記録

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色々観た話

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月曜日

朝から夕方までアルバイト。1ヶ月ほど前までは自転車で1時間半ほどかけてアルバイト先まで行っていたのだが、最近は暑くて朝からへとへとになってしまうので、渋谷まで自転車で行ってからそこから電車に乗っている。渋谷までは自転車で20分くらい。コミュニティサイクルを使っている。月額2000円で30分以内なら無料なので個人的には使い勝手がいい。しかし、それでも暑い。信号待ちをするたびに肌がじりじりと焼ける感覚がある。コミュニティサイクル、便利なのだが僕とUBER EATSの配達員しか使っていないんじゃないかと思うほど利用者をあまり見かけない。UBER EATSの人が背負ってるやつ、一度背負ってみたい。

夜はアトリエヘリコプターで玉田企画『バカンス』を観た。これまでの作品にあった爆発的な笑いポイントみたいのは少なかったのだが、それでも面白かった。あと、島田桃子さん最高だ。


火曜日

上野でシャンシャンを見た。

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耳がぐにゃっとなってしまっているのが可愛い。暑いよね。


水曜日

アルバイト。浦沢直樹『夢印』を読んだ。浦沢直樹ファンなので楽しく読めた。石黒正数『天国大魔境』も読んだ。石黒正数ファンなので、うおーおもしれー!となりながら読んだ。大友克洋イズムがびしびしと伝わってきた。


木曜日

アルバイト。週末に劇団かもめんたるを観に行く予定だったので、久しぶりにかもめんたる単独ライブ『抜旗根生』を観た。ドッジボールでボールに当てられて外に出るとき、どんな顔をすればいいかわからないというコントがとても好きだ。複雑に絡み合った自意識が最高。


金曜日

アルバイト。夜は岸政彦さんと川上未映子さんのトークイベントへ。どちらもとても好きなお二人。高校1年の時に『わたくし率イン歯ー、または世界』を読んで衝撃を受け、それ以来川上未映子作品は全て読んでいる。お二方の関西弁の心地良さと、ぐるぐると思考を巡らせる刺激的なお話を2時間強聞けた。改めて、岸さんの考えが好きだと思った。

とても良い話を聞けて楽しくなってしまったので、そのままレイトショーで『カメラを止めるな!』を観た。この日から新宿のTOHOで上映が始まり、大きなスクリーンで2度目の鑑賞。満席だった。もちろんネタバレ厳禁なのだが、ネタバレ関係なしに抜群にエンタメとして面白いと改めて思った。


土曜日

午前中から早稲田小劇場でロロ『グッド・モーニング』を観た。11時からという珍しい時間の開演。いつ高シリーズは相変わらず最高だ。今のここと、別のどこかを結びつける方法はいつもテクニカル。好きなシーンはいくつもあるのだけど、いつ高テーマのまなざしに絡めると、「みんな見てる」「私たちも見てる」が印象的だった。そして僕はダンスに弱い。人が身体を動かしているだけでなんだか泣けてくる。上手い下手関係なくだ。いつ高を観ると、いつも様々な記憶が蘇ってくる。今回はおはスタの名前が出てきて、中1まで見ていたことを思い出した。小5か小6あたりで、周りは「めざましテレビ」という番組を見ているらしいとうっすら感じ始めていたが、断固としておはスタを見続けていた。コロコロを毎月楽しみに買っていたからかもしれない。中1をちょっと過ぎたあたりからいつの間にかめざましテレビを見るようになっていた。めざましテレビを見たくて見ていたのではなく、おはスタを見ている自分が途端に恥ずかしくなったのだと思う。ちなみに今回の『グッド・モーニング』、町屋良平の小説『しき』にとても似ているところが多い。『しき』もめちゃめちゃ良い青春小説なのでおすすめ。

夜は武蔵野館で『少女邂逅』を観た。少女たちの儚く危ういゆえの美しさが印象的だった。主演の2人も素晴らしかった。アフタートークがあることをまったく知らなかったのだが、今作の監督の枝監督とカメラを止めるなで話題の上田監督がゲストだった。お互いにまったくベクトルの違う映画を撮ってはいるが、お客さんを楽しませたいという部分では共通していると話されていた。最近よく、面白いものってなんだろうと考えることがあるのだが、答えの一つがそれなのだと思う。しかしそれは、こういうのが好きなんだろといったある種の媚びではない。創作者自身も観客の1人として面白がれるものではなくてはならない気がする。


日曜日

午前中はまたまた武蔵野館で『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』を観た。とても良い作品だった。原作漫画よりも描写が細かく丁寧な印象を受けた。主演の蒔田彩珠南沙良共々素晴らしかった。是枝監督お気に入りの蒔田彩珠、僕もとても好きなのでもっと活躍してくれといった感じだ。ちょうど先週、医学書院から出ている『どもる体』という本を読んだばかりだったので吃音について考えながら観ることができた。伊藤亜紗『どもる体』素晴らしい本です。

お昼過ぎに下北へ移動して劇団かもめんたる『市民プールにピラニアが出た!』を観た。いままでの劇団かもめんたるの作品の中では1番面白かった。これまでの作品にはいまいちハマれていなかったのだが、今回はSF的要素を無くしたこともあってかシンプルに会話劇として面白かった。これまで続けていた単独ライブはやらないっぽくてそれはとても残念なのだが。

不思議とこの週末は、『グッド・モーニング』『少女邂逅』『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』という女子高生2人が出てくる作品を立て続けに観た。今年は『リズと青い鳥』も公開されたので、フィーリングを共有した作品が多く、どれも傑作だ。

知っている町の知らない祭りの子供たち

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知っている町の知らない祭りの子供たち。

先週、ふと思い立って長野の大町で開催されていたアルプスブックキャンプというブックマーケットのようなイベントへ行った。新宿から朝7時のバスに乗る。世間一般の夏休み初日ということもあり、渋滞に巻き込まれて6時間近くかかった。バスが着く信濃大町駅からブックキャンプへ行く術は、1日に2本のシャトルバスしかない。県内の人が車で来ること前提のイベントなのだ。駅からシャトルバスに乗るつもりだったのだが、渋滞のせいで乗り遅れ途方にくれる。ふらふらしていると、駅に隣接した申し訳程度の観光案内所にレンタサイクルの文字を見つける。もうこれしかない。猛暑の中、こんな風景の中を必死にペダルを漕いで進んだ。

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夏休みとしか言えないような風景と気候で、夏休みとは、与えられた時間的な休みではないことを確信した。汗をだらだらとかきながら開催地の木崎湖キャンプ場へ辿り着く。もはやユートピアだ。

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子どもたちは青空の下、キャッキャと湖で遊び、森の中には各地から集まってきた本屋さんがお店をだしている。とても幸せな空間だった。本を物色し、新刊本や古本などを買った。台湾から出展している方がいて、現地の古本を手に入れられたのは嬉しかった。十分に満喫し、帰路に着く。帰りも必死に自転車を漕いだ。駅近くでなんとなく良い感じの商店街を見つけて少しテンションが上がった。

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上の青い電灯が花びらのようで可愛い。レンタサイクルを返却し、東京へ帰るバスを待つ間ふらふらしていると、その日は地元のお祭りだったらしく、子どもたちが列になって歩いていた。知っている町の知らない祭りの子供たちの写真をなんとなく撮った。お腹が空いたので駅前のパン屋さんでパンを買い、バスの待ち合い室で食べた。誰もいないバスの待ち合い室のすみっこでパンをかじったことなどきっと忘れてしまうのだろうなと思った。

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この次の日は、神奈川近代文学館石井桃子展を見に行った。

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プーさんなどの翻訳で有名だが、石井さんはエッセイが抜群に素晴らしいと思う。会場入り口に書かれていた、「子どもたちよ子ども時代をしっかり楽しんでください。おとなになってから老人になってからあなたを支えてくれるのは子ども時代のあなたです」という言葉が本当に良い。あと、石井桃子さんは朝ドラになる気がします。


今週は色々と観に行った。火曜は藤田貴大『BOAT』。藤田さんの作品を観て久しぶりに圧倒された。青柳いづみさんも毎回のことながら本当に素晴らしい。水曜は昇悟と純子『ラストシーン』。木曜にAマッソ単独ライブ『おんちょいな』、金曜にナカゴー『まだ出会っていないだけ』を観た。ナカゴーを生で観られる時代に生まれて良かったと本当に思う。毎公演、必ず面白いって天才的だ。初日に観たのだが、後ろの席にいとうせいこうさんが座っていた。土曜に『未来のミライ』を観て、あまりにも家族の血の繋がりに焦点を絞り過ぎていてなんとも言えない気持ちになった。『リメンバー・ミー』もそうだったが、時代の流れに逆行しているのではと思った。

時々持ち歩いている写ルンですを現像したので貼っておく。

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生産性

生産性という言葉を聞いて思い出したことがある。大学に入学してすぐ、映画サークルに入った。そのサークルでは、1年生はみんな1本映画を撮ることになっていて、例に漏れず僕も脚本を書いて監督をすることになった。今思い出すと、とても恥ずかしい内容なのだが、その中にうだつの上がらない大学生という登場人物がいた。僕は台本で、その登場人物に、「だらだらとしてる日々」を長々と語らせた。いざ撮影日になり、サークルの人に俳優をやってもらった。その時、僕が書いたそのセリフを彼は、ここの部分長いから「生産性のない毎日」でよくない?と言った。自分の意見を押し通す勇気はあいにく持ち合わせていなかったので、じゃあそうしよっかなあ、なんて返答をした記憶がある。しかし、その時、「生産性のない」と省略されてしまうことに強烈な違和感を覚えた。確かに生産性のない毎日かもしれないが、だらだらとした日々を詳細に語らせることが「生産性」という言葉から逃れる唯一の方法だったのではないか。結局、その撮影は僕の頓挫で完成することは無かった。そのままサークルも参加しなくなり、友達も片手で数えるほどしかできず、まさに生産性のない日々を卒業まで4年間送った。

カステラと牛乳

自分は今、海外旅行へ来ているのだという設定で街を歩くことがある。ここが新宿かー、ここが渋谷かー、といった感じで東京へ観光に来ている外国人というよりも、まったく知らない国にいる気分でキョロキョロする。しかし、その時自分は日本人ではなく、どこの国の人でもない。だから、すれ違う人を見て、海外の人だー、とだけ思う。毎日のこの暑さから、さながら東南アジアのどこかの国にいる気分になれる。とか思っていたが、これまで行ったことのある、タイ、ベトナム、台湾のどこよりも最近の日本は暑いので、設定とか抜きで本当にどこでもない国にいるみたいだ。この遊びをしていると、ビルがたくさん建っているだけで感動するし、電車から見える風景にも、どきどきする。いつも見慣れているものを知らないていで見るのは、お金のかからない究極の遊びだ。海外旅行へ行った時に、地元の人にはなんてことないような路地にときめき、思わずカメラを向けてしまう感覚と同じだ。

三連休は、クーラーの効いた部屋でずっとだらだらしていた。この怠惰さは、暑さのせいにしておく。久しぶりにカステラと牛乳を食べた。この組み合わせは最高って分かっているのに、いざ食べるとその最高を軽々と超えてくる。美味しさが常に更新される。安いカステラと普通の牛乳でこんなに美味しいのだから、高級カステラ×搾りたて牛乳だったらどうなってしまうのだろうと思うが、大して変わらない結果がぼんやりと見える。ツイッターで頻繁に、例の文体で何かの美味しい食べ方やレシピが流れてくることがある。一見美味しそうなので作ってみることがあるのだが、大体美味しいとは言えない。味の好みは人それぞれというよりも、単純に表現を盛りに盛っているのだろうなと思う。でも、もし、世の中にカステラと牛乳を一緒に食べる組み合わせが存在していなくて、ツイッターでその組み合わせを知って、いざ食べたらあまりの美味しさに天に召されると思う。だから僕はきっと訪れないであろうその瞬間を求めて、またよくわからないレシピを試してしまう。

髪を切りに行った。自意識過剰なので、一度シャワーを浴びて髪を洗ってから美容院へ行く。とても暑い日で、汗をかいた状態で髪を切ってもらうことが恥ずかしく、なんとか道中汗をかかないように頑張るも、汗をかかないための頑張り方がわからず、結局汗だくになる。昨年までは、なんのお仕事されてるんですか?と聞かれた時に、あっまだ学生なんです、みたいなやりとりがめんどうで、社会人になってからはそれから解放されたかと思いきや、今はフリーターだ。美容院でスムーズに会話ができる日は一生訪れない。

全部が良くなる

道でつまずいたり転んだ時、過度な心配よりも笑ってくれた方が安心する。先月仕事を辞めて晴れて無職になった。そのことを友人や知人に伝えると、多くの人が深刻な顔をしてくれる。それがきっと正解の反応であるし、自分もそうするだろう。しかし時々、辞めたことを思いっきり笑ってくれる人がいる。なんだかその瞬間だけ、今の自分の置かれた状況がさして大したことではないと思うことができる。

それにしてもこの先どうするべきなのか。

今は、2週間ほどの無職期間を経て、学生時代アルバイトをさせてもらっていた会社で再び働いている。脱無職、フリーターへの昇格。差し迫った問題としてはやはりお金に関することだ。時給1000円で東京で一人暮らしは厳しいにもほどがある。家賃でほとんど持っていかれてしまう。引っ越すのにもお金がかかる。安定した収入ほど心が安らぐことはないのではないか。こんなお金の話ばかりしたくはないのだが、暮らしている中での実感としてはそれが一番にくる。早く仕事を探さなければという焦りがある。このままでは生活がままならない。本当のことを言えば、映画も演劇も観にいかず、本も買わなければなんとかなる気がするのだが、そんなわけにもいかない。この1ヶ月で観た映画は『デッド・プール2』『タクシー運転手』『万引き家族』『ワンダー 君は太陽』『レディ・バード』『ブリグスビー・ベア』だ。どれもとても良かった。2週間ほど前はceroのライブにも行ったし、今日はユーロスペースで「倉本美津留の太鼓判」を見た。ジャルジャルかもめんたる天竺鼠、ランジャタイ 、マジカルラブリー、テニスコートという最高のライブ。ランジャタイの漫才「Nの秘密」がめちゃめちゃに面白くてもはや映画のようだった。

この1ヶ月で1番変わったのは、頻繁に自転車に乗るようになったことだ。自宅から1時間くらいの場所だったら平気で自転車を乗り回す。最近は暑くてくたくたになってしまうのだが、夜の涼しい時間にちょっと遠くのコインランドリーまで自転車を走らせるのはとても気持ちが良い。『レディ・バード』で、免許を取って初めて車を運転した時に見える町の風景に感動するとても良いシーンがあったが、まさにその感覚と同じで、東京を自転車で走り回るのは自分にとっては新鮮で楽しい。東京は、緑が多い。漕ぎながら、カネコアヤノの新しいアルバム『祝祭』を狂ったように聴くことが多い。全曲素晴らしい。もちろんラジオも聴く。最近だと、爆笑問題カーボーイで太田さんがお父さんの話をしたオープニングトークが抜群に良かった。根本宗子と長井短のANN、Creepy NutsのANNも軌道に乗ってきた感じで面白い。しかし、1番楽しみなのは神田松之丞さんのラジオだ。もっと長い時間聴いていたい。ここ最近、オードリーのANNが、若林の「いやー、まいったね」で始まることが多い。くりぃむしちゅーのANNではないか!と1人興奮することが多々ある。

なるべく早く就職先を見つけなければという焦りと、今のままの生活が続けばいいなんていう甘い考えが常にある。こんな感じの文章を書いてお金を貰える仕事があったらいいのに。そんな夢みたいなことはきっとないので、大人しく働き口を探します。来月の家賃も払えないので。

 

オールドファッションが見当たらない

仕事を辞めることになった。その3日後、姉が婚約したと連絡してきた。誕生日にプロポーズされたらしい。僕が仕事を辞めることを決めた日の翌日だ。一方は無職になり、一方は結婚する。人生だ。なんだか他人事のように思えてしまう。 

姉がプロポーズされた日、僕は高校の友達と中野の「みこbar 」に居た。巫女のbar だ。メイド喫茶的なところで、友達が月1ぐらいで通っているらしい。みこbar に行ったのは深夜3時ぐらいで、それまでは幡ヶ谷で飲み歩いていた。飲み歩いていたなんて書いてしまったが僕はお酒が飲めないのでどのお店でもジンジャーエールしか口にしてない。深夜、幡ヶ谷から中野に歩こうと意気込んだものの、雨が降った後の蒸し暑さとあまりの距離に疲れ果ててしまい、割増運賃のタクシーに乗った。長野県出身の4人が東京で深夜タクシーに乗って「みこbar 」に向かう。なんだかめちゃめちゃダサいが、高校時代の友人たちとこんなことしてる事に少しグッとくる。

「みこbar 」を4時過ぎに出ると、もう夜が明け始めていた。そこからまたタクシーに乗り、笹塚のマルシンスパへ。

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早朝の東京の街並みに、少し感傷的になる。すぐ下をまばらに人を乗せた京王線が走り抜けたりするわけだから尚更だ。うちでみんなで雑魚寝をして、お昼に近所のそこまで美味しくない中華料理屋でお腹をいっぱいにして解散した。

ふとした瞬間に、うわー自分無職なのかー、と思う。仕事を辞めると決めたのは自分だし、それを引き受ける覚悟で辞めたのだけどどうしても不安になる。

とりあえず今は、早朝からやっている新宿のミスドでドーナツを食べている。オールドファッションが無く、肩を落とした。ドーナツを食べたところで何も解決しないのだが、今はそうするしかないような気がする。

宝くじ販売員の祈り

いままで誰にも言ってこなかったのだが、辛いことや嫌なことがあった時、わけもわからず宝くじを買うことがある。つい最近も、スクラッチの宝くじを買った。5000円分。もちろん、当たらない。 

いつも宝くじを買うときに思うのだが、自分にとって1番身近な祈りは、宝くじの販売員が必ず口にする「当たりますように」なのではないか。もちろんこれはマニュアルで決まっている言葉なのだろう。しかし、知らない人が自分なんかのために祈ってくれているというだけで泣けてくる。特に、今みたいな心が弱っている時なんかは尚更だ。


先週は、特に心が弱り切っていて、救いを求めるかのようにあらゆる友人や信頼できる大人に連絡をとって会ってもらった。普段自分から誰かに連絡をすることなんてほとんどないので、気持ちが本当にギリギリのところまで来ていたのだと思う。

みんな仕事をしているのにすぐに時間を作ってくれた。いかに自分が辛いかを話した。明らかに相手はどう反応するべきか悩んで、暗い雰囲気になってしまう。誰も、自分もその時期は辛かったなどと言わない。とても救いになる。辛さや苦しみは、個人のもので、相対化できるものではないとみんなわかってくれている。夜23時に美味しい牛タンのお店に連れていってくれる大人もいれば、地下アイドルが働くバーで「俺のおごりだ」と言って、アイドルとのチェキを強引に撮らせる友達もいた。そのチェキはお財布に入っている。直接的な共感の言葉より、遠回りでもなんとか元気づけようとしてくれている行為に泣く。

その数日間に、何人もの人に会って、初めて気がついたのだが、会話をするってこんなにも心のために大事なことなんだと知った。世の中的にはきっと当たり前のことなんだろうけど、実感してみないとわからない。

会ったことのない人に心配されるのもとても救われる。ブログに心配のコメントをくれる方や、ツイッターでDMを送ってくれる方。会ったこともない、どこにいるかもわからない誰かが一瞬でも自分のことを気にかけてくれたのだというだけで泣いてしまう。

自分でも恥ずかしくなるようなことをつらつらと書き連ねてしまったが、改めて自分はめちゃめちゃ弱い人間だと思う。だから、なんとかして人と関わらなくていけない。人と関わることは生きていく上で絶対に必要なことなのだと初めて知った。