記録

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宝くじ販売員の祈り

いままで誰にも言ってこなかったのだが、辛いことや嫌なことがあった時、わけもわからず宝くじを買うことがある。つい最近も、スクラッチの宝くじを買った。5000円分。もちろん、当たらない。 

いつも宝くじを買うときに思うのだが、自分にとって1番身近な祈りは、宝くじの販売員が必ず口にする「当たりますように」なのではないか。もちろんこれはマニュアルで決まっている言葉なのだろう。しかし、知らない人が自分なんかのために祈ってくれているというだけで泣けてくる。特に、今みたいな心が弱っている時なんかは尚更だ。


先週は、特に心が弱り切っていて、救いを求めるかのようにあらゆる友人や信頼できる大人に連絡をとって会ってもらった。普段自分から誰かに連絡をすることなんてほとんどないので、気持ちが本当にギリギリのところまで来ていたのだと思う。

みんな仕事をしているのにすぐに時間を作ってくれた。いかに自分が辛いかを話した。明らかに相手はどう反応するべきか悩んで、暗い雰囲気になってしまう。誰も、自分もその時期は辛かったなどと言わない。とても救いになる。辛さや苦しみは、個人のもので、相対化できるものではないとみんなわかってくれている。夜23時に美味しい牛タンのお店に連れていってくれる大人もいれば、地下アイドルが働くバーで「俺のおごりだ」と言って、アイドルとのチェキを強引に撮らせる友達もいた。そのチェキはお財布に入っている。直接的な共感の言葉より、遠回りでもなんとか元気づけようとしてくれている行為に泣く。

その数日間に、何人もの人に会って、初めて気がついたのだが、会話をするってこんなにも心のために大事なことなんだと知った。世の中的にはきっと当たり前のことなんだろうけど、実感してみないとわからない。

会ったことのない人に心配されるのもとても救われる。ブログに心配のコメントをくれる方や、ツイッターでDMを送ってくれる方。会ったこともない、どこにいるかもわからない誰かが一瞬でも自分のことを気にかけてくれたのだというだけで泣いてしまう。

自分でも恥ずかしくなるようなことをつらつらと書き連ねてしまったが、改めて自分はめちゃめちゃ弱い人間だと思う。だから、なんとかして人と関わらなくていけない。人と関わることは生きていく上で絶対に必要なことなのだと初めて知った。