記録

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先週観たもの聴いたもの

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昨日、映画を観に行く前に無印で飲み物を買ったら会計の時に、すぐに飲まれますか?と聞かれた。こいつ喉がカラカラでお店を出たらすぐに飲むんだろうなと思われているようで恥ずかしかったので、袋に入れてくださいと言ってしまった。自分でも、意味わかんねー、と思う。袋に入れますか?というコンビニで聞かれる質問は、すぐに飲まれますかの遠回しの言い方なのだと改めてその時に気づき、そっちの方が好きだなと思った。とても身勝手で自意識過剰なのだが、自分が買った物からその後の行動を予想されるのが恥ずかしいと思ってしまう。例えば、今日の夕飯はカレーにしようと思って、たまねぎやニンジン、じゃがいも、ルーなどをカゴに入れてお会計をする時、レジの人に、この人カレー作るんだなと思われていることを意識してしまう。それが買い物というものであり、スーパーの確かな利用方法であるわけなんだけれども。この人カレー作るんだろうなと思われることを想像することは、もし自分がレジをやっていたらそう思うことである。実際にそう思ったからといって、それ以上の感情は抱かないのに恥ずかしいと思うのは不思議だ。夜、アルバイトの帰り道などで、コンビニでコーヒーとシュークリームを買う時、店員に、こいつ家に帰った後優雅なひととき過ごそうとしてるな、と思われていることを想像し恥ずかしくなる。これも、自分が店員だったら思ってしまうことだ。

Netflixで『ボージャック・ホースマン 』シーズン5の配信が始まった。もちろん面白いし、政治やジェンダーの問題にもズバズバ切り込んでいく。そして、相変わらず辛くなる。配信が始まる前にシーズン4を見返していたのだが、改めてシーズン4の第9話「ルーシー」で描かれる絶望とすがるような希望に震えた。第9話は、未来の世界から物語が始まる。主要登場人物の一人であるキャロラインの末孫ルーシーが、祖先の最悪な1日を学校の授業で話すことによって物語が進んでいく。キャロラインはバリバリに働くキャリアウーマンで、自立した女性として描かれる。恋人と暮らし、妊娠もして幸せの中にいる。しかし、そんな幸せの最中、流産が発覚し、恋人とも別れることになる。物語の最後、キャロラインは月の光が差し込むオフィスで、一人お酒を飲みながらボージャックと電話でこう会話する。

 サイテーの日に私が何をすると思う?

何だ?

未来の来孫が私について発表する姿を想像するの。その娘は冷静で面白くすべてうまくいくって言うわ。そう思えば最後には必ずうまくいく気がする。それ以外言える?

だが妄想だろ?

でも、元気がでるじゃない?

 この最後の会話によって、9話で描かれたキャロラインの孫は、彼女自身による妄想であったことが明かされるのだ。流産し、恋人とも別れ、人生の絶望にいる彼女の妄想は、希望のようでありながらもきっとそうなり得ない未来への逆説的な予想で辛くなる。『ボージャック・ホースマン』では、人生の苦しさや辛さが容赦なく描かれる。しかし、それでも生きていかなければならないといったわずかな希望が見える瞬間があり、それもまた人生であるように思える。本当に凄いし面白いのでシーズン5もあるのかと思わず『ボージャック・ホースマン』はあらゆる人に見て欲しい。

今週の神田松之丞の『問わず語りの松之丞』のあまりの凄さに5回ほど繰り返して聴いている。今年聴いたラジオで一番面白かった。構成の上手さと、人生はクローズアップで見れば悲劇だがロングショットで見れば喜劇である、を体現したかのような語り口とエピソードだった。前半の高田文夫や寿司の話の後半での回収や、エレベーターのあるアパートを選ばなかったことへの後悔、そして今の話がほんの数時間前の出来事であるという種明かしのスリリングさ。もはや30分の作品だ。

先週は、小田尚稔の演劇『聖地巡礼』と東葛スポーツ『カニ工船』の2本を観た。どちらもまったく方向性の違う作品だが楽しめた。映画は『寝ても覚めても』を観た。傑作だった。特に、ラストショットには震えた。交わらない二人の視線でこうも物語を描くことができるのか。柴崎友香さんの原作とは同じでありながら別物であるように思った。しかし、車中に入り込む光の雰囲気は柴崎さんの小説っぽさがあった。ちなみに僕は柴崎友香作品が好きなので柴崎さんの出身地である大正区を巡ったことがある。その時のことがここに書いてある。久しぶりに読み返してあまりのなつかしさに泣きそうになった。

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