。2018年の12月31日はとても晴れた日だった。そんなことも写真を見なければ思い出すこともできない。

日曜の夜は、楽しみにしていた大河ドラマの『いだてん』を観た。もちろん脚本がクドカンだから観たわけだ。まず、冒頭のほんの十秒たらずのシーン。穴の下から空を映したカットと、それに続く、その穴を飛び越える姿を撮ったカットは、スッポンから人が飛び出てくるようで、いきなり歌舞伎への目配せを感じた。

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その時に後ろで流れているのは拍子木の音なので、確信的な演出だろう。歌舞伎においてすっぽんからは、幽霊など人間ではないものが出てくるので、生きている人間を扱わない大河ドラマがすっぽんから始まるのはある意味納得感がある。ちなみに、1年ほど前に上演された野田秀樹による中村勘三郎オマージュの『足跡姫』でのすっぽんを使った演出に僕は心底感動した。話をドラマに戻すと、最後5分では、勘九郎演じる金栗四三がかぶる赤い帽子の色が落ちて顔に垂れ、隈取りのようになるシーンもあり、とことん役者と歌舞伎への紐付けが行われていた。ドラマの口火を切るセリフが東京03の角田で、しかもたけしとキョンキョンをタクシーに乗せているので笑ってしまった。東京オリンピックだから東京03を起用したのか。続々と登場するキャストの豪華さだけで十分見応えがあるわけだが、軍国主義的な体育とそれに対するスポーツとしてのオリンピックという構図など面白い要素がいくつもあった。しかもその中で体育派が主張する、「体も心も未熟な若者に一国の命運を託すのはよくない」や「勝ち負けにこだわる醜さ」など、一見正しいようでしかしその先の戦争のことを考えれば矛盾している姿勢などなかなか面白かった。今後も毎週日曜が楽しみだ。

 いまはアルバイト帰りの電車の中で、家に帰ったら豚汁を作ろうと考えている。その理由はただ一つ。寒いからだ。アルバイトでは、書籍をダンボールに詰めて発送したり、本のカバーや帯を綺麗なものと交換する作業をしている。その際に、手がかじかんで仕方なく、今日の夕飯は温かいものを食べるぞと仕事中ずっと考えていた。そして電車の中で、そうだ豚汁を作ろう、と思い立ったのだ。まず、最寄駅に着いたらスーパーに寄って材料を買う。ご飯はもう炊いてあるので問題はない。豚汁はもはやおかずという認識なので、白いご飯だけで十分だが焼き魚でもあればそれ以上の幸せはない。そんな想像だけでもう口の中は豚汁の味になってしまっていて、家に着くのが楽しみで仕方がない。けれども、途端に料理をするのが面倒になってしまう可能性もあって、出来合いのものを買って帰路についてしまうこともありえる。家に味噌はまだあっただろうか、ごま油はあっただろうか。そんなことも不安材料だ。今、電車の隣にいる人は、僕の頭の中が豚汁のことでいっぱいだとは思いもしていないだろう。けれども、実はその隣の人の頭の中はハンバーグのことでいっぱいの可能性もあって、要するに他人のことなどわかるわけがない。

そして数時間後の今、お腹は満たされ、うとうとしている。無事、豚汁を作り、ああ美味しかったなあとベッドの上で幸せに浸っている。ここ半年ほどで、幸福感に対するハードルが下がっているので、豚汁だけで幸せになることができる。ハードルが下がるというとなんだか良いイメージではないので、幸せと思える範囲が広がったというべきか。
明日もきっと寒い。せめて風は強くありませんように。あと、いつも混んでる電車が運よく空いてる車両でありますように。そんな些細な幸福をください。きっと大きな幸せに感じるので。