記録

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西日が差すだけ泣きそうで

初めは危い谷の小川の橋を渡るような
心配事があるが
驚き迷うことはありません                                  
後には何も彼も平和に収まります                 
凡て小さいことも用心していればよろしい

おみくじの言葉だ。今年2回目のおみくじも大吉であった。2019年は大吉を乱獲している。この調子で世の中の大吉をかき集めていきたい。けれども、1回目の大吉の運を2回目の大吉で使ってしまったとしたら、大吉を差し出して大吉を手に入れただけなのかもしれない。大吉は大吉でしか還元されない説をここに掲げる。なぜこんなどうでもいいことを考えているのかと言えば、東京への特急列車に乗っているからだ。帰省には片道6時間以上かけたが東京へは早く戻りたいので高額を払い2時間半の切符を買った。高いお金を払えば早く着くというなんたる理の適いかたよ。とにかく車内で暇を潰すために書いている。ここまで書いて、結局更新するのは夜になってしまった。今はベッドの上だ。

実家にいる間に、「本・中川」という素敵な本屋さんに行った。

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僕が通っていた高校のそばにあるお店で、当時はまだなかった。外はトタンですぐには本屋には見えない。中に入ると決して広くはないお店の真ん中に木が一本あり、その周りを囲うように本が置かれていた。窓からはサッと光が差し込み、だるまストーブの上のやかんが時折音を立てていた。そんな空間で、『本を贈る』と誠光社の堀部さんが書かれた『90年代のこと』を買った。アルバイト先の関係で「本・中川」さんとは手紙のやりとりだけしたことがあったので、お会計の時に勇気を出して声をかけた。すぐに気づいてくださり、安堵した。とても優しい方だった。お店を後にして、そのまま写真を撮りながら高校時代に通っていた道を歩いた。1枚目の写真の奥に見えるのが通っていた高校だ。

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写真として切り取って見ると、こんな街に住んでいたのだなと改めて思った。お城のお堀にいた鴨が、くるっと首を後ろに回して寒そうに自分のくちばしを体にうずめていて可愛かった。人間がポケットに手を突っ込むような感覚なのだろうか。

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帰り際に駅前の大きな本屋へ行った。選ばれたものの中から選択するのか、無限にも思えるものの中から選択するのかどちらがいいのだろう。小さい本屋が増えてきている今、こんな議論が時折起きるが、うまく使いこなしていきましょうとしか言えない。顔の見える本屋もいいし、顔の見えない本屋もいい。家の近くで少し遠回りをして、小学校と中学校の時の通学路であった川沿いを歩いた。もうほとんど日は沈み、ぼんやりと山の向こうに橙色の光が見えるだけだ。きっと10年以上前も同じ景色を見ていたのに、あの時は美しさに目を奪われるなんてことはなかった。夕焼けなんてありふれた美しさに感動してしまう大人になった。子どもの方が純粋な目で物事を見ることができるといったことをよく聞くが、いま美しいと思えているのだから大人になってよかった。感情とは本来あるものではなく、獲得していくものなのだ。

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肉眼ではもっともっと美しいのだが写真にはどうもうまく写らない。こんな時に、写真には写らない美しさがあるから、なんて歌が流れてくればあまりにも出来すぎた話になる。もちろん、そんなことはない。

なんにもないけど この先ずっと                      
情けないことも許してほしいよ                        
おそろいポニーテールしようよ  昔のように
騒がしい路地の隙間から西日が差すだけ泣きそうで
すべてのことに理由がほしい

イヤフォンからはそんな歌が流れていた。ポニーテールもできないし、路地もないこの道で。