記録

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続2018年の終わりに

電車に揺られている。窓の外は、代わり映えしない山の景色が続く。空は雲ひとつない。駅に止まるたびに開くドアから冷たい風が吹き込んでくる。ふと現れる山奥の住居の生活に想いを馳せるなんて感傷的なことかできればいいのだが、それほど気分は穏やかではない。

今日は12月31日で、電車は人身事故で遅れている。5時間かけて実家に帰る予定が、あらゆる乗り換えがかみ合わず6時間以上かかりそうだ。違う路線にすればよかったなとも思うし、想定より読書の時間が増えたしまあいいかとも思う。そもそも、特急で2時間半で帰れる場所へわざわざ普通列車で向かっているのだから1時間多く電車に乗ることなど大差ない。

28日で今年のアルバイトは最後であった。東京にいる間に映画を観ておかなければと焦り、29日に『シュガー・ラッシュ:オンライン』を観た。1作目がとても好きな作品で、みんなのヒーローではなく、誰か1人のためのヒーローになるという落とし所に胸を打たれた。そして、2作目となる本作は、そこからさらに踏み込み、お互いにとって大切な誰かになるとはどういうことなのかを描いていた。自由さに憧れ新たな世界へ行きたいヴァネロペと、決まりごとのなかで特別なことの起こらない日常を送りたいラルフ。2人でいつもの日常を送りたいラルフは、結果的にヴァネロペの自由への憧れを壊そうとしてしまう。正直なところ、どうしたって僕はラルフに感情移入してしまう。それがダメだとわかっていても、獲得した安心を手放すのは怖くて仕方がない。人の夢を邪魔するなんて考えられない、酷いことだと言い切ってしまうのが倫理的に正しいことなのだろう。けれど、人の感情はそう簡単には割り切ることができない。最終的には、もちろん正しい結末へと導かれるわけだが、その過程でそういう割り切れない部分を長い時間をかけて描いていて良かった。ラルフとヴァネロペが離れ離れになる時、お互いが見えなくなるギリギリまで手を振る場面で胸をグッとつかまれた。おそらくこのシーンは、1作目のラストシーンで、お互いがいつでも見える場所に置かれていたゲーム機の画面越しに手を振るシーンの反復だろう。そして最後、冒頭2人で座っていたベンチに1人で座るラルフが幸せそうに朝日を浴びるシーンで泣きそうになった。ヴァネロペは、昼も夜もないインターネットの世界で生きることを決め、ラルフはこれまで通りの日常へ戻る。ラルフの日常には、昼も夜も訪れる。そのくりかえしの日常の象徴のような朝日をラルフは噛み締めていた。様々なものを受け入れた後の、変わることのない日常の肯定に感動しないわけがない。

この日は、夜に『ヘレディタリー/継承』も観た。もうとにかく怖かった。ホラー映画なのだから怖いのは当たり前なのだけれど、観ている最中ずっと眉間にシワを寄せ胃がキリキリしていた。事故を起こした後のあの表情のアップは恐ろしくてもう直視できなかった。ただ怖いだけでなく、ワンショットワンショットが濃密で演出も素晴らしかった。あー怖かったなあ嫌な気持ちになったなあだけど面白かったなあと映画館を出たのは夜の12時半で、家に帰るまでの間、あの音が聞こえてくるんじゃないか、暗闇になにかみえるんじゃないかと怯えていた。

30日は、アルバイト先の会社で忘年会をした。みんなでスーパーへ買い物へ行き、今年のM-1の敗者復活戦を見たりしながら鍋をした。みんな年はバラバラで、今年知り合った人ばかりだけれど、とても楽しかった。楽しめている自分に驚いた。

まだまだ電車に揺られている。実家までは程遠い。家に帰ったら家族に何を言われるのだろうか。お土産を買って帰らなかったことを姉に、気を遣えないとか、だから駄目なんだとかぐちぐち言われるんだろうなあ。嫌になってしまうね。

前回のブログで、来年も好きなのを好きでいられますようにと書いた。今でもその気持ちは変わらないし、そのつもりだ。けれども、好きなものを好きでなくなってしまっても受け入れていこう。なるたけ、かつて好きだったものを否定せずに。

ここまで書いて、乗り換えのために1時間の待ち時間ができたので、駅で立ち食いそばを食べた。何もない駅の周りを散策すると、寂れた街の家々の玄関にはお正月の飾りがあった。勝手に寂れたとか言ってごめんない。どこにだってその土地には確かに生活があるのだ。駅には屋上があり、登ると遠くに富士山が見えた。

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空も空気も澄んでいて、今年の終わりを迎えるにはこれ以上のことはないのではないかと思う。

今年は、今回の記事も含めて56回更新した。誰も読んでなくたって書いてやるという気持ちがある反面、やっぱり誰かが読んでいるのは救いだ。偶然たどり着いたどこにいるのか、誰なのかもわからないみなさんありがとうございます。また来年。