記録

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古いハム

すみません!そのパニーニ、古いハムでした!

帰省する前の年末、家までの坂を登りながらパンをかじっていたら、パン屋さんのお兄さんが走りながらそう伝えてきた。僕の手にはもう3口ほどかじられたパニーニがあり、お兄さんもそのかじった跡を見つめていた。「古いハムなんですけど、食べれるハムで、」と焦っていた。新しいの作り直すのでと言われたが、全然大丈夫ですよ、と断った。自分でもなにが全然大丈夫なのかわからないが、坂を走って追いかけてきたのに驚くとともに、謝らせて申し訳ないという謎の遠慮を発揮した。そもそも、人に怒るとかそういうことができないし、失敗をしょっちゅうしてしまう人間なので、あらゆる相手の粗相を許してしまう。失敗しようとして失敗する人なんているはずがないのだから、怒っている人を見ると引いてしまう。優しさで怒ってるとか、成長させるために怒ってるとか言う人がいるが、そういう人は基本信用しない。とにかく古いハムのパニーニは、美味しかったし、それが古いハムだとわかるような舌を持ち合わせていなかった。今年初めてのブログが去年の古いハムの話で始まってしまったわけだが、年始のことを書く。

 

ふる雨は

あとなく晴れて

のどかにも

ひかげさしそう

山ざくらばな

今年初めて引いたおみくじは大吉であった。これはそこに書かれていた和歌だ。なんとなく良いことが詠まれているような気がする。

2019年1月1日新年の幕開けは、父と姉による説教によって始まった。朝、席に着くとこれから就職はどうするのかという話になり、散々大きな声でまくし立てられた。もちろん、なにも仕事を見つけられず決断することもできない自分が悪い。うだうだとフリーターを続けているのは心が苦しいし、今後どうすればいいのかと日々悩み続けている。けれどもどうしたって普通の人ができることができない。うつむいておせちに箸をのばすパッとしない新年の幕開けだった。

お正月で特にやることもないのでここで書いた日記っぽくない文章をnoteにまとめてみた。

みわ|note

実家に帰ってきて発掘された僕が中学の卒業文集に書いた作文がなかなか尖っていたので一部有料で載せた。けれども、有料とかなに調子乗ってるんだよと今更になって恥ずかしくなり、普通に公開することにした。ここにもその中学三年生の時に書いた文を載せる。

「青春は、まだ遠く」

この中学三年間は、僕の青春の一部なのだろうか。青春は、もう訪れたのだろうか。そもそも、青春とはなんなのだろうか。こんな疑問が卒業をむかえた僕の頭の中にはある。
ある時、先生に青春はあったのかと質問をした。先生は、軽く返事をし、なつかしそうにどこかを見つめていた。青春とは語りたくないものなのかとその時思った。
中学校生活を通して、授業が面倒だと思ったことは度々あったが、学校へ行くのが嫌と思ったことは一度もなかった。それは、仲間に会えたからだ。朝、部活動に参加し部員みんなで一つの目標に向かって練習をする。その後、教室に行きクラスの人と顔を合わせる。一日中授業を受けたら、放課後は生徒会室で役員のみんなと仕事をする。そんな毎日の繰り返しだった。繰り返しから生まれる習慣。習慣から生まれる信頼は、仲間との関係をより強くしていった。数ある仲間との思い出の中で特に印象に残っているのが二、三年の時の文化祭だ。
まさか僕がやることになるなんて思ってもいなかった。もっと音楽に近い人がやることじゃないのか、もっと適している人がいるんじゃないのか。僕に指揮者なんてできっこない。決まった時は、そんな気持ちだった。いや、今でも僕がやるべきではなかったと思っている。結果的に優秀賞を手に入れることができたわけだが僕のおかげではない。指揮台に登った時は、クラスとの一体感なんて感じることもできず、逆にクラスから仲間はずれにされたような感覚だった。
それは、覚悟していたことだった。しかし、いざやるとなるとどこから手をつけていいか分からなかった。文化祭を実行するという大きな壁を前に立ち止まってしまった。手さぐりの状態で生徒会企画の案を相談し、シナリオを協力して作り上げていった。大変だったがなぜか楽しかった。どうにか開催までこぎつけ、何事なく二日間が終わった。
二年の時の指揮にしろ、三年の時の文化祭実行委員長にしろ、仲間の励ましと協力があったからやり遂げられたようなものだ。二、三年の時の文化祭があっさりみえるのは、一人でやり遂げたわけではないからだ。
僕は、中学校生活を語ってしまった。つまり、先生の例をとってみればこれは青春ではないのだ。僕の青春はまだ遠くにあるのだ。いつ訪れるか分からない青春のことを考えるのは無意味なのかもしれない。しかし、待つということはとてもわくわくすることなのだ。この、待ち遠しい気持ちの先に僕の求めている青春はあるのだろうか。それは誰かではなく自分で決めることなのだ。

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いやはやとても恥ずかしい。この犯罪予告に使われそうな字の汚さもさることながら、なに青春とか言っているんだ。しかも、仲間とかいう言葉を出して良い子ぶっている。当たり前だけれど文体が今と似ているのも嫌だ。ということは、この三年間書いてきたブログもあと10年経ったら恥ずかしくて仕方のないものになるのだろうか。きっとそうなる。恥ずかしいということを自覚していることによって中学生の頃よりはワンランク違うのだと自分に言い聞かせて正気を保とう。

1月2日は、朝起きると外に雪が積もっていた。そしてまたもや朝から家族に説教をされる。雰囲気が暗いだの、髪型が中学生みたいでダサいだの散々の言われようだ。そして最終的に行き着くのは、見た目の印象が悪いから就職の面接で受からないのだという一点だ。父と姉は、各々の会社で人事にいるのでぐうの音も出ない。たしかに髪型も体型も過去最悪である。前までは普通の美容院で切っていたのに今では2000円とかのところだし、ただでさえお腹が出ているのに体重はぶっちぎりで最高体重を更新し続けている。なので、直近の2019年の目標は、髪型をちゃんとすることと、体重を減らすことに決めた。

自己を処理出来ない者は
人の上に立つことができない(ジョンソン)

これは、初詣に行った神社の片隅に置かれていた無人のとても怪しいおみくじに書かれていた言葉だ。まるで自己啓発書から引用したかのようだ。そもそもジョンソンって誰だ。面白がってこんなものに200円払ってしまった。おみくじは1年に1回とかではなく、ガンガン引いていくスタイルを採用している。そして、良いことが書かれているものだけをありがたる。 

 今年もどうでも良いことを書いていきます。どうぞよろしくお願いします。

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続2018年の終わりに

電車に揺られている。窓の外は、代わり映えしない山の景色が続く。空は雲ひとつない。駅に止まるたびに開くドアから冷たい風が吹き込んでくる。ふと現れる山奥の住居の生活に想いを馳せるなんて感傷的なことかできればいいのだが、それほど気分は穏やかではない。

今日は12月31日で、電車は人身事故で遅れている。5時間かけて実家に帰る予定が、あらゆる乗り換えがかみ合わず6時間以上かかりそうだ。違う路線にすればよかったなとも思うし、想定より読書の時間が増えたしまあいいかとも思う。そもそも、特急で2時間半で帰れる場所へわざわざ普通列車で向かっているのだから1時間多く電車に乗ることなど大差ない。

28日で今年のアルバイトは最後であった。東京にいる間に映画を観ておかなければと焦り、29日に『シュガー・ラッシュ:オンライン』を観た。1作目がとても好きな作品で、みんなのヒーローではなく、誰か1人のためのヒーローになるという落とし所に胸を打たれた。そして、2作目となる本作は、そこからさらに踏み込み、お互いにとって大切な誰かになるとはどういうことなのかを描いていた。自由さに憧れ新たな世界へ行きたいヴァネロペと、決まりごとのなかで特別なことの起こらない日常を送りたいラルフ。2人でいつもの日常を送りたいラルフは、結果的にヴァネロペの自由への憧れを壊そうとしてしまう。正直なところ、どうしたって僕はラルフに感情移入してしまう。それがダメだとわかっていても、獲得した安心を手放すのは怖くて仕方がない。人の夢を邪魔するなんて考えられない、酷いことだと言い切ってしまうのが倫理的に正しいことなのだろう。けれど、人の感情はそう簡単には割り切ることができない。最終的には、もちろん正しい結末へと導かれるわけだが、その過程でそういう割り切れない部分を長い時間をかけて描いていて良かった。ラルフとヴァネロペが離れ離れになる時、お互いが見えなくなるギリギリまで手を振る場面で胸をグッとつかまれた。おそらくこのシーンは、1作目のラストシーンで、お互いがいつでも見える場所に置かれていたゲーム機の画面越しに手を振るシーンの反復だろう。そして最後、冒頭2人で座っていたベンチに1人で座るラルフが幸せそうに朝日を浴びるシーンで泣きそうになった。ヴァネロペは、昼も夜もないインターネットの世界で生きることを決め、ラルフはこれまで通りの日常へ戻る。ラルフの日常には、昼も夜も訪れる。そのくりかえしの日常の象徴のような朝日をラルフは噛み締めていた。様々なものを受け入れた後の、変わることのない日常の肯定に感動しないわけがない。

この日は、夜に『ヘレディタリー/継承』も観た。もうとにかく怖かった。ホラー映画なのだから怖いのは当たり前なのだけれど、観ている最中ずっと眉間にシワを寄せ胃がキリキリしていた。事故を起こした後のあの表情のアップは恐ろしくてもう直視できなかった。ただ怖いだけでなく、ワンショットワンショットが濃密で演出も素晴らしかった。あー怖かったなあ嫌な気持ちになったなあだけど面白かったなあと映画館を出たのは夜の12時半で、家に帰るまでの間、あの音が聞こえてくるんじゃないか、暗闇になにかみえるんじゃないかと怯えていた。

30日は、アルバイト先の会社で忘年会をした。みんなでスーパーへ買い物へ行き、今年のM-1の敗者復活戦を見たりしながら鍋をした。みんな年はバラバラで、今年知り合った人ばかりだけれど、とても楽しかった。楽しめている自分に驚いた。

まだまだ電車に揺られている。実家までは程遠い。家に帰ったら家族に何を言われるのだろうか。お土産を買って帰らなかったことを姉に、気を遣えないとか、だから駄目なんだとかぐちぐち言われるんだろうなあ。嫌になってしまうね。

前回のブログで、来年も好きなのを好きでいられますようにと書いた。今でもその気持ちは変わらないし、そのつもりだ。けれども、好きなものを好きでなくなってしまっても受け入れていこう。なるたけ、かつて好きだったものを否定せずに。

ここまで書いて、乗り換えのために1時間の待ち時間ができたので、駅で立ち食いそばを食べた。何もない駅の周りを散策すると、寂れた街の家々の玄関にはお正月の飾りがあった。勝手に寂れたとか言ってごめんない。どこにだってその土地には確かに生活があるのだ。駅には屋上があり、登ると遠くに富士山が見えた。

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空も空気も澄んでいて、今年の終わりを迎えるにはこれ以上のことはないのではないかと思う。

今年は、今回の記事も含めて56回更新した。誰も読んでなくたって書いてやるという気持ちがある反面、やっぱり誰かが読んでいるのは救いだ。偶然たどり着いたどこにいるのか、誰なのかもわからないみなさんありがとうございます。また来年。

2018年の終わりに

もう年末なので、そろそろ今年を振り返ろうと思う。なにかを振り返る時は往々にして、大きな出来事ばかりが目に入る。まして今年はあまりにも色々なことがあって、そのことに目を向けてしまいたくなる。しかし、その大きな出来事の影に隠れてしまっていることや、隙間にあったことの方が実は大事だったりするかもしれないのでそんなことを書いていく。とか格好のいいことを言ってみたが、今目の前には、口座残高664円というどうしたって抗えない問題がある。昨日、家賃の支払いが今日だったことを思い出して引き落とし口座を確認したら8千円足りないことに気がついた。手持ちのお金は5千円しかなく、なんとか他の口座から3千円をかき集めてこれで足りるだろうと今日を迎えた。そして残高を見たら664円になっていた。お財布には一銭も入っていないため、アルバイト先への電車賃さえも出せないことに朝になって気づきとても焦った。クレジットカードを持っていて本当によかった。急いでApple Payでsuicaに登録し、事なきを得た。とにかく僕は今、現金がなにもない。お金を持ち歩かず全ての支払いをカードなどで済ますといえばスマートで今っぽくて聞こえはいいが、シンプルにお金がないのでとても格好が悪い。こんな現実を前にして、1年のことを振り返っていく。たった1年だけれども振り返るのは途方も無いのでとりあえずは最近のことについて。

最近の出来事といえばクリスマス。クリスマスの思い出は、幼稚園の頃にキリスト誕生のお芝居をしたことが記憶にある。幼稚園の年中から年長まではマリア幼稚園というキリスト教系の幼稚園に通っていた。園長先生はいつも神父の格好をしていたし、教室には十字架があった。お芝居で僕が演じたのは兵隊の役だった。槍をドンドンと地面に叩く演技をした覚えがある。むしろ、それしか覚えていない。サンタクロースのことは、小学校6年生になる前ぐらいまでなんの疑問も持たず受け入れていた。むしろ親に、もう分かってるでしょ?と言われて分かっているふりをしたぐらいだ。そんな時が訪れるかは分からないけれど、子どもの枕元にプレゼントを置く瞬間はたまらないものがあるのだろうなと思う。真夜中、子どもの寝顔を横目にそっとプレゼントを置く。その時にはもう、翌朝目を覚ました子どもの喜ぶ姿を思い浮かべている。そして、朝になって本当に子どもが喜ぶ。いや、そんな予想通りにはいかなくて、欲しいものが違った子どもは不服そうにするかもしれない。実際に僕はプレゼントに不服そうな態度を示してしまった時もあった。24歳のクリスマスイブは、高円寺の七面鳥でカツカレーを食べた。

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クリスマスに七面鳥を食べたのではなくて、七面鳥という名前の中華料理屋でカツカレーを食べる噛み合っていないちぐはぐ具合が面白い。クリスマスのスーパーは、パーティの準備に備える人で賑わっていた。そこで見つけたのがこのシャンメリーだ。

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可愛くて一目惚れで買ってしまった。さくらももこさん亡くなってしまったなあとふとした瞬間に思う。今年を振り返ったときに、一番ショックな誰かの死かもしれない。クリスマスの前後には、月刊根本宗子『愛犬ポリーの死、そして家族の話』、東葛スポーツ『平成のいちばん長い日』、中島哲也『来る』を観た。『来る』はハイバイの岩井さんが脚本に参加しているだけあって、親族の集まりや人間関係の嫌なところを煮詰めた感じが面白かった。

こんな調子で最近のことばかり書いていたら一向に一年の振り返りができない気がしてきたので、強引に振り返ることにする。とりあえず今年観たテレビで1番どきりとしたというか、誰かの人生を垣間見たのが10月3日放送の『家、ついて行ってイイですか?』だった。その回に登場した大学生の男の子の父親は、彼が中学生の時に亡くなった。自分のお腹を包丁で刺して自殺したという。父親は、事故に会い後遺症を患ってからそれまでの優しい性格が一変してしまったらしい。そんな父を見て、当時は事故で死なずにいてくれて良かったとは思えず、父親に嫌気がさしていた矢先の自殺であった。自殺する前日にも暴言を吐いてしまい、どうしてあんなことを言ってしまったのだろうと、とても複雑な気持ちを抱えたまま今に至ると話していた。そして番組スタッフが、お父さんに会いたいと思ったことはある?と聞いたときの答えが、テレビが作り出そうするドラマを現実に生きる彼にとっての切実さが超えた瞬間だった。

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父に会い相談したいその困ったこととは、彼が包茎であるということだったのだ。父親が腹を刺して自殺したという壮絶な過去をもろともしない現実の切実な悩みよ。生きるってこういうことだよな、と思った。

生きるといえば、今年のベストラジオは9月16日放送の神田松之丞の『問わず語りの松之丞』だった。奥さんの出産、ストリップなど生と性が入り乱れ、さらには過去の後悔が押し寄せる緊迫感のある語りは本当に素晴らしかった。最後のオチである、その話が数時間前の出来事であるスリリングさは鳥肌が立った。何度聞いても素晴らしく10回以上は聞いている。

今年のテレビ番組で1番笑ったのは、『相席食堂』だ。全ての回が面白い奇跡のような番組だ。「ノルディック親父」や「飛ぶぞ」、「陰根」などのワードにどうかしてるんじゃないかと思うほど笑った。いつだって千鳥は面白い。切実に『キングちゃん』復活を願う。

ネタとして何度も見たのは、M-1準々決勝のDr.ハインリッヒの漫才だ。あとは、街裏ぴんくのネタもよく見た。

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Dr.ハインリッヒにしろ、街裏ぴんくにしろ、どちらも現実から飛躍した話なのにも関わらず、妙にリアリティがあるところが好きだ。街裏ぴんくのこのネタで言えば、ロバを殴るバイトという意味の分からない仕事の場所が四ツ谷駅の麹町口であったり、登場人物の名前が梅塚や雲動回などなぜか明確に決められている。上手いネタってこういうバランスの良さなんだろうなと思う。

音楽は、とにかくカネコアヤノの『祝祭』が素晴らしくて何度も聴いていた。折坂悠太の『平成』も、シャムキャッツ の『Virgin Graffiti』も好きで繰り返し聴いている。今年行ったライブは小沢健二とceroだけだ。

映画はそれほど観れていないのだけれど、『リズと青い鳥』のあのセリフなしの冒頭シーンが忘れられない。『スリー・ビルボード』も今年観た映画なのかと驚いた。『スリー・ビルボード』は人生ベスト級の作品だった。ドラマはなんてったって、Netflix『ベター・コール・ソウル』シーズン4が素晴らしかった。毎話毎話キレッキレのショットと演出で痺れっぱなしだった。

本は、あまり読めない年だった。友田とん『百年の孤独を代わりに読む』はなかなか面白かった。

演劇は、ケラリーノ・サンドロヴィッチとんでもないなと再確認した年だった。小田尚稔さんの作品をいくつも観れたのも良かった。『高架線』も『是でいいのだ』も素晴らしかった。ハイバイ『ヒッキー・ソトニデテミターノ』は今年唯一2度観に行ったお芝居だ。それほどに個人的に迫るものがあった。

かなりの駆け足で、今年面白かったものを振り返ってみたわけだが、恐らくあの時仕事を辞めていなければこういったものにまったく触れることはできていなかった。実際に、4月5月6月と、チケットは買ったけれど観に行けなかった舞台やライブなどが山のようにある。本当に仕事が辛かった。辛かったなんて簡単に言いたくないのだけれど、もうそう言わずにはいられない。新卒で入社してすぐから休みなしの15連勤や毎日のような終電帰り。まともに仕事を教えてくれる人はおらず、となりの部署の人から心配される始末。自分でもまさか辞めるとは思ってもいなかった。なんてことない空がとてつもなく綺麗に見えていたのは、地獄から見上げていたからなのだ。仕事を辞める前や後、何人もの人が優しく声をかけてくれたし大きな声で笑ってくれる人もいた。これまでそんなこと思ったこともなかったけれど、人と関わるって話すって生きていく上で必要なことなんだなと思った。

さて、2018年もまもなく終わりそうな現実に立ち返れば、目の前にあるのは結局仕事を見つけられずフリーターであるという事実と深刻なお金不足だ。お金がないのと電車に乗るのが辛いので移動の多くを自転車にするようにしたのも今年の大きな変化だ。東京を自転車で走るのはとても気持ちいい。ころころ変わる街並みや、緑意外に多いよなあなんて思ったりする。今みたいな季節は寒くてハンドルを握る指先が凍える。この指先の寒さも、今年の思い出だ。きっとすぐに忘れてしまう思い出で、忘れてもいい思い出だけれども、いつかふとした瞬間に思い出したりできればいい。坂道を自転車で下った時の指先を。来年はどんな1年になるのだろう。今となってはもう、どんなことが起きようと受け入れる。でも、少しでも目の前が拓けて明るい未来が見えますように。映画も演劇も本も音楽も、好きなものを好きでいられますように。

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誰かの記録

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密かな趣味がある。誰か知らない人の個人的な記録が刻まれたものを手に入れることだ。日記でもなんでもいい。誰かの痕跡が残っているものは胸をざわざわとさせる。

最近手に入れたものは、昭和29年(1954年)、主婦の友(新年特大号)付録の「家計簿」だ。1月から12月の1年間の家計簿が記録されている。ごく普通の内容で、生活費やお小遣い、移動費などが記録されている。

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家計簿に並んだ単語や数字からこの持ち主の生活を想像する。どこかの学校に通っているらしい息子と娘へのお小遣いが月1度必ず書かれていることから2人の子どもがいたのだろう。また、移動費には阿佐ヶ谷と高円寺の往復が多くあり、中央線のそのエリアに住んでいたことが伺える。8月や9月に毎日のようにきゅうりやナス、蚊取り線香、10月にはサンマを頻繁に買っていることに季節と結びついた生活を感じる。年末には年越しそばやお刺身を買っていた。こんな感じで家計簿からかつてあったその生活を浮かび上がらせていく。こんなこと、なんの意味があるのかと問われれば、なんの意味はない。しかし、想像は続く。

この家計簿をつけていたのはどんな人なのだろう。1950年代の平均初婚年齢が23歳なので、子どもが2人いて大学生ということは40代だろうか。もしご存命なら100歳オーバーだ。家計簿の下部分が日記になっているのだが、ほとんど記入されていない。しかし、数ヶ月に1度ほどのペースで書かれることがある。この月は、伊勢丹でスーパースピード手編機を買ったことを記録していた。思わず書きたくなるほどわくわくしたのかもしれない。

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友達らしき人と映画を観に行ったことも記録されていた。

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『黒い罌粟』という作品で、調べてみると確かにこの時期に公開されていた。

インクが落ちた跡にも想像が膨らむ。

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思わず、あっ、と声をあげたのではないか。聞こえもしないそんな声に耳をすませる。

この家計簿を読んでいると、子ども2人の存在は想像できるのだが、夫の姿がまったく見当たらない。しかし、数ヶ月に一度、「二人で映画」という書き込みがある。

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夫婦で映画を観に行ったということなのだろうか。それはあまりにも安易過ぎる身勝手なロマンチックな予想で、もしかしたらこの家計簿をつけている人の夫は亡くなっている可能性だってある。単純に、子ども2人と映画を観に行ったのかもしれない。想像は自由だが、過度なドラマ性は排除するのが個人的な掟だ。

この家計簿は1年かけて記録されている。そこには死だってある。

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欄外に書かれたおじいさんお亡くなりになるという記述。7日お通夜。8日告別式と並ぶ。家計簿という日常の記録の中に不意に書かれた死は、食パンやバターといった生活の近くにあった。

 

※この記事は数ヶ月前に違うブログに書いたものです。まったく更新しなくなったのでこちらに載せることにしました。まだまだ日記とか家計簿とか収集して所持しているので、今後気が向いたら書きます。

退屈を引き受ける

それってプライムビデオで観れるの?最近外に出るのが億劫でね。

87歳の詩人のこの一言を聞いた時、最高にクレバーだと思った。

金曜日、谷川俊太郎の朗読を聞きに行った。僕は谷川俊太郎の詩が好きだ。詩というものがそれほどメジャーではない国で、おそらく誰もが知る詩人だ。それはもちろん、教科書に載っているだとかそんなことが理由だけれど、教科書に留まらない凄さと素晴らしさがある。好きな詩人は吉増剛造だとか田村隆一だとか答えればなんとなく格好がつくが、そこは谷川俊太郎と言い切りたい。朗読会で、質問の時間があった。小学校の教員だという人が、「子どもたちに朗読させる時に1番伝えたいことはなんですか?」と質問した。そこで谷川さんは、「正確に、はっきりと発音することです」と答えた。その答えに、教員は不服そうだった。きっとその教員は、気持ちを込めるだとかそういう面での答えを待っていたのだろう。その不服そうな感じを察した谷川さんは、「朗読は聞く相手がいるのだから、自分だけが気持ちよくなってはだめ。相手に手渡すように伝えなければいけない」と付け加えた。谷川さんのこういうところが好きだ。決して感情論だとかに落とし込まない。また谷川さんが、詩を書く理由は食っていくためだと言っているのを聞いたことがある。芸術ってどうしてもお金に還元されない尊いもののように思ってしまうが、食っていくために詩を書くと言えるところに痺れる。

朗読会では、「きみ」という個人的に好きな詩が読まれた。

きみはぼくのとなりでねむっている
しゃつがめくれておへそがみえている
ねむってるのではなくてしんでるのだったらどんなにうれしいだろう
きみはもうじぶんのことしかかんがえていないめで
じっとぼくをみつめることもないし
ぼくのきらいなあべといっしょに
かわへおよぎにいくこともないのだ
きみがそばへくるときみのにおいがして
ぼくはむねがどきどきしてくる
ゆうべゆめのなかでぼくときみは
ふたりっきりでせんそうにいった
おかあさんのこともおとうさんのことも
がっこうのこともわすれていた
ふたりとももうしぬのだとおもった
しんだきみといつまでもいきようとおもった
きみとともだちになんかなりたくない
ぼくはただきみがすきなだけだ

まっこと素晴らしい詩を生で聴けて感動した。ちなみにこの詩は、谷川さん自身もゲイの少年についての詩だと言っている。谷川さんの詩集で好きなタイトルは『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』です。この詩集にはあの有名な「芝生」も入っている。

そして私はいつか

どこかから来て

不意にこの芝生の上に立っていた

なすべきことはすべて

私の細胞が記憶していた

だから私は人間の形をし

幸せについて語りさえしたのだ

とても良い夜だった。

土曜日、とても嫌な夢を見た。僕は中学生で、いじめられていた。一人だけ、名前も顔も知らない人がいて、その人だけが味方だった。卒業式の日、その人が耳元で、これで全て終わりだから、全て良くなるから、とささやいて僕はめちゃめちゃに泣くという夢だった。夢占いできる人、深層心理みたいなのでこの夢の真意を教えてください。

母親が来た。父親は仕事になったらしく、来れなくなった。父親はあらゆる普通を押し付け、敷いたレールの上の人生を歩ませようとしてくるので短いスパンで顔を合わせることがなく安心した。夜、母親がふと、「お父さんと付き合い始めた時、君は頭が馬鹿なのか、と言われたことがある」と話した。むかし母は、父と二人きりでも自分の意見を言ったり、会話をしなかったかららしい。僕の父は、なにも喋らない人をなにも考えていない馬鹿な人だとみなすような人間なのだ。とても姉に似ていると思った。姉は、映画の『桐島、部活やめるってよ』を観て、「へー、オタクも色々考えてるんだね」と言い放った人だ。話したくても言葉が出てこない人は無数にいるのだ。

日曜日 

アゴラでこふく劇場『ただいま』を観た。宮崎の劇団で、全編宮崎弁のお芝居だった。会話とモノローグが絶え間なく連続するのだが、そのモノローグが小説のような豊かさでしかも説明的でなく素晴らしかった。音楽と共に描かれる、市井の人々の生活に見え隠れする過去や死に感動した。特に、ラストの台詞が良かった。

たしかにビールはうまい。そして、そこには幸せがあった。

わたしからは奪えない。カセットテープのB面が不意に終わるように、歌が終わっても、わたしから奪えないものが、確かにある。

さあ、夕御飯を食べよう。

風が吹いた。

九月がはじまる。

台本のト書きを全て役者がモノローグとして話すのだが、役者の発話の上手さと宮崎弁も相まってまったく違和感がないのだ。あとは、「好きなようにできるって、誰かが退屈なものを何も言わずに引き受けて、それを毎日丁寧に繰り返してくれてるからなんだって」という台詞にもハッとさせられた。

帰りに新宿の世界堂に寄り、紙を買った。なにもせず時間だけが過ぎていく虚しさと、ある意味で世の中と折り合いつけるのが難しいと気づいた今年の思い出にちょっとした冊子のようなものを作ろうと思い立った。いままでのブログの文章をまとめたり、弱さとかをテーマにしてその他諸々書くつもりだ。なんとか今年中に出来上がればなと思っている。お手製のささやかなものになる気がするけれど、欲しい人いたらツイッターのDMとかここのコメントに書いてください。

夜は、一人で鍋をした。ここ最近は、1週間に2回は鍋を食べている。鍋が好きだ。寒いのは嫌だけれど、寒くないと鍋を食べることもないので、一年に一度寒い季節が訪れるのは嬉しい。もうすぐクリスマスだ。この時期は名盤「チャーリーブラウンクリスマス」のサントラを狂ったように聴くことが恒例になっている。最高なのでおすすめです。写真を漁ったら去年のクリスマスの頃は台湾に行っていた。台湾のご飯屋さんで見かけた犬の写真で終わりにします。とても幸せそうだ。

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ここ数日のこと

朝ってもう少し明るいのかと思っていた。5時半ぐらいにカーテンの隙間から外を見たら、想像の何倍も暗くて驚いた。眠れない日に徐々に夜が明けていくのをカーテンの隙間から漏れる光で感じていたのだが、その明るさと実際の外の明るさは比例していなかった。外に出ると、部活に行くのであろう中学生を見かけた。たしかに、このぐらいの薄暗さと寒さの中、部活に行っていたなと思い出す。普段は自転車で学校へ行くのは禁止されていたが、土日の部活だけは自転車が許可されていた。手袋をして、親に無理矢理巻かれたマフラーとラケットを背負って自転車を漕いでいた。マフラーへの抵抗感は、お洒落をしていると思われるのが中学生としては恥ずかしかったのだと思う。けれども、ネッグウォーマーはダサいと思っていたし長野県の寒さはむき出しの肌に優しくないので、妥協としてマフラーを巻いていた。僕は、いつも律儀にヘルメットをかぶっていた。白いつるつるのヘルメットだ。事故に遭った時のためなんて気持ちはどこにもなくて、どこで先生が見ているかわからない恐怖感が常にあった。結局のところ、小心者で今となんにも変わってないなあと思う。校則なんて破って、ヘルメットもかぶらず学区外へ行けるような人でありたかった。

朝の散歩での風景。最近は歩く時ずっとシャムキャッツ の新しいアルバム『Virgin Graffiti』を聴いている。

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土曜日は、三鷹芸術文化センター星のホールでiaku『逢いにいくの、雨だけど』を観た。27年前に起きたある事故の被害者と加害者の現在と、事故が起きた当時の被害者家族と加害者家族を交互に描いていくお話。iakuを観たのは『粛々と運針』以来であったが、その時の印象と同様に、とても丁寧な戯曲で今作もとても素晴らしかった。現代の演劇を追いかけていると、突飛で飛躍した面白さみたいなものにどうしても目が行ってしまうのだが、飛躍のない丁寧で誠実なお芝居を観ると改めて深く感嘆する。テーマがテーマだけに、坂元裕二の『それでも、生きてゆく』と共鳴している部分もあった。『それでも、生きてゆく』はもっと徹底的に人との分かり合えなさを描いているわけだが。

日曜は、あさくさ劇亭で秘密結社ブランコの『堀船』を観た。ナカゴー鎌田さんの作演出。鎌田さんの作る演劇はやはり抜群に面白い。前日に観たiakuとは全く方向性が違うわけだが、突拍子もない設定や演技の中でどこか人間的な部分を描いている。帰宅して、ついに『ベター・コール・ソウル』シーズン4の最終話を観た。冒頭がカラオケのシーンで始まり、カラオケシーンに弱い自分は一気にやられてしまった。映画や演劇のあらゆるカラオケの場面が好きだ。歌に様々な状況を乗せるなんてありふれたベタな演出だが、どうしても好きになってしまう。最終話まで観て、『ベター・コール・ソウル』の素晴らしさに改めて呆然とした。隙のないキレッキレの脚本と演出で、もはや『ブレイキング・バッド』のスピンオフの域を超えている。次のシーズン5で終わりということなので、どんな結末になるのか楽しみだ。

月曜、とても寒い日だった。夜に、下北スズナリで城山羊の会『埋める女』を観た。傑作不条理劇でとても面白かった。しかも、奥田洋平さんと岡部たかしさんという自分好みの役者が出ているのも最高だった。

最近はすれ違った人の後ろ姿を撮ることがある。

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犯罪すれすれだ。

親から今週末東京に来ると連絡があった。数週間前にも来たばかりだ。ストレスで僕を殺そうとしているのだろうか。家族だから気を使わないでしょとか、家族だから楽でしょとか言うのだが、家族だから一緒にいるのが苦しいということをわかっていないのか。24歳にもなってこんな反抗期みたいなこと言いたくないが、どうしたって親と顔を合わせるのが辛い。どうせ予定ないんでしょなどとも言うが、予定がないからって親に付き合って土日を過ごす義務は僕にはないはずだ。しかも、そっちはそっちで自由に過ごしていいからねなどと言うのだが、そんなこと僕にはできないことを分かった上での発言なのだ。とにかくもうそれだけで今週がずっと憂鬱だ。

そこに水路があった

最寄り駅から家まで歩く道は、登りから下りになっている。登りの一番高いところには、その高さのまままっすぐの道が横に通っている。その道を渡るとまた下りになる。なぜその道の場所だけ高台なのだろうとずっと思っていた。地名的に谷がつくし、谷があったからそういう地形なのかなと一人で勝手に結論づけていた。しかし、「東京時層地図」という最強のアプリを使って100年前の地図を見てみると、その道の場所は「新上水」と書かれ水が流れているようだった。青い点が現在地であり、昔の地図上では水の上に立っていることになる。

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新上水とは?と調べてみると、なんとその道は今の言い方では「玉川上水新水路跡」ということになっていた。もっと調べてみると、ここが高台になっている理由は、水を流すために人工的な土手が作られていたからだったのだ。ちなみにこの道が現在の玉川上水新水路だ。

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たしかにずっと真っ直ぐの道なので水が流れていたと言われればそうも見えてくる。この道沿いには「ずい道公園」という公園が二つある。ずい道ってなんだろうとずっと疑問に思っていたのだが、水道のことか!と納得がいった。今ではこの道には都営住宅が多く並んでいる。その裏側はすぐ階段であり、高さがあることがわかる。

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さらに、道の下には道路が通っており、そこのトンネルの造りが近代っぽいのがなにかしらの名残を感じさせる。

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せっかくだからと、100年前の地図を見ながら新上水沿いを歩いてみることにした。まず気づいたのは、地図上の水路の上に一定の区間で橋が架かっていることだ。このかつて橋の架かっていた場所を目視すると、今でも両端に道がある。普段見ている景色が過去のものと重なり感動する。ちなみに、幡ヶ谷の六号通り商店街は、六番目の橋が架かっていた道だからそういう名前らしい。色々なことに感心しながら歩き進める。笹塚を過ぎたあたりで大きな道にぶつかり、かつての水路の跡が突然狭くなった。

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水路を横切る道路を上から撮った。かつては右から左に水路があったはずだ。

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これまでとは打って変わって道は狭くなる。

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細い道をぐんぐん進んでいく。この下に昔は水の流れがあったのだ。

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明大前の手前あたりで、大きな建物にぶち当たる。

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東京都の水道局の施設だ。ここに水路があったなどと言われなければ気づきようのない何の変哲もない道を歩いてきたわけだが、水道局というかつての水路を継ぐ建物に行き当たった。地図によると、かつてはここから玉川上水が「玉川上水新水路」へと分岐していた。青い場所が水道局のある場所とかぶる。

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そのポイントに水道局があることにやけに感動してしまった。今回の目的は、新水路を辿ることだったので、とりあえずの散歩は終えた。すると、近くに神田川を見つけた。いやはや、どこにでも神田川はありますなと川沿いを歩くことにした。

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紅葉綺麗だなと思いながらふと、「東京時層地図」で90年前の地図を見ると、川のすぐ脇に養魚池を見つけた。これは、今はどうなっているのだろう、行くしかないとすぐに向かった。養魚池の上に立つ。

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そこは、もうただの住宅街となっていた。

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ただ嬉しかったのが、養魚池の3つの区分けは、現在の住宅街でも健在であったことだ。

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かなりの距離を歩き、時間も時間だったので、ここから引き返し、帰宅した。前回の散歩は神田川沿いを歩いた。

ただ歩く - 記録

今回は、「玉川上水新水路跡」の上を歩き、かつての水の流れを想像しながら散歩をした。過去の風景の面影が垣間見え、現在と重なる瞬間がたまらなく好きだ。だからきっと、柴崎友香さんの小説を読んでいるのだし、リチャード・マグワイアの『HERE』に感銘を受けてしまうのだろう。