記録

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退屈を引き受ける

それってプライムビデオで観れるの?最近外に出るのが億劫でね。

87歳の詩人のこの一言を聞いた時、最高にクレバーだと思った。

金曜日、谷川俊太郎の朗読を聞きに行った。僕は谷川俊太郎の詩が好きだ。詩というものがそれほどメジャーではない国で、おそらく誰もが知る詩人だ。それはもちろん、教科書に載っているだとかそんなことが理由だけれど、教科書に留まらない凄さと素晴らしさがある。好きな詩人は吉増剛造だとか田村隆一だとか答えればなんとなく格好がつくが、そこは谷川俊太郎と言い切りたい。朗読会で、質問の時間があった。小学校の教員だという人が、「子どもたちに朗読させる時に1番伝えたいことはなんですか?」と質問した。そこで谷川さんは、「正確に、はっきりと発音することです」と答えた。その答えに、教員は不服そうだった。きっとその教員は、気持ちを込めるだとかそういう面での答えを待っていたのだろう。その不服そうな感じを察した谷川さんは、「朗読は聞く相手がいるのだから、自分だけが気持ちよくなってはだめ。相手に手渡すように伝えなければいけない」と付け加えた。谷川さんのこういうところが好きだ。決して感情論だとかに落とし込まない。また谷川さんが、詩を書く理由は食っていくためだと言っているのを聞いたことがある。芸術ってどうしてもお金に還元されない尊いもののように思ってしまうが、食っていくために詩を書くと言えるところに痺れる。

朗読会では、「きみ」という個人的に好きな詩が読まれた。

きみはぼくのとなりでねむっている
しゃつがめくれておへそがみえている
ねむってるのではなくてしんでるのだったらどんなにうれしいだろう
きみはもうじぶんのことしかかんがえていないめで
じっとぼくをみつめることもないし
ぼくのきらいなあべといっしょに
かわへおよぎにいくこともないのだ
きみがそばへくるときみのにおいがして
ぼくはむねがどきどきしてくる
ゆうべゆめのなかでぼくときみは
ふたりっきりでせんそうにいった
おかあさんのこともおとうさんのことも
がっこうのこともわすれていた
ふたりとももうしぬのだとおもった
しんだきみといつまでもいきようとおもった
きみとともだちになんかなりたくない
ぼくはただきみがすきなだけだ

まっこと素晴らしい詩を生で聴けて感動した。ちなみにこの詩は、谷川さん自身もゲイの少年についての詩だと言っている。谷川さんの詩集で好きなタイトルは『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』です。この詩集にはあの有名な「芝生」も入っている。

そして私はいつか

どこかから来て

不意にこの芝生の上に立っていた

なすべきことはすべて

私の細胞が記憶していた

だから私は人間の形をし

幸せについて語りさえしたのだ

とても良い夜だった。

土曜日、とても嫌な夢を見た。僕は中学生で、いじめられていた。一人だけ、名前も顔も知らない人がいて、その人だけが味方だった。卒業式の日、その人が耳元で、これで全て終わりだから、全て良くなるから、とささやいて僕はめちゃめちゃに泣くという夢だった。夢占いできる人、深層心理みたいなのでこの夢の真意を教えてください。

母親が来た。父親は仕事になったらしく、来れなくなった。父親はあらゆる普通を押し付け、敷いたレールの上の人生を歩ませようとしてくるので短いスパンで顔を合わせることがなく安心した。夜、母親がふと、「お父さんと付き合い始めた時、君は頭が馬鹿なのか、と言われたことがある」と話した。むかし母は、父と二人きりでも自分の意見を言ったり、会話をしなかったかららしい。僕の父は、なにも喋らない人をなにも考えていない馬鹿な人だとみなすような人間なのだ。とても姉に似ていると思った。姉は、映画の『桐島、部活やめるってよ』を観て、「へー、オタクも色々考えてるんだね」と言い放った人だ。話したくても言葉が出てこない人は無数にいるのだ。

日曜日 

アゴラでこふく劇場『ただいま』を観た。宮崎の劇団で、全編宮崎弁のお芝居だった。会話とモノローグが絶え間なく連続するのだが、そのモノローグが小説のような豊かさでしかも説明的でなく素晴らしかった。音楽と共に描かれる、市井の人々の生活に見え隠れする過去や死に感動した。特に、ラストの台詞が良かった。

たしかにビールはうまい。そして、そこには幸せがあった。

わたしからは奪えない。カセットテープのB面が不意に終わるように、歌が終わっても、わたしから奪えないものが、確かにある。

さあ、夕御飯を食べよう。

風が吹いた。

九月がはじまる。

台本のト書きを全て役者がモノローグとして話すのだが、役者の発話の上手さと宮崎弁も相まってまったく違和感がないのだ。あとは、「好きなようにできるって、誰かが退屈なものを何も言わずに引き受けて、それを毎日丁寧に繰り返してくれてるからなんだって」という台詞にもハッとさせられた。

帰りに新宿の世界堂に寄り、紙を買った。なにもせず時間だけが過ぎていく虚しさと、ある意味で世の中と折り合いつけるのが難しいと気づいた今年の思い出にちょっとした冊子のようなものを作ろうと思い立った。いままでのブログの文章をまとめたり、弱さとかをテーマにしてその他諸々書くつもりだ。なんとか今年中に出来上がればなと思っている。お手製のささやかなものになる気がするけれど、欲しい人いたらツイッターのDMとかここのコメントに書いてください。

夜は、一人で鍋をした。ここ最近は、1週間に2回は鍋を食べている。鍋が好きだ。寒いのは嫌だけれど、寒くないと鍋を食べることもないので、一年に一度寒い季節が訪れるのは嬉しい。もうすぐクリスマスだ。この時期は名盤「チャーリーブラウンクリスマス」のサントラを狂ったように聴くことが恒例になっている。最高なのでおすすめです。写真を漁ったら去年のクリスマスの頃は台湾に行っていた。台湾のご飯屋さんで見かけた犬の写真で終わりにします。とても幸せそうだ。

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