先週受けた面接に落ちた。まあそんなもんですよね。いや、まあそんなもんですよねと言って自分を慰めておかないとやっていられない。年内に仕事を見つけるなんて言っていたが、年明けは目の前に迫りつつある。先週の土日のことを書く。
この周辺の地名が和田という場所だったのだが、全国各地の和田という地名は、海の古語「ワタ」が関係しているらしい。海から水に転じて、神田川と善福寺川の二つの川が流れているからここも和田なのだろうか。途中、川から離脱して住宅街を歩く。紅葉が綺麗だった。人がたくさん集まった、いわゆる名所なんかよりも、ふとした瞬間に目に留まった鮮やかな黄色の方がよっぽど美しい。
道に落ちている枯れ葉を踏んだ時のあの感覚を楽しみながら住宅街をさまよった。一人でどれだけ良い音を出せるかゲーム感覚で楽しんだ。まさに秋晴れでとても気持ちよかった。
いつのまにか夕方になっていて、そこから再び善福寺川に戻り、方南町から幡ヶ谷を目指して歩いた。すると、また神田川にぶつかり、いやどれだけ神田川あるんだよ、と一人で突っ込んだ。すぐに地図で確認すると、これは善福寺川と合流する前の神田川であることがわかった。つまり純神田川だ。そんなどうでもいいことを考えながらまったく知らない住宅街をひたすらに進む。家に着く頃にはすっかり暗くなっていた。今日の本来の予定であった美術館と本屋はどこかへ行ってしまい散歩だけで1日が終わったが、東京に流れる川の多さを再確認し、もっと周辺の地理について知ろうと思った。知れば知るほどこれまでとは違う景色が立ち上がってきて散歩の楽しみが増えそうだ。
日曜日
昨日持ち越した美術館に行く予定を実行しようとするも、いまいち気分が乗らず、とりあえず洗濯機を回し、コインランドリーの乾燥機に放り込み、その間に写真を撮りながら近所を散歩した。
近所なので何度も歩いている場所だが、光の当たり方や、季節だけですべてが違う風景に見える。コインランドリーから洗濯物を回収し、家に帰るもだらだらしてしまい、結局は本屋へ行くことに。久しぶりに荻窪のTitleへ行った。タムくんの展示をやっていたのでじっくり見てから、本を何冊も買い込んだ。夜は、大学のゼミの人たちと会った。みんなが仕事の話をしている時は、ひたすらお皿の上のイクラを一粒一粒つまんで口に運んでいた。ライターの仕事はどうなの?と言われた。なれるものならなりたいです。仕事をください。家に帰ってから、M-1の決勝を追っかけで見る。全組面白かったけれど、ジャルジャルをどうしようもなく好きであることを再確認した。深夜、Titleで買った今井麗さんの最高の画集を眺めた。
画集の最後に、「自分の絵が、誰かの生活を少しでも明るく照らせたらと思って、制作を続けている」と書かれていた。この画集が部屋にあるだけで、うだつの上がらない僕の生活が明るく照らされている。あとは、タバブックスから出ている「生活考察」も買った。
この中の、柴崎友香さんと滝口悠生さんの散歩をしながらの対談がたまらなく素晴らしかった。お二方とも大好きな小説家であるわけだけれども、散歩への向き合い方が自分とほぼ同じで震えた。しかも、ちょうど最近のブログで書いた早稲田近辺の散歩ルートを今回の対談で歩いていた。
このブログの最後に載せたこの場所であのお二人が自分と同じ場所に立って同じ景色を見ていたと考えるだけで感慨深い。
個人的には、滝口さんのこの部分が好きだった。
僕は歴史的な背景を考えるとかよりは、もっとぼーっとした観察しかしてない気がします。たまたまそこを通りかかっただけで、その時にどんな景色があるかを楽しむ感じです。だから偶然その時に出くわした変な人とかが気になる。同じ場所を歩いていても、見聞きするもののバリエーションはものすごく豊富なんですよね。その一回性も面白い。その日その時出くわす通行人は、当然毎回違って、あ、今日はこういう人が来たか、みたいなことが楽しい。そこを通るのが10分ズレていたら、自分はその人に逢えなかったわけだし。それは人だけでなく、建物や景色についても同様ですよね。その日の自分の状態や、天気のような外的な要素によっても、印象は異なります。だから、「すごい坂だな」とか「ここにこういう建物があるんだ」みたいな出会いに、その都度反応している感じですね。その延長で、その土地やそこに生きる人/生きた人たちのことを想像するというか。
もう本当に自分の散歩の考え方や楽しみ方の全てが詰まっている。滝口さんが散歩を終えてこう言っていた。
今日の散歩コースはとても懐かしかったです。僕は20歳をだいぶ過ぎてから早稲田に入ったんですけで、それでももう中退して10年くらい経つので。あの頃は人生で一番暇な時期だったから、毎日のように2時間とか歩いて、いろんなことを考えたりして、今振り返ってもすごくいい時間だったなと思います。その頃のことを「絶頂期」と呼んでいるんですよ。
僕の人生は今、もうギリギリの低空飛行で、こんな毎日散歩ばかりしていていいのかよと思っている。けれども、いつか振り返った時に、あの時は絶頂期だったと言えたらいいし、言いたい。