記録

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ただの愚痴

父と母が東京に来ていたので姉も交えて1日行動を共にしていた。話題といえばもちろん僕の仕事のことで、その話が出るたびに胃が痛くなり吐きそうになった。父はとにかく世間体というものにこだわる人間なので、いつまでこんな状態続けるんだ、と苛立ち、姉はお前は学生時代になにもしてこなかったから就職の面接の時に話すことがないのだと責める。僕が少しでも言葉に詰まったりすると、まくし立てるように大声を出す。母は、みんな心配してくれてるから言ってくれてるのよと言う。特に厄介なのは姉で、今年になって人事部に移ってから、人を使える使えないで判断するのが加速しているように見える。飲食店で働く人を見ては、あいつはポンコツだとか、気が使えないとか、あんな人を雇うほうに問題があるとかばかり言うのだ。その言葉を聞くたびにドキリとして胸が痛くなる。それを見透かすように、お前も社会に出たらああいう風に見られるからなと説教をしてくる。僕はその度に、わかってるからと言うのだが、わかってるだけではだめだ、行動しなければ意味がないとまくし立てる。行動しなければ意味がないというのは、正論だ。しかし、行動を起こすためのハードルの高さは各々の人によって異なることを姉はわかっていない。姉は人前で明るく振る舞い饒舌で、ぐいぐいと自分の意見を押し通すのがうまい。それをみんな頑張ればできることだと思っている。その頑張りにたどり着くのさえ苦しい人もいるのだということを知らないのだ。きっと、社会でうまくやっていける人はみんなそうで、人を使えるか使えないかだけで判断するのだって、会社で働いていればまっとうな基準なのだろう。でもどうやったってその波に乗ることができない。はじかれてしまった人間がなんとか生きる術はないのだろうか。実はこんなことみんなとっくのとうに考えていて、乗り越えているのだとしたら、もう本当に息もできない。