記録

記録

誰かの記録

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密かな趣味がある。誰か知らない人の個人的な記録が刻まれたものを手に入れることだ。日記でもなんでもいい。誰かの痕跡が残っているものは胸をざわざわとさせる。

最近手に入れたものは、昭和29年(1954年)、主婦の友(新年特大号)付録の「家計簿」だ。1月から12月の1年間の家計簿が記録されている。ごく普通の内容で、生活費やお小遣い、移動費などが記録されている。

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家計簿に並んだ単語や数字からこの持ち主の生活を想像する。どこかの学校に通っているらしい息子と娘へのお小遣いが月1度必ず書かれていることから2人の子どもがいたのだろう。また、移動費には阿佐ヶ谷と高円寺の往復が多くあり、中央線のそのエリアに住んでいたことが伺える。8月や9月に毎日のようにきゅうりやナス、蚊取り線香、10月にはサンマを頻繁に買っていることに季節と結びついた生活を感じる。年末には年越しそばやお刺身を買っていた。こんな感じで家計簿からかつてあったその生活を浮かび上がらせていく。こんなこと、なんの意味があるのかと問われれば、なんの意味はない。しかし、想像は続く。

この家計簿をつけていたのはどんな人なのだろう。1950年代の平均初婚年齢が23歳なので、子どもが2人いて大学生ということは40代だろうか。もしご存命なら100歳オーバーだ。家計簿の下部分が日記になっているのだが、ほとんど記入されていない。しかし、数ヶ月に1度ほどのペースで書かれることがある。この月は、伊勢丹でスーパースピード手編機を買ったことを記録していた。思わず書きたくなるほどわくわくしたのかもしれない。

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友達らしき人と映画を観に行ったことも記録されていた。

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『黒い罌粟』という作品で、調べてみると確かにこの時期に公開されていた。

インクが落ちた跡にも想像が膨らむ。

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思わず、あっ、と声をあげたのではないか。聞こえもしないそんな声に耳をすませる。

この家計簿を読んでいると、子ども2人の存在は想像できるのだが、夫の姿がまったく見当たらない。しかし、数ヶ月に一度、「二人で映画」という書き込みがある。

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夫婦で映画を観に行ったということなのだろうか。それはあまりにも安易過ぎる身勝手なロマンチックな予想で、もしかしたらこの家計簿をつけている人の夫は亡くなっている可能性だってある。単純に、子ども2人と映画を観に行ったのかもしれない。想像は自由だが、過度なドラマ性は排除するのが個人的な掟だ。

この家計簿は1年かけて記録されている。そこには死だってある。

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欄外に書かれたおじいさんお亡くなりになるという記述。7日お通夜。8日告別式と並ぶ。家計簿という日常の記録の中に不意に書かれた死は、食パンやバターといった生活の近くにあった。

 

※この記事は数ヶ月前に違うブログに書いたものです。まったく更新しなくなったのでこちらに載せることにしました。まだまだ日記とか家計簿とか収集して所持しているので、今後気が向いたら書きます。

退屈を引き受ける

それってプライムビデオで観れるの?最近外に出るのが億劫でね。

87歳の詩人のこの一言を聞いた時、最高にクレバーだと思った。

金曜日、谷川俊太郎の朗読を聞きに行った。僕は谷川俊太郎の詩が好きだ。詩というものがそれほどメジャーではない国で、おそらく誰もが知る詩人だ。それはもちろん、教科書に載っているだとかそんなことが理由だけれど、教科書に留まらない凄さと素晴らしさがある。好きな詩人は吉増剛造だとか田村隆一だとか答えればなんとなく格好がつくが、そこは谷川俊太郎と言い切りたい。朗読会で、質問の時間があった。小学校の教員だという人が、「子どもたちに朗読させる時に1番伝えたいことはなんですか?」と質問した。そこで谷川さんは、「正確に、はっきりと発音することです」と答えた。その答えに、教員は不服そうだった。きっとその教員は、気持ちを込めるだとかそういう面での答えを待っていたのだろう。その不服そうな感じを察した谷川さんは、「朗読は聞く相手がいるのだから、自分だけが気持ちよくなってはだめ。相手に手渡すように伝えなければいけない」と付け加えた。谷川さんのこういうところが好きだ。決して感情論だとかに落とし込まない。また谷川さんが、詩を書く理由は食っていくためだと言っているのを聞いたことがある。芸術ってどうしてもお金に還元されない尊いもののように思ってしまうが、食っていくために詩を書くと言えるところに痺れる。

朗読会では、「きみ」という個人的に好きな詩が読まれた。

きみはぼくのとなりでねむっている
しゃつがめくれておへそがみえている
ねむってるのではなくてしんでるのだったらどんなにうれしいだろう
きみはもうじぶんのことしかかんがえていないめで
じっとぼくをみつめることもないし
ぼくのきらいなあべといっしょに
かわへおよぎにいくこともないのだ
きみがそばへくるときみのにおいがして
ぼくはむねがどきどきしてくる
ゆうべゆめのなかでぼくときみは
ふたりっきりでせんそうにいった
おかあさんのこともおとうさんのことも
がっこうのこともわすれていた
ふたりとももうしぬのだとおもった
しんだきみといつまでもいきようとおもった
きみとともだちになんかなりたくない
ぼくはただきみがすきなだけだ

まっこと素晴らしい詩を生で聴けて感動した。ちなみにこの詩は、谷川さん自身もゲイの少年についての詩だと言っている。谷川さんの詩集で好きなタイトルは『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』です。この詩集にはあの有名な「芝生」も入っている。

そして私はいつか

どこかから来て

不意にこの芝生の上に立っていた

なすべきことはすべて

私の細胞が記憶していた

だから私は人間の形をし

幸せについて語りさえしたのだ

とても良い夜だった。

土曜日、とても嫌な夢を見た。僕は中学生で、いじめられていた。一人だけ、名前も顔も知らない人がいて、その人だけが味方だった。卒業式の日、その人が耳元で、これで全て終わりだから、全て良くなるから、とささやいて僕はめちゃめちゃに泣くという夢だった。夢占いできる人、深層心理みたいなのでこの夢の真意を教えてください。

母親が来た。父親は仕事になったらしく、来れなくなった。父親はあらゆる普通を押し付け、敷いたレールの上の人生を歩ませようとしてくるので短いスパンで顔を合わせることがなく安心した。夜、母親がふと、「お父さんと付き合い始めた時、君は頭が馬鹿なのか、と言われたことがある」と話した。むかし母は、父と二人きりでも自分の意見を言ったり、会話をしなかったかららしい。僕の父は、なにも喋らない人をなにも考えていない馬鹿な人だとみなすような人間なのだ。とても姉に似ていると思った。姉は、映画の『桐島、部活やめるってよ』を観て、「へー、オタクも色々考えてるんだね」と言い放った人だ。話したくても言葉が出てこない人は無数にいるのだ。

日曜日 

アゴラでこふく劇場『ただいま』を観た。宮崎の劇団で、全編宮崎弁のお芝居だった。会話とモノローグが絶え間なく連続するのだが、そのモノローグが小説のような豊かさでしかも説明的でなく素晴らしかった。音楽と共に描かれる、市井の人々の生活に見え隠れする過去や死に感動した。特に、ラストの台詞が良かった。

たしかにビールはうまい。そして、そこには幸せがあった。

わたしからは奪えない。カセットテープのB面が不意に終わるように、歌が終わっても、わたしから奪えないものが、確かにある。

さあ、夕御飯を食べよう。

風が吹いた。

九月がはじまる。

台本のト書きを全て役者がモノローグとして話すのだが、役者の発話の上手さと宮崎弁も相まってまったく違和感がないのだ。あとは、「好きなようにできるって、誰かが退屈なものを何も言わずに引き受けて、それを毎日丁寧に繰り返してくれてるからなんだって」という台詞にもハッとさせられた。

帰りに新宿の世界堂に寄り、紙を買った。なにもせず時間だけが過ぎていく虚しさと、ある意味で世の中と折り合いつけるのが難しいと気づいた今年の思い出にちょっとした冊子のようなものを作ろうと思い立った。いままでのブログの文章をまとめたり、弱さとかをテーマにしてその他諸々書くつもりだ。なんとか今年中に出来上がればなと思っている。お手製のささやかなものになる気がするけれど、欲しい人いたらツイッターのDMとかここのコメントに書いてください。

夜は、一人で鍋をした。ここ最近は、1週間に2回は鍋を食べている。鍋が好きだ。寒いのは嫌だけれど、寒くないと鍋を食べることもないので、一年に一度寒い季節が訪れるのは嬉しい。もうすぐクリスマスだ。この時期は名盤「チャーリーブラウンクリスマス」のサントラを狂ったように聴くことが恒例になっている。最高なのでおすすめです。写真を漁ったら去年のクリスマスの頃は台湾に行っていた。台湾のご飯屋さんで見かけた犬の写真で終わりにします。とても幸せそうだ。

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ここ数日のこと

朝ってもう少し明るいのかと思っていた。5時半ぐらいにカーテンの隙間から外を見たら、想像の何倍も暗くて驚いた。眠れない日に徐々に夜が明けていくのをカーテンの隙間から漏れる光で感じていたのだが、その明るさと実際の外の明るさは比例していなかった。外に出ると、部活に行くのであろう中学生を見かけた。たしかに、このぐらいの薄暗さと寒さの中、部活に行っていたなと思い出す。普段は自転車で学校へ行くのは禁止されていたが、土日の部活だけは自転車が許可されていた。手袋をして、親に無理矢理巻かれたマフラーとラケットを背負って自転車を漕いでいた。マフラーへの抵抗感は、お洒落をしていると思われるのが中学生としては恥ずかしかったのだと思う。けれども、ネッグウォーマーはダサいと思っていたし長野県の寒さはむき出しの肌に優しくないので、妥協としてマフラーを巻いていた。僕は、いつも律儀にヘルメットをかぶっていた。白いつるつるのヘルメットだ。事故に遭った時のためなんて気持ちはどこにもなくて、どこで先生が見ているかわからない恐怖感が常にあった。結局のところ、小心者で今となんにも変わってないなあと思う。校則なんて破って、ヘルメットもかぶらず学区外へ行けるような人でありたかった。

朝の散歩での風景。最近は歩く時ずっとシャムキャッツ の新しいアルバム『Virgin Graffiti』を聴いている。

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土曜日は、三鷹芸術文化センター星のホールでiaku『逢いにいくの、雨だけど』を観た。27年前に起きたある事故の被害者と加害者の現在と、事故が起きた当時の被害者家族と加害者家族を交互に描いていくお話。iakuを観たのは『粛々と運針』以来であったが、その時の印象と同様に、とても丁寧な戯曲で今作もとても素晴らしかった。現代の演劇を追いかけていると、突飛で飛躍した面白さみたいなものにどうしても目が行ってしまうのだが、飛躍のない丁寧で誠実なお芝居を観ると改めて深く感嘆する。テーマがテーマだけに、坂元裕二の『それでも、生きてゆく』と共鳴している部分もあった。『それでも、生きてゆく』はもっと徹底的に人との分かり合えなさを描いているわけだが。

日曜は、あさくさ劇亭で秘密結社ブランコの『堀船』を観た。ナカゴー鎌田さんの作演出。鎌田さんの作る演劇はやはり抜群に面白い。前日に観たiakuとは全く方向性が違うわけだが、突拍子もない設定や演技の中でどこか人間的な部分を描いている。帰宅して、ついに『ベター・コール・ソウル』シーズン4の最終話を観た。冒頭がカラオケのシーンで始まり、カラオケシーンに弱い自分は一気にやられてしまった。映画や演劇のあらゆるカラオケの場面が好きだ。歌に様々な状況を乗せるなんてありふれたベタな演出だが、どうしても好きになってしまう。最終話まで観て、『ベター・コール・ソウル』の素晴らしさに改めて呆然とした。隙のないキレッキレの脚本と演出で、もはや『ブレイキング・バッド』のスピンオフの域を超えている。次のシーズン5で終わりということなので、どんな結末になるのか楽しみだ。

月曜、とても寒い日だった。夜に、下北スズナリで城山羊の会『埋める女』を観た。傑作不条理劇でとても面白かった。しかも、奥田洋平さんと岡部たかしさんという自分好みの役者が出ているのも最高だった。

最近はすれ違った人の後ろ姿を撮ることがある。

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犯罪すれすれだ。

親から今週末東京に来ると連絡があった。数週間前にも来たばかりだ。ストレスで僕を殺そうとしているのだろうか。家族だから気を使わないでしょとか、家族だから楽でしょとか言うのだが、家族だから一緒にいるのが苦しいということをわかっていないのか。24歳にもなってこんな反抗期みたいなこと言いたくないが、どうしたって親と顔を合わせるのが辛い。どうせ予定ないんでしょなどとも言うが、予定がないからって親に付き合って土日を過ごす義務は僕にはないはずだ。しかも、そっちはそっちで自由に過ごしていいからねなどと言うのだが、そんなこと僕にはできないことを分かった上での発言なのだ。とにかくもうそれだけで今週がずっと憂鬱だ。

そこに水路があった

最寄り駅から家まで歩く道は、登りから下りになっている。登りの一番高いところには、その高さのまままっすぐの道が横に通っている。その道を渡るとまた下りになる。なぜその道の場所だけ高台なのだろうとずっと思っていた。地名的に谷がつくし、谷があったからそういう地形なのかなと一人で勝手に結論づけていた。しかし、「東京時層地図」という最強のアプリを使って100年前の地図を見てみると、その道の場所は「新上水」と書かれ水が流れているようだった。青い点が現在地であり、昔の地図上では水の上に立っていることになる。

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新上水とは?と調べてみると、なんとその道は今の言い方では「玉川上水新水路跡」ということになっていた。もっと調べてみると、ここが高台になっている理由は、水を流すために人工的な土手が作られていたからだったのだ。ちなみにこの道が現在の玉川上水新水路だ。

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たしかにずっと真っ直ぐの道なので水が流れていたと言われればそうも見えてくる。この道沿いには「ずい道公園」という公園が二つある。ずい道ってなんだろうとずっと疑問に思っていたのだが、水道のことか!と納得がいった。今ではこの道には都営住宅が多く並んでいる。その裏側はすぐ階段であり、高さがあることがわかる。

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さらに、道の下には道路が通っており、そこのトンネルの造りが近代っぽいのがなにかしらの名残を感じさせる。

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せっかくだからと、100年前の地図を見ながら新上水沿いを歩いてみることにした。まず気づいたのは、地図上の水路の上に一定の区間で橋が架かっていることだ。このかつて橋の架かっていた場所を目視すると、今でも両端に道がある。普段見ている景色が過去のものと重なり感動する。ちなみに、幡ヶ谷の六号通り商店街は、六番目の橋が架かっていた道だからそういう名前らしい。色々なことに感心しながら歩き進める。笹塚を過ぎたあたりで大きな道にぶつかり、かつての水路の跡が突然狭くなった。

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水路を横切る道路を上から撮った。かつては右から左に水路があったはずだ。

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これまでとは打って変わって道は狭くなる。

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細い道をぐんぐん進んでいく。この下に昔は水の流れがあったのだ。

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明大前の手前あたりで、大きな建物にぶち当たる。

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東京都の水道局の施設だ。ここに水路があったなどと言われなければ気づきようのない何の変哲もない道を歩いてきたわけだが、水道局というかつての水路を継ぐ建物に行き当たった。地図によると、かつてはここから玉川上水が「玉川上水新水路」へと分岐していた。青い場所が水道局のある場所とかぶる。

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そのポイントに水道局があることにやけに感動してしまった。今回の目的は、新水路を辿ることだったので、とりあえずの散歩は終えた。すると、近くに神田川を見つけた。いやはや、どこにでも神田川はありますなと川沿いを歩くことにした。

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紅葉綺麗だなと思いながらふと、「東京時層地図」で90年前の地図を見ると、川のすぐ脇に養魚池を見つけた。これは、今はどうなっているのだろう、行くしかないとすぐに向かった。養魚池の上に立つ。

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そこは、もうただの住宅街となっていた。

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ただ嬉しかったのが、養魚池の3つの区分けは、現在の住宅街でも健在であったことだ。

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かなりの距離を歩き、時間も時間だったので、ここから引き返し、帰宅した。前回の散歩は神田川沿いを歩いた。

ただ歩く - 記録

今回は、「玉川上水新水路跡」の上を歩き、かつての水の流れを想像しながら散歩をした。過去の風景の面影が垣間見え、現在と重なる瞬間がたまらなく好きだ。だからきっと、柴崎友香さんの小説を読んでいるのだし、リチャード・マグワイアの『HERE』に感銘を受けてしまうのだろう。

ただ歩く

先週受けた面接に落ちた。まあそんなもんですよね。いや、まあそんなもんですよねと言って自分を慰めておかないとやっていられない。年内に仕事を見つけるなんて言っていたが、年明けは目の前に迫りつつある。先週の土日のことを書く。

土曜日。朝起きて、今日は本屋に行って美術館に行って充実した日にするぞと意気込むも、だらだらしていたらいつのまにか午後になってしまい、今日の予定は明日に持ち越すことにして、散歩をした。
家のある幡ヶ谷から中野方面へ住宅街や路地をうろうろしながら歩く。中野新橋駅付近で神田川にぶつかった。そこから神田川沿いを遡るようにして歩く。しばらく歩くと合流する川があり、それが善福寺川だった。合流点から眺める善福寺川。15時前だったが逆光でなんだか夕方みたいだ。

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ここが善福寺川の終わりであり、神田川に名前が変わっていた。きっとこれは常識なのだろうけれど、神田川の源流が井の頭公園であるとその時初めて知った。神田川はそのまま都心を通過し、隅田川に合流して海へ流れ出る。東京に住んでいると、神田川をいたるところで見かける。僕にとっての神田川は、学生時代を過ごした早稲田近辺の神田川だ。ちなみに、市ヶ谷駅の目の前も一見神田川に見えるが、あれはかつての江戸城の外濠である。この日調べるまでずっと川だと思っていた。善福寺川と神田川の合流地点で善福寺川沿いを歩くルートに変更し、進む。

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この周辺の地名が和田という場所だったのだが、全国各地の和田という地名は、海の古語「ワタ」が関係しているらしい。海から水に転じて、神田川と善福寺川の二つの川が流れているからここも和田なのだろうか。途中、川から離脱して住宅街を歩く。紅葉が綺麗だった。人がたくさん集まった、いわゆる名所なんかよりも、ふとした瞬間に目に留まった鮮やかな黄色の方がよっぽど美しい。

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道に落ちている枯れ葉を踏んだ時のあの感覚を楽しみながら住宅街をさまよった。一人でどれだけ良い音を出せるかゲーム感覚で楽しんだ。まさに秋晴れでとても気持ちよかった。

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いつのまにか夕方になっていて、そこから再び善福寺川に戻り、方南町から幡ヶ谷を目指して歩いた。すると、また神田川にぶつかり、いやどれだけ神田川あるんだよ、と一人で突っ込んだ。すぐに地図で確認すると、これは善福寺川と合流する前の神田川であることがわかった。つまり純神田川だ。そんなどうでもいいことを考えながらまったく知らない住宅街をひたすらに進む。家に着く頃にはすっかり暗くなっていた。今日の本来の予定であった美術館と本屋はどこかへ行ってしまい散歩だけで1日が終わったが、東京に流れる川の多さを再確認し、もっと周辺の地理について知ろうと思った。知れば知るほどこれまでとは違う景色が立ち上がってきて散歩の楽しみが増えそうだ。

 

日曜日

昨日持ち越した美術館に行く予定を実行しようとするも、いまいち気分が乗らず、とりあえず洗濯機を回し、コインランドリーの乾燥機に放り込み、その間に写真を撮りながら近所を散歩した。

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近所なので何度も歩いている場所だが、光の当たり方や、季節だけですべてが違う風景に見える。コインランドリーから洗濯物を回収し、家に帰るもだらだらしてしまい、結局は本屋へ行くことに。久しぶりに荻窪のTitleへ行った。タムくんの展示をやっていたのでじっくり見てから、本を何冊も買い込んだ。夜は、大学のゼミの人たちと会った。みんなが仕事の話をしている時は、ひたすらお皿の上のイクラを一粒一粒つまんで口に運んでいた。ライターの仕事はどうなの?と言われた。なれるものならなりたいです。仕事をください。家に帰ってから、M-1の決勝を追っかけで見る。全組面白かったけれど、ジャルジャルをどうしようもなく好きであることを再確認した。深夜、Titleで買った今井麗さんの最高の画集を眺めた。

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画集の最後に、「自分の絵が、誰かの生活を少しでも明るく照らせたらと思って、制作を続けている」と書かれていた。この画集が部屋にあるだけで、うだつの上がらない僕の生活が明るく照らされている。あとは、タバブックスから出ている「生活考察」も買った。

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この中の、柴崎友香さんと滝口悠生さんの散歩をしながらの対談がたまらなく素晴らしかった。お二方とも大好きな小説家であるわけだけれども、散歩への向き合い方が自分とほぼ同じで震えた。しかも、ちょうど最近のブログで書いた早稲田近辺の散歩ルートを今回の対談で歩いていた。

なにかのワンシーン - 記録

このブログの最後に載せたこの場所であのお二人が自分と同じ場所に立って同じ景色を見ていたと考えるだけで感慨深い。

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個人的には、滝口さんのこの部分が好きだった。

僕は歴史的な背景を考えるとかよりは、もっとぼーっとした観察しかしてない気がします。たまたまそこを通りかかっただけで、その時にどんな景色があるかを楽しむ感じです。だから偶然その時に出くわした変な人とかが気になる。同じ場所を歩いていても、見聞きするもののバリエーションはものすごく豊富なんですよね。その一回性も面白い。その日その時出くわす通行人は、当然毎回違って、あ、今日はこういう人が来たか、みたいなことが楽しい。そこを通るのが10分ズレていたら、自分はその人に逢えなかったわけだし。それは人だけでなく、建物や景色についても同様ですよね。その日の自分の状態や、天気のような外的な要素によっても、印象は異なります。だから、「すごい坂だな」とか「ここにこういう建物があるんだ」みたいな出会いに、その都度反応している感じですね。その延長で、その土地やそこに生きる人/生きた人たちのことを想像するというか。

もう本当に自分の散歩の考え方や楽しみ方の全てが詰まっている。滝口さんが散歩を終えてこう言っていた。

今日の散歩コースはとても懐かしかったです。僕は20歳をだいぶ過ぎてから早稲田に入ったんですけで、それでももう中退して10年くらい経つので。あの頃は人生で一番暇な時期だったから、毎日のように2時間とか歩いて、いろんなことを考えたりして、今振り返ってもすごくいい時間だったなと思います。その頃のことを「絶頂期」と呼んでいるんですよ。

僕の人生は今、もうギリギリの低空飛行で、こんな毎日散歩ばかりしていていいのかよと思っている。けれども、いつか振り返った時に、あの時は絶頂期だったと言えたらいいし、言いたい。

悪いことが起きそうな日

今日は、数ヶ月ぶりに起きようと思った時間に起きることができた。いつもは朝6時半に目覚ましをかけるのだけれど結局は7時20分ぐらいに起きてバタバタとシャワーをあびて8時過ぎに家を出るみたいな生活を送っている。本当は7時45分に家を出たいのにその夢が叶ったことは一度もなかった。それなのにもかかわらず、今日は予定通り起きれて予定通りに家を出ることができた。朝、自転車に乗りながら、数ヶ月出来なかったことが今日突然できてしまうなんておかしい。きっと悪いことが起きるに違いないと思っていた。けれども悪いことは起きなくって、アルバイト先に新しく入って来た人と楽しくお昼を食べることができたし、仕事もミスをすることがなかった。しかも、夕方だけ歩行者天国になる商店街の真ん中を郵便物を抱えながら足早に歩いていたら、街にはクリスマスの安っぽいネオンが光っているし、夕日が風景をオレンジに染めているし、どこかで聞いたことのある映画音楽がスピーカーからは流れているしで、一瞬だけ根拠のない、けれども確固たる、自分だけが自分の人生の主役だという感覚に襲われた。郵便局には、黒と白のもふもふした犬を二匹連れたご婦人が年賀状を買っていて、その後ろで僕は犬とずっと見つめあっていた。郵便局を出たら、そういえばコート着ないでここまで来ちゃったそりゃ寒いよ、と思いながら足早にアルバイト先に戻って、その時にはもう人生の主役だなんて思ったことは忘れていた。アルバイト帰りに、今日はお給料日だったので、本屋さんで本を買って、少し電車に乗ってから自転車で家に帰る。金曜日の夜の帰り道の、自転車に乗っている30分ぐらいの時間がとても好きだ。明日はなんにもないなー、なんでもできるなー、でもお金もないしきっとなんにもしないんだろうなー、と日頃のもやもやとした気持ちを忘れて自転車を漕ぐ。

11月は、ブログを10回以上も更新した。全てがもやもやとした気持ちを発端としたものばかりだ。3年前にブログを始めた時は、ポップカルチャーとかをカッコよく取り上げちゃうような記事を書きたくて憧れていたのに、今では精神的に危うくて、知り合いに読まれたら恥ずかしいような詩的な感情もむき出しにして文章を綴ってしまっている。でも不思議と読んでくれる人は増えていくし、ここで吐き出すことが心の安静にもなっている。なのでこれからもポエムと言われようが自分に酔っていると言われようが文章を書いていくぞ、と思った11月最後の日でした。

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特別でもなんでもない日のショートケーキ

面接が終わり、電車の中にいる。数日前から馬鹿みたいに緊張していたのに、面接時間は7分で終わった。きっと落ちているだろうし、早くスーツを脱ぎ捨てたい。面接でよく言われるのは、落ち着いてるね、という言葉だ。落ち着いているのではない。必死に落ち着こうとしているのだ。でもそんなこと向こうには関係なくて、落ち着いて見えているのならばこちらの勝利なのか。しかし、本当の落ち着きではないので、質問にはあたふたして冗長に話してしまうし、沈黙も生まれてしまう。いっそのこと、緊張丸出しで可愛げのようなものを見せた方が印象がいいのかもしれない。でもそんなことできないなあ、まともなフリを必死にしようとしてしまうなあと電車の中で内省する。

駅のホームで盲導犬を見かけた。駅を出たら、今度は首の周りが虹色に輝く柴犬がいた。昨晩、お風呂の電気が切れてしまったのを思い出してスーパーで電球を買って帰る。昨日は暗闇の中で髪を洗い体を洗った。なんの支障もなかった。ずっと行こう行こうと思っていたがなかなか入れずにいた近所に最近できたケーキ屋さんに行った。着慣れないスーツで500円のショートケーキを買った。帰宅してお風呂の電球を取り替えると、これでもかと明るくなって、お風呂場の汚さが目立った。夕飯に、牛肉と玉ねぎを甘辛く炒めたものと、春雨スープを作って、『ベター・コール・ソウル』シーズン4の第8話を見ながら食べた。『ベター・コール・ソウル』は全シーズンを通して、ワンシーンワンショットの演出が冴え渡っていて痺れっぱなしだ。あと数話で見終わってしまうことが惜しくて数日に1話のペースで見ている。食後に、ショートケーキを食べた。とびきり美味しいわけではなくて、ショートケーキ以上でも以下でもなかった。今日は、特別なことなどなにもないのにケーキを食べた日だ。なんでもない日こそ素晴らしいのさ、といった日常への尊さを感じているわけでもなくて、いや、本当はそんな心持ちで毎日を過ごせたらこの上ないのだけれども現状は難しくって、ただケーキを食べたくて食べただけだ。24歳の男が、面接ダメだったなあなんて思いながらショートケーキを頬張っている夜もあることをどうか忘れないでほしい。

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